―賞琴一杯清茗― 第十六回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の十五    伏見 无家


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇五年九月号第五七七号掲載

「閑居の趣、快活五あり。與[とも]の交接せず、拝送の禮を免[まぬか]るるは一也。終日書を觀、琴を鼓すべきは二也。睡起[すゐき]意に隨ひ、拘碍[こうげ]あること無きは三なり。炎涼囂襍[えんりゃうがうざつ]を聞かざるは、四なり。能く子に耕讀を課するは五なり」

閑居の趣には快活なること五つある。人と交際せず、人の来るを拝し、人の往くを送るの礼を逃れることが一つ。一日中読書をして、気分が赴くにまかせて琴を弾ずることが二つ。眠るも覚めるも心のままに他人に煩わされないことが三つ。やかましい世間の俗事雑事を耳にしないことが四つ。よく子に田畑を耕したり書を読ましむことが五つである。

日常生活で最も心労するのは人との付き合いでしょう。送迎の礼は煩わしく疎ましいものです。
来訪客が来ればお世辞の一つも言わなければならないし、一日相手をすれば一日の閑を失なってしまいます。世間の騒がしさや俗事雑事は耳に入らず、何事も意の如く、気ままに自由に好きなことをする。また、起きたい時に目覚め、寝たい時に眠り、食べたい時に食事をして、他人からとやかく言われず邪魔されることもない。閑適の趣は、読書をして目が疲れたなら琴を引き寄せ爪弾いて、弾じ疲れれば窓外の風景に目を移す。一日の閑を得たなら、終日琴書に浸ること。そして隣室から聞こえる子供たちの素読の声を耳にしながら午睡をすること。
人生における幸福な日々。清閑することは、たとえ一日だけでも得難く尊いものです。

「清閑無事、坐臥[ざが]心に隨[したが]へば、粗衣淡食[そいたんしょく]すと雖[いへど]も、自[おのづ]から一段の眞趣[しんしゅ]有り。紛擾[ふんぜう]寧[やす]からず、優患[いうくわん]身を纏[まと]へば錦衣厚味と雖も、只萬状愁苦[ばんじゃうしうく]を覺[おぼ]ゆ」

清閑にして無事、行住坐臥が心のままなれば、粗末な服を着、粗末な食事をしていたとしても、そこには自ずから別段の真なる趣がある。身辺にいざこざやゴタゴタがあって、心が安まらず、不安や心配事が身から離れなければ、たとえ錦の美麗な服を着、豪華な食事をしていたとしても、多くの憂愁と苦悩が生まれるだけで心を傷めるのみである。

この条は原文を二行にならべてみますとわかりますが、隣り合った句が対句[ついく]となって対応しております。

清閑無事 坐臥隨心 雖粗衣淡食 自有一段眞趣
紛擾不寧 優患纏身 雖錦衣厚味 只覺萬状愁苦

清閑と紛擾、隨心と纏身、淡食と厚味、一段と萬状、眞趣と愁苦というように正反対の文句を並べたいへん凝った条となっており、装飾的でありますが深意をふくみ滋味あふれるものとなっております。多少教訓めいてはおりますが、清閑を第一に置いた生き方というものが人生を幸福たらしめると述べております。
この対句というのは儷句[れいく]とも言い、音節の数を同数にしたり、声調の高低を調和させたりして律詩を吟ずる上でなければならない決まりとなっているもので、左右対称を好む中国人の美意識から生まれたものです。漢詩の対句は民間に広まり春聯となって、中国の春節(正月)には門口にめでたい文句を書いた真新しい赤い紙を貼る風習となりました。たとえば、

物華天寶
人傑地靈
(豊かな物産は天の賜ものであり、傑出した人材は地の霊によってうまれる。)

歳々平安日
年々如意春
(年ごとに平安な日々を迎え、毎年心のままなる春の如し。)

芝蘭君子性
松梅古人心
(霊芝や蘭は君子の性、松や梅は古人の心。)

天増福祿人増壽
春滿乾坤福滿門
(天は福祿を増し人は寿を増す、春は天地に満ち福は門に満つ。)
というのがあります。

「琴罷[や]みて輒[すなは]ち酒を擧[あ]げ、酒罷みて輒ち詩を吟じ、三友遞[たが]ひに相引き、循環して已[や]む時無し」

琴を弾じ終わったなら、盃をあげて酒を飲み、酒を飲み終わったならば、詩を吟ずる。この三つの友は相引き合い交互に循環し合い、終わるという時が無いのである。

文人が書斎における営為として、琴詩酒、この三友は必要不可欠なものと言えましょう。詩は文人にとって本業とするもの、琴や酒はその詩作に霊感を与えるものです。酒は洋の東西を問わず、詩人が最も好み霊感を得てきたものですが、琴は東アジア文人独特のもので、古人と邂逅するため、仙界や山水を逍遥するための具となってきました。詩の源泉となるものが古人の遺香であり、また理想郷として仙界や山水があったわけです。
『醉古堂劍掃』のこの条は、唐の詩人白居易の「北窓三友」からその部分を持ち来ったものです。白居易は生涯この三友を愛し続けた文人でした。その詩を全部見てみます。

 北窓の三友
今日北窓の下[もと]、自ら問ふ何の爲す所ぞ、と
欣然[きんぜん]として三友を得たり、三友は誰とか爲す
琴罷みて輒ち酒を擧げ、酒罷みて輒ち詩を吟ず
三友遞ひに相引き、循環して已む時無し
一彈中心に愜[かな]ひ、一詠四肢を暢[の]ぶ
猶中[うち]に間有らんことを恐れ、醉を以て之を彌縫[びぼう]す
豈獨り吾のみ拙にして好むならんや、古人も多く斯[かく]の若[ごと]し
詩を嗜む淵明有り、琴を嗜む啓期[けいき]有り
酒を嗜む伯倫[はくりん]有り、三人皆吾が師なり
或は儋石[たんせき]の儲[たくはへ]に乏しく、或は帶索[たいさく]の衣を穿つ
絃歌して復[また]觴詠[しょうえい]し、道を樂しみて歸する所を知る
三師去ること已に遠し、高風追ふ可[べ]からず
三友游[いう]甚だ熟し、日として相隨はざるは無し
左に白玉の卮[さかづき]を擲[なげう]ち、右に黄金の徽[き]を拂ふ
興酣[たけなは]にして紙を疊まず、筆を走らせして狂詞を操[と]る
誰か能く此[この]詞[ことば]を持し、我が爲[ため]に親知[しんち]に謝する
縱[たと]ひ未だ以て是と爲さざるも、豈我を以て非と爲さんや
(今日北窓のもとにて、何をするのかと問うならば、よろこんで答えよう、三友を得たり、と。三友とは誰のことか。琴と酒と詩である。三友は互いに相引き循環して止む時がない。一たび琴を弾じて心に適い、一たび詩を吟じて四肢を暢ばし、その間に隙が生まれるのを恐れて酒で以て埋め合わせをする。私のような愚拙な者だけがこの三友を好むのではない。古人も多くは同じであった。詩を嗜めるのは陶淵明があり、琴を嗜めるのは栄啓期[えいけいき]があり、酒を嗜めるのは劉伶[りゅうれい]があった。この三人は皆我が師とするものである。いづれも貧にして僅かばかりの蓄えしかなく、縄の帯を締めていたが、絃歌して觴を挙げ、詩を吟じることによって道を楽しみ、その帰するところを知っていた。三師はすでに遠い昔に没し、その高風をうかがい知ることはできない。それでも三友と私との友情は熟しつつあり、相い随がって一日として離れることがない。左手で白玉の杯を擲[なげう]ち、右手で黄金の琴徽を払い、興が酣に至れば、紙を畳まずに筆を走らせて狂詞を書く。この詞を持って我が親交ある友に示して、未だに是と言わなくとも私はそれを非とは思わない。)

日本の文人菅原道真は酒と琴は愛しきれず、詩だけを我が生涯の友として生きました。道真の詩「読楽天北窓三友詩」(楽天が北窓三友の詩を読む)の中で、残念がりつつ琴と酒に訣別の意を表しております。道真は生前、白居易の再来、化身とまで仰がれた人でしたから、なおさら三友すべてを伴侶とできなかったことに後悔の念を持ち続けました。それは道真の詩のあちこちに見られます。白居易は、琴と詩と酒を我が友として清閑の日々を送り、生涯を貫いた最も幸福な文人のひとりだったと言えましょう。





 注
栄啓期 生没年不詳。九〇歳まで生きたと言われる。春秋時代の人。栄聲期とも言う。琴の名手で、琴曲に「山堂泛商三楽」がある。栄啓期は、人として生まれたこと、男子として生まれたこと、長寿に恵まれたことを「三楽」とした。
劉伶(二一一〜三〇〇)豫州沛国(江蘇省)の人。またの名は霊。字は伯倫。晋の建威参軍となったが、飲酒癖が激しく、放言をよくした。竹林七賢人のひとり。著に「酒徳頌」がある。







白居易像 『晩笑堂傳圖』上官周畫(乾隆年)



笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像 国会図書館近代デジタルライブラリー



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