―賞琴一杯清茗― 第二十二回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の二十一    伏見 无家


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇六年三月号第五八三号掲載

「凡そ靜室は須らく前に碧梧[へきご]を栽[う]ゑ、後に翠竹[すゐちく]を栽ゑ、前檐[ぜんたん]放歩[はうほ]すべし。北は暗窓を用ひ、春冬は之を閉ぢて以て風雨を避け、夏秋は開いて以て涼爽[れうさう]を通ずべし。然れども碧梧の趣、春冬葉を落とせば、以て負喧融和[ふけんゆうわ]の樂を舒べ、夏秋蔭[かげ]を交ふれば、以て炎爍蒸烈[えんしゃくぜうれつ]の威を蔽[おほ]ひ、四時宜しきを得る、此より勝ると爲すは莫[な]し」

およそ静かな室には、前に梧桐[あおぎり]を植え、後ろには青竹を植え、前の檐[のき]は広くあけ、歩きやすいようにするのがよい。北側は櫺子[れんじ]窓にして、春や冬の寒い間はこれを閉ざして風雨を避け、夏や秋はこれを開けて涼しくさわやかな風を通すのである。そして梧桐の趣あるところというのは、冬から春にかけて葉を落として日当たりよく、日だまりにまどろむ喜びを得させ、夏から秋にかけて葉を茂らせ蔭を作って、激しい炎熱と蒸し暑さを防ぎ蔽うのである。一年三六五日、四季を通じてまことに快適でこれに勝るものはない。

梧桐は葉が大きく、幹は古木になっても碧緑[あおみどり]色をしており、成長が早く街路樹に植えられるほどたいへん丈夫な落葉樹です。明代文人指南書『長物志』には「青桐はすてきな蔭ができ、木の緑は翠玉[ひすい]のようで、広庭のうちに植え、日ごとに(幹を)洗い拭わせるのがよい。それに枝ぶりが画のようなのを選び、まっすぐ伸びて横に枝が出ずに、拳[にぎりこぶし]か蓋[かさ]みたいなのや、綿が吹いた(介殻虫が寄生した)のは、どれも選ばない。実は茶に入れて飲むことができる。」(東洋文庫『長物志』荒井健訳)とあります。元代の文人画家倪雲林は、庭の梧桐を日々人をして洗拭せしめたと言います(『雲林遺事』潔癖第三)。よほどこの樹を愛し大切にしていたのでしょう。幹は光沢を帯び、布で磨くと艶が出ます。また『詩經』大雅・巻阿に「鳳凰鳴けり、彼の高き岡[おね]に。梧桐生ず、彼の朝陽[やまのひがし]に。」とあって、鳳凰はこの樹にしか棲もうとはしないと歌われています。梧桐はかつて神樹でした。
梧桐はまた琴の材ともなるものです。『万葉集』には大伴旅人[おおとものたびと](六六五〜七三一)の作として「大伴淡等謹状 梧桐日本琴一面 對島結石[ゆいし]山の孫枝(ひこえ]」がおさめられていますが、この「日本琴」は和琴ではなく、琴[きん]すなわち日本で製した七絃琴を歌ったものです。

此の琴、夢に娘子[をとめ]と化して曰はく、余[われ]根を遙島[えうたう]の崇巒[すうらん]に託[よ]せ、幹を九陽の休光に晞[さら]す。長く煙霞を帯び、山川の阿[くま]に逍遥す。遠く風波を望み、雁木の間に出入す。唯恐る、百年の後[のち]空しく溝壑[こうかく]に朽ちなむことを。偶[たまさかに]良匠に遭[あ]ひ、散じて小琴となる。質の麁[あら]く音の少[ちいさ]きを顧みず、恒[つね]に君子の左琴たらむことを希[のぞ]む。即ち歌ひて曰はく、
いかにあらむ 日の時かも 声知らむ 人の膝の上 我が枕かむ
僕その詩詠に報[こた]へけらく、
言問はむ 木にはありとも うるはしき 君が手馴れの 琴にしあるべし
琴の娘子に答えて曰はく、敬[つつし]みて徳音を奉る。幸甚々々(後略)
(この琴が娘子になって言うには、自分は遥かな島の高き嶺に根をおろし、幹を美しい日の光にさらしていました。長く霞に包まれ、山川の間に遊び、遠く風波を望み、お役に立てる用材になるかなるまいかと案じておりました。唯心配な事は、樹齢を終えていたづらに谷底に朽ち果てることでありましたが、図らずも良き工匠の手にかかり、削られて小さい琴となりました。音色も粗く、音量も小さいものでありますが、どうか君子の側近くに愛琴となりたいといつも願っております、と言って次のように歌いました。
どういう日、どういう時になったならば、私の声を聞き分けて下さる人の膝の上を枕にすることであろうか。
という歌に答えて、
ものいわぬ木であるにしても、立派な方の愛用の琴となるであろう。
琴の娘子に答えて言うに、謹んでけっこうなお言葉を承りました。ありがたい事でございます、と。)

梧桐は多くの詩人たちに詠まれてきました。梧桐に因む詩は枚挙にいとまがないほどです。「梧桐一葉落 天下盡知秋」(梧桐一葉落ち、天下は盡く秋を知る)はよく人口に膾炙した言葉です。室町末期の連歌師里村紹巴[さとむらぜうは]が著わした『連歌至宝抄』天正十三年(1585)の中で「いづれの木も葉の落るは初秋に候、梧桐一葉落知天下秋と作り候間、梧桐の事なりと申慣し候」と紹巴は述べています。「桐一葉」と言いますが、これは箪笥や箱になるゴマノハグサ科の桐ではなく、本来はこのアオギリ科の梧桐です。
夏の梧桐よりも、秋に至り、枯れゆく梧桐を詠んだ詩が多いようです。青々と生き生き茂った葉が秋には無惨にも枯れてしまう姿によけい哀れを誘うのでしょう。これは芭蕉林や蓮池に似通う秋冬の風情です。静かな夜更け、梧桐の大きな葉が、ガサッと落ちる音には否応なく秋の訪れを知らせられ、また驚かされるものです。
菅原道真の詩に「秋思詩」というのがあります。

丞相度年幾樂思  丞相[じょうしゃう]年を渡りて幾たびか樂思[らくし]す
今宵触物自然悲  今宵[こよひ]物に触れて自然に悲しむ
聲寒絡緯風吹処  声は寒し絡緯[らくい]風吹くの処
葉落梧桐雨打時  葉は落つ梧桐雨打つの時
君富春秋臣漸老  君は春秋に富ませたまひ臣漸く老ゆ
恩無涯岸報猶遅  恩は涯岸[がいがん]無く報ゆること尚ほ遅し
不知此意何安慰  知らず此の意何の安慰[あんゐ]ぞ
飲酒聽琴又詠詩  酒を酌み琴を聽き又詩を詠ず
(右大臣となって以来幾度か楽しい思いをさせて頂きましたが、今宵はなぜか目に触れ耳に触れる物すべて、自然に寂しさがこみ上げてきます。風に吹かれて鳴く蟋蟀[こおろぎ]の声は、ひときはさびしく、また雨に打たれる梧桐の葉がしきりに舞い散っています。 天皇はまだお若い。それにひきかえ私はずいぶん老衰に向かい、ご恩は果てしなく大きいのに、報いることが出来ないでいます。このいたたまれない心をどうしたら慰さめられるでしょうか。せめて酒を飲み、琴を聴き、又詩を吟詠するだけです。)

落葉した梧桐に降る雨音は、秋の夜の静寂の中で大きく響いたことでしょう。

『醉古堂劍掃』には寒暑を快適に過ごすため梧桐に勝る樹木は無いと断言していますが、現代では梧桐は庭木にあまり好まれず、わざわざ庭に植えようとする者は少ないようです。それでもどこからともなく種が飛んできたり、鳥が運んだりして庭の隅で芽生え、いつのまにか大きな木になっていたりします。梧桐はとても繁殖力が旺盛です。その生命力の強さといつまでも青々とした幹に何か神的なものを古人は感じていたのだと思います。この樹に託した古人の心に思いを致すなら、ふだん何気なく見る梧桐もまた詩想豊かな樹木となることでしょう。






崔子忠(?〜1644)明代「雲林洗桐図」(臺北國立故宮博物院蔵)



笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像 国会図書館近代デジタルライブラリー



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