―賞琴一杯清茗― 第五回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の四      伏見 无家 


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇四年十月号第五六六号掲載

「琴に于[おい]て道機を得、棋に于て兵機を得、卦に于て神機を得、藥に于て仙機を得。」

 琴を聴いたり弾じたりすることによって「道」を得ることができ、碁を囲むことによって勝負の機微や兵法を修得することができ、易の卦を占断することによって変幻なる宇宙の妙機を理解し、薬草を服すことによって不老長寿の仙人となる。


 琴の聲音は、弾く者や聴く者を自然の妙境に誘います。琴の音は自然界に存在する音にきわめて近いものがあります。琴音は微弱であっても明確な響きを持っていて、あたりの空気を劈[つんざ]いて響く音というより、空気に溶け込んで行く音色といってよいものです。琴の音は自然に存在する音、松林や竹林に吹く風に喩えられたり、峨々[がが]たる山や滔々[とうとう]と流れる河に喩えられたりしております。漢詩や短歌にあらわれる「松風」という詩語は琴音を象徴的に表す言葉でありますし「琴弾草」とは松の異名でもあります。しかしこの「松風」は琴の絃を弾いたときの音というより、左手で絃を押さえ、それが擦れるときの音に似ております。琴音は微弱で小さな音ですから、絃が擦れる音のほうが際立ってしまうのです。京都丹後半島の琴引浜は鳴き砂として有名ですが、この浜を歩いた時に出る音がこの琴の擦音にきわめて近く、「琴引」という名称は、左手を上下にずらして引くところから名付けられたのではないかと思われます。現代人の感覚からすると、絃が擦れる音など雑音としか聞こえませんが、古人はそういう音にも美を見いだしていたのでしょう。「道機を得」とは、そういう美妙なる琴音をきっかけとして自然の妙機に触れるという意味です。琴の奏法や弾琴姿勢は道に法ったものです。琴を弾奏する目的は、心躍るような歌舞音曲に耳目を喜ばす音楽では決してありませんで、心を沈静させ深く精神を省察するためにあります。
「神を定め、淫嬖[いんへい]を禁じ、邪欲を去るを以て、其の眞に反る也」揚雄(紀元前五三〜十八)『琴清英』、心を平静に保ち、みだりに固執することを禁じ、邪[よこしま]な欲望を去り、真なる心へ帰って行く。「邪辟を御[ぎょ]し、心淫を防ぎ、身を修め性を理め、其の天眞に反[かへ]る」蔡邕[さいゆう](紀元一三三〜一九二)『琴操』、ひがんだ心やみだりがましい心が起こらないようにし、身体をきちんとさせ、精神を調え、天真に帰させる。「琴は禁なり。淫邪を禁止する所を以て、人心を正しうす也」班固[はんこ](紀元三二〜九二)『白虎通義』、琴は禁に通じ、みだらで邪な心を禁止することによって、人の心を正しく導く。
このように古人は琴を弾き聴くことは一体どういうものかと多くの文字を費やして述べております。「天心に歸す」とはまさに「道」に至ることにほかなりません。琴は最も早い時期から「道」の尊称がつけられた技藝でした。桓譚[かんたん](紀元前?〜五六)『新論』に「琴道」という項目を設け琴について書かれた文があります。琴韻は得がたく尊いものです。それは現在でもなお、変わることがないものです。
囲碁は盤上の仮想戦争というべきもので、古代の王たちは政治や領土拡大の戦略を棋によって兵機を得て練っていました。さらに囲碁は人生の機微に応じた生き方も教えてくれるものです。
易は儒教の教典、『詩』『書』『禮』『春秋』『易』の五経のひとつです。易はもともと卜筮のために作られたものですが、街頭易者のように売卜して占うのではなく、君子が自己を占筮[せんぜい]するために用いたものです。「正しいことで道が二つに分かれて迷う時にだけ占うのである。悪いこと私欲のことについて占ってはいけない」朱熹[しゅき](一一三〇〜一二〇〇) 『朱子語類』。と言われます。しかも君子はわざわざ筮竹を用意して易を立てるのではなく、『易經』を無造作に開いてあらわれた頁が求める卦だとするのです。因みに現在、易に使われる筮竹は代用品とされるものです。本来は蓍[めどぎ]という萩の一種で「メドハギ」という多年生広葉雑草の茎を使いました。こちらが筮竹の代用というのは間違いです。蓍は古代の霊草でありました。『易』は大宇宙と小宇宙を一貫する「道」をあきらかにする「天人之学」なる哲学です。孔子は天道などといった人智の及ばない世界のことは説きませんでしたが、それ故に『易』を研究したのはその晩年に至ってからでした。弟子のなかでも優れたものしか『易』は理解できなかったと言います。
農業、医学(漢方)の神さまである神農は薬物学書『本草經』を著わしました。三六五種類の生薬が収載され、上中下三群にそれは分類されています。「上藥は君であり、生命を養ふことを主とする。天に應じて無毒であり、多服久服しても人を傷[そこな]はない。身を輕くし、体力を益し、不老延年の藥である」「中藥は臣であり、性を養ふことを主とし、 人に應じて無毒と有毒があり、適宜配合し、病を防ぎ、体力を養ふ藥である」「下藥は佐使(役人)であり、病を治すことを主とし、地に應じて毒性も強く、 久服すべからず。寒熱邪気を除き、病気を治癒する藥である」とあります。特に上藥の薬種のすべてには「延年神仙」「不老神仙」「耐老神仙」「輕身神仙」の効能があるとされています。神農はあらゆるものを服し、その毒性や薬効を確かめました。そして毒消しのために茶はたいへん有効なものでした。

「至音は衆聽に合はず、故に伯牙絃を絶つ。至寶は衆好に同じからず、故に卞和玉に泣く」

優れた美音は大衆の耳には聴こえない。それ故に琴の名手伯牙は絃を絶った。優れた美宝は大衆の好みには合わない。それ故に宝玉を手に入れた卞和[べんか]は泣いた。

 伯牙は己が琴の唯一の理解者鍾子期の死の知らせを聞いて、その絃を断ち二度と琴を弾くことはありませんでした。伯牙にとってよき理解者を得たことは大きな喜びであったことでしょう。しかしその人が亡くなってしまえば悲しみはさらに大きなものとなります。生涯弾き続けた琴を断ってしまうほど。
高い芸術性を持った者は、たとえそれが素晴らしくたいへん美しいものであっても容易に大衆には受け入れられないものです。その中でたった一人でもほんとうに理解してくれる者に出会ったら、すべてを投げ出してしまっても構わないと思うのが芸術家の心だと思います。伯牙と鍾子期の故事は深い友情の話であると共に、高い精神を持った芸術家の心性の物語です。
「和[か]氏の璧[へき]」として有名なのが卞和[べんか]の故事です。
紀元前8世紀頃、楚の国に卞和という人がいた。卞和は山中にて玉璞[あらたま]を手に入れ、彼はそれを楚の[厂+萬]王(れいおう)に献上した。[厂+萬]王は鑑定人にそれを鑑定させ、鑑定人は一見して、これはただの石に過ぎないと言った。[厂+萬]王は、わしを騙すとは何事だと怒って、卞和の左足を切り落としてしまった。 [厂+萬]王が逝去してその後武王が即位した。卞和は再びこれを武王に献上したが、武王もまた、鑑定人にその玉璞を鑑定させた。彼もまた、これはただの石に過ぎないと言った。そこで、武王は私を騙すとは怪しからん奴だと怒って、今度は卞和の右足を切り落としてしまった。
その後、武王が死去して、文王が後を継いだ。卞和はその石を抱き、楚山の麓で三日三晩泣き明かした。卞和の流す涙は血となった。
この出来事を耳にした文王は卞和の下へ人を使わした。使者は卞和に訊ねるのであった。
「この世には足を切り落とされた人は大勢いるが、お前はなぜそれほど深く悲しんでいるのか」
「私は両足を無くしたことを悲しんでいるのではありません。宝の玉をただの石くれと見做され、貞士としての我が身が誑[たぶらかし]と言われたことに深く悲しんでいるのです」
文王は使者の報告をじっと聞いた。そして、玉の鑑定人を呼び寄せ、その石を連日連夜磨かせたのである。果たせるかな、目もあやな美しい璧玉が誕生したのである。『韓非子』「第四巻第十三篇和氏」
璧とは、中央に孔[あな]の開いた環状の玉。環の幅と孔の直径が等しいものをさします。殷代から漢代にかけて作られ、祭器・装飾品・副葬品として用いられました。 衆人に受け入れられなくとも、素晴らしいものは素晴らしい。分かる者だけが分かり、ほんとうによいものだけしか後代に残らないということです。








笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像● 国会図書館近代デジタルライブラリー



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