―賞琴一杯清茗― 第二十六回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の二十五    伏見 无家


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇六年七月号第五八七号掲載

「凡そ醉には、各々宜しき所有り。花に醉ふは晝に宜し、其の光を襲[かさ]ぬればなり。雪に醉ふは夜に宜し、其の思ひを清くすればなり。得意に醉はば宜しく唱[うた]ふべし、其の和を宜[の]ぶればなり。將離[しゃうり]に醉はば宜しく鉢を撃[う]つべし、其の神を壯[さか]んにすればなり。文人に醉はば宜しく節奏を謹むべし、其の侮りを畏るればなり。俊人[しゅんじん]に醉はば宜しく[角+光]盂[くわうう]を益し旗幟を加ふべし、其の怒りを助くればなり。樓に醉ふは暑に宜し、其の清を資[たす]くればなり。水に醉ふは秋に宜し、其の爽を泛[あまね]くすればなり。此れ皆、其の宜しきを審らかにし、其の景を攷[かんが]ふるなり。此れに反すれば、則ち飮を失せん」

酒を飲んで酔うには、それぞれにふさわしい場面がある。花見の酒は昼間がよい。花と日の光とで輝きが増すからである。雪見の酒は夜がよい。その思いを清らかにするからである。得意になって酔うときは、歌うのがよい。心がなごみ満たされるからである。別れの酒は鉢をたたくのがよい。意気を沈めず、盛んにするからである。文人と杯を酌み交わすには、節を守るべきである。軽蔑されるのをおそれるためである。才子と飲むには酒杯の数をまし、旗やのぼりを立てるのがよい。その士気を鼓舞して、鬱憤をはらしてやるために。たかどので飲む酒は、暑熱の季節がよい。清涼な気分になれるからである。水上で飲むには秋がよい。爽快さを満喫できるからである。これらの飲酒は、皆それぞれにふさわしい飲み方を明らかにし、その場面や情景を考えたのである。これに反すれば飲酒の趣を失うことになる。

 酒は百薬の長として尊ばれるべきものですが、その飲み方を間違えれば、たちまち毒にもなってしまうものです。いつのまにか習慣となって、いつでもどこでも飲むようになって量がかさんでしまったら心身にとってこれほど害のあるものはありません。どれだけ上手に節度をもって酒を飲めるかによって、飲酒の趣が味わえます。食事は身体の糧となるものですが、酒は魂の大いなる糧となるべきものです。酒は精神に大きな影響を及ぼすものですから、良くもなれば悪くもなり、とても危ういものと言えましょう。小人が飲酒を好めば、身を滅ぼすことになりかねません。酒は飲むものであって、飲まれるものではないということです。人が飲まれてしまうほど酒には絶大な力があって、よほど覚めた人間でなければ敬遠するにこしたことはありません。やはり上手な飲酒は達人にこそふさわしいかもしれません。
 『醉古堂劍掃』にはよく酒に関する条が出てまいります。酒といえば文人にとってなくてはならないもの。この世を享楽的に生きんとするなら酒は最も大切なものです。どれだけ多くの文人が酒を愛し、生涯の友としたことでしょう。酒を飲まなかった文人を探す方がたいへんなくらいです。蘇東破や菅原道真、近いところでは夏目漱石が下戸として有名ですが、彼等は酒が飲めぬことを残念がり、酔人を羨んでいます。これは酒を受けつけぬ体質的なものですから仕方ありません。酒を飲むから詩が詠めるということではありません。飲まなくとも彼等は飲酒の趣を深く理解し、千古の詩を残しております。酒飲みの文人はより多く人生を楽しむことができたというべきでしょうか。
酒の達人にして文人といえば何と言っても陶淵明を筆頭にあげることができますが、江戸化政期の画人にして琴人の浦上玉堂もまたその一人です。しかし玉堂の飲みっぷりは聊かその趣を異にしているようです。我々常人からすればはたして節度を守って飲酒していたかどうか疑問です。玉堂は酒量も多く、酒は琴と同様、常にかたわにあったと思われます。それも酔ってただひたすら陶然とするのではなく、酒の酔いにまかせて創作に打ち込んでいる風が見られます。当時、玉堂の弾琴が悪評であったのも、酔っぱらって弾いていたからではないかと思われます。不謹慎この上ないものですが、玉堂にとって酒は仙にいたるための手段であったようです。天才だからこそ許される所業と言えましょう。玉堂の飲酒の詩を読むなら、上戸でなくとも酒が飲みたくなり、また琴を弾きたくなります。

 把酒彈琴     酒を把り琴を彈ず
琴間把酒酒猶馨  琴間に酒を把るに酒猶ほ馨[かんば]し
酒裏彈琴琴自清  酒裏に琴を彈ずれば琴自ら清し
一酒一琴相與好  一酒一琴相ひ與に好し
此時忘却世中情  此の時世中の情を忘却す
(琴を弾きながら酒を飲むなら、酒はなお美味い。酒を飲みながら琴を弾くなら、琴はおのずから清らかである。一杯の酒、一曲の琴はともによく奏で合う。この時こそ世俗のわずらわしさを忘れてしまうのである。)

 琴酒樂  琴と酒を樂しむ
彈琴時飲酒  琴を彈じて時に酒を飲む
飲酒復彈琴  酒を飲んで復た琴を彈ず
琴酒吾耽樂  琴酒吾れ耽り樂しむ
朝昏吟味深  朝昏吟味深し
(琴を弾きつつ時々酒を飲む。酒を飲んだらまた琴を弾く。酒を飲みふけり琴を弾きふけり私は楽しむ。朝から晩までこの興趣はつきることがない。)

 玉堂の肖像画を見てみますと頬がほんのりと赤くなっております。画を描くときも酒の酔いがまわってから筆をとり、一気呵成に山水画をしたためました。その時の様子を田能村竹田は『山中人饒舌』の中でこう述べています。
 「彼は酒を飲んで、ほどよく酔うに従い、画筆をとって倦まず休まず描き続けるが、やがて醒めると、その手を休める。ある時は、十数回酔って、はじめて一幅の画が完成する。彼の最も意にかなった作品に対しては、人は忽ち恍惚の境にさそわれ、汲めども尽きないその天成の趣に心を奪われる。しかし極度に酔った時の画は、筆がだらしなく、形象がくずれてしまって、家も樹も石も一体となり、区別がなくなってしまうのである。」(瀧川清著『浦上玉堂』)
 胸中の山水と紙面の画と自己が、酒の酔いとともに渾然一体となった様がうかがえます。酒を飲みすぎ前後不覚となった玉堂は、筆を投げ捨てて画のかたわらでうたた寝をしたことでしょう。その時の玉堂は仙人となり仙界を飛翔し、永遠の自由を得てこの上無い幸福に満たされていたことと思います。その弾琴も、酔っぱらっているものですから稚拙で、間違えてもおかまいなく弾き続け、とても聴けるようなものではなかったと思われます。玉堂は人に聴かせるような琴は弾かず、己のために琴が奏でる天籟の音に耳を傾けていたのです。

 玉堂鼓琴  玉堂琴を鼓す
玉堂鼓琴時  玉堂琴を鼓す時
其傍若無人  其の傍に人無きが若し
其傍何無人  其の傍に何ぞ人無き
嗒然遺我身  嗒然[たふぜん]として我が身を遺[わす]るればなり
我身化琴去  我身は琴に化し去り 
律呂入心神  律呂は心神に入る 
上皇不可起  上皇起たしむべからずんば
誰會此天眞  誰か此の天眞を會せん
(この玉堂、琴を弾ずる時、人が聴いていてもそこにいないようである。なぜ人がいないのか。思いは無心となり、我が身も忘れて弾じているからである。我身は琴と化し、琴の調べは深奥に入る。もはや太古の聖天子が今の世にいないというなら、誰がこの私の天真の心を理解しよう。)

 白居易は三友と称して、酒、詩、琴が循環して止むことなしと詠じましたが、玉堂にはそれに画が加わり、四友として清閑の日々は繁忙をきわめていました。それこそ酒に酔いをまかせていられないほどに。







浦上玉堂 秋色半分圖



笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像 国会図書館近代デジタルライブラリー



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