―賞琴一杯清茗― 第三回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の二      伏見 无家 


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇四年八月号第五六四号掲載

「理義の書を読み、法帖の字を学び、澄心(ちょうしん)静坐し、益友(えきゆう)清談し、小酌半醺(しょうしゃくはんくん)し、花に澆(そそ)ぎ竹を植え、琴を聽き鶴を玩(もてあそ)び、香を焚き茶を煮、舟を泛べて山を観、意を奕棋(えきき)に寓(ぐう)す。他楽ありと雖も、吾は易(か)へず」

聖賢たちが書いた深奥な言葉の書を読み、古人が書いた立派な書道の字を学んだり、心を清浄に保って静座して修養を積み、知音(ちいん)なる友と共に高尚な話を談じ、少しばかりの酒を酌み交わしてほろ酔い機嫌で庭に立ち、花に水を澆ぎ、竹を植えたりして楽しむ。あるいは琴の深奥な音色に耳を傾け鶴を愛玩して飼い、香を焚き、茶を入れ、あるときは清流に舟をうかべて幽邃(ゆうすい)な山水の美を愛で、気が向くままに囲碁などをたのしんで心を遊ばせる。このような清遊を自由に思いのままにできるなら、他にこれに易えうる楽しみがあったとしても、私は易えようとは思わない。


 この境地こそ文人の真骨頂というべく、文人のあるべき姿でしょう。文人には真摯な求道者としての面もありますが、このような清遊する美の追求者の面もあります。自由に気ままに、悠々として自らの意(こころ)にかなった生活をするというのはまさに神仙にある人と言えましょう。文人がいつでも憧憬の対象になる理由はここにあると思います。人生を、生活の隅々まで美で満たそうとする文人を慕わずにはいられません。財力があるからといって決して至ることのできない境地なのは言うまでもありません。人間の欲望には限りがありませんが、それをすべて満たそうとするなら代償となる苦しみは大きなものです。清遊とは俗世間の遊びとは全く異なります。俗世間のわずらわしさ、しがらみから離れるための遊びです。「超俗」「脱俗」「隠棲」という言葉は文人の別名とも言えます。それでも生きている限り俗世間の関わりを断つことは出来ないでしょう。日々の生活の中で一瞬でも「美」を見出すことができるなら、そこが神仙への入り口になります。『醉古堂劍掃』全編には現世において神仙世界を実現させようという意が感ぜられます。一炷の香、一煎の茶、一曲の琴、一人の友、一冊の書、一局の碁、一杯の酒、一鉢の花、一艘の舟、それらを得るためには必ずしも贅を尽くすことはありません。別に苦労などせずに手に入れられるものばかりです。但し鶴(丹頂鶴)だけは飼う事を法で禁じられていますが。
 最も手に入れ難いのは「清閑」です。俗事雑事に追われた生活をしていれば決して得ることができないものです。清閑の時とは永遠にも似た時間を過ごすことです。それが得られてはじめて清遊することができ、仙界の住人になることができます。日常生活の中でそのような境地が得られるなら、もはやこれ以上の楽しみは他に見つけようがありません。

「細雨に間々巻を開き、微風に獨り琴を弄す」

静かに降る小糠雨(こぬかあめ)の庭を打ち眺めつつ、書物を繙(ひもと)いて書見したり、またそよ風が吹きくる部屋でひとり琴を弾ずる。

 「巻」とは書物。紙が無い時代に竹簡をもって字を書き、それを巻いたものが書物でした。「琴書」と言った場合、弾琴と読書を意味します。読書に飽いたなら、傍らの琴を寄せて古人に思いを馳せつつ弾じます。書を読むこと、琴を弾くこと、この二つは文人にとって最も大切な営為です。読書は文人の職業というべき大切なものです。中国官僚の士大夫は読書人と呼ばれていました。「士大夫(したいふ)三日書を読まざれば則(すなわ)ち、理義(りぎ)胸中に交はらず。便(すなわ)ち覚(おぼ)ゆ、面目憎むべく、語言味なきを。」これは宋代の詩人黄山谷(こうさんこく)の言葉です。三日間、読書をしないと、言葉に味がなくなり、面構(つらがま)えもだらしなくなるというのです。
 琴は音楽といえども学問と同じくらい重んぜられてきました。国学である儒学を学ぶために琴を弾ずることは必修でもありました。なぜなら儒教の教典『礼記』の中の音楽が琴にはあるからです。古代の社会において音楽は、世を治め、國を治め、人を治めるために重要な役割がありました。その思想が琴には残っているということです。そもそも儒教の祖孔子は、典礼を司る職にあって音楽家でもありました。彼に従う弟子たちも音楽の名手が数多くおり、いわば音楽集団として孔子の思想を心棒する一門であったのです。孔子の教えを遵守する弟子たちが優れた音楽家であったということを知る話があります。
 ある日、孔子は自室で琴を弾じていました。外から弟子の閔子(びんし)が聴いて言うには、「日頃子(し)の弾ずる楽の音は実によく響き、和やかで、清らかで、至道に没入するところがあります。ところが今日は幽沈な音楽にきこえる」と。幽音とはその心に利慾がある時に発する音、沈声とはその精神が腐って貪欲のために生まれる音という意味です。閔子はそのことを孔子に告げた。孔子が答えるに、「その通り。私は先ほど猫が鼠を捕ろうとしているのを見た。猫に鼠を捕らせようと思い、音楽で猫を応援してみたのだ」と(孔叢子記義篇)。
 音楽の微妙な変化を聴き逃さない耳はまさに音楽家と言えましょう。音の高さを言い当てる絶対音感教育というものではなく、その音楽によって何が表現されているかということが最も大切なことでした。孔子作曲の琴曲は「亀山操」「將帰操」「獲麟操」「猗蘭操」などが伝わっております。
  日本の奈良時代に成立した『養老令』(養老二年718)という法典に学生のための「学令」があります。その中に、「学生は、在学中、楽を作し、また雑戯してはならない。ただし、琴を弾き、弓射を習得するについては禁止しない。」とあって、学業に専念するにあたって琴を演奏することは妨げにはならないとあります。しかし音楽でも歌舞音曲を楽しむことは禁止されていました。琴は音楽といっても別格にあって、娯楽にはなり得ないものでした。また、天神様菅原道真(すがわらみちざね)は学問の神様として親しまれておりますが、道真も学生の時に琴を学んだ人でした。学問を修めると同時に琴も習得しようとしました。しかし道真は音楽の才に乏しく、学琴をあきらめ詩業に専念するという七言詩が残されています。

 琴を弾くを習ふを停(や)む   菅原道真
偏(ひと)へに信ず 琴と書とは学者の資(たすけ)と
三餘の窓の下 七条の絲
心を専(もっぱ)らにすれど利あらず 徒(いたづ)らに譜を尋ぬ
手を用ゐれど迷ふこと多し 数(しばしば)師に問ふ
斷峽 都(すべ)て秋水の韻なし
寒烏 夜啼の悲しみ有らず
知音皆道(い)ふ 空しく日を消すと
豈(あに) 家風の詩を詠ずるに便りあるに若(し)かんや
(『菅家文草』巻一 七言律詩「停習弾琴」)

ひたすらに信じる、琴と書は学者にとって学問を大成するための教養と。学問をすべき空いた時間、すなわち夜、冬の日、雨の日(三餘)に琴を修得しようとした。心を集中して楽譜に首っ引きで練習してもなかなか上達しない。指使いがうまくいかず、いちいち師にたずねてばかりである。竹林七賢人の一人阮咸(げんかん)が作曲した「三峡流泉」を弾いても、秋の川の流れは表現できない。魏の将軍の娘の作曲「烏夜啼」を弾いても母に対する子の悲しみは表現できない。学琴の友人たち(知音)は、その稚拙さに半ばあきれたように、弾琴に日をついやすことは無駄だ言う。ならば私は家業であるところの詩作に専心することにしよう。

 このように琴は学問と共に学ばれ弾かれ続けてまいりました。「琴書」という言葉に込められた意味は、学問を学ぶことと琴を学ぶことは同等の位置にあったことが知られます。
 書を読み、琴を弾く。このような清閑な時を得ることは、まことに雅趣ある贅沢な美的生活と言えましょう。





幽琴窟琴學陋室書斎



笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像● 国会図書館近代デジタルライブラリー



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