―賞琴一杯清茗― 第二回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の一    伏見 无家


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇四年七月号第五六三号掲載

『醉古堂劍掃(すいこどうけんそう)』という明代の陸紹珩(りくしょうこう)の編著になる格言集(アフォリズム)があります。そこには文人の生き方、考え方が詳細に書かれてあって、文人とは何かを学ぶために必読の書と言えるものです。『醉古堂劍掃』は清朝の禁書の難に遭い、中国においてはほとんど流布しませんでした。そのかわり日本においてはたいへん盛行して、江戸、明治大正にかけて何度も翻刻され日本の文人たちに珍重され愛読されました。原本も日本にのみ伝わっております。格言集として他に『菜根譚』が現在でも有名ですが、『醉古堂劍掃』の方が文学的ではるかに面白くまた充実しています。教訓集として読むより、文人の教科書としての読み方ができる内容です。
 『醉古堂劍掃』にはそこかしこに琴(きん)についての言葉が頻出しています。琴は文人生活になくてはならないものでした。陸紹珩は決して琴人と呼ばれる人ではありませんでしたが、文人にとって如何に琴が必需のものであり愛すべきものかを知ることができます。また茶に関するものも多くあり、明(みん)人がいかに茶を嗜み楽しんでいたかがわかります。この本の中から、文人清雅に供する琴に関するもの、茶に関するものを何回かに分けて見ていきたいと思います。
まず最初に、文人の風雅な趣について。

「雪後に梅を尋ね、霜前に菊を訪(と)ひ、雨際に蘭を護(まも)り、風外に竹を聽くは、固より 野客(やかく)の間情、實に文人の眞趣なり。」

 冬が終わって雪解けに春の兆しを求めて梅花を探し、霜が下りて長い冬がやってくる前に菊花を訪ね、梅雨時の降りしきる雨の中から蘭を湿から守り、風が吹く日には室にこもって竹の葉ずれの音を聴く。この風情がわかるのは都市ではなく野にあってこそ知れるというもの、実に文人たる者の真なる趣である。

 梅菊蘭竹の四君子になぞらえ、文人の閑適を述べたものです。季節の変わり目にいつも心を配り、季節に合わせ生活すること、自然とともに生活して行くことが文人の真の生き方と言えるでしょう。四君子に心をよせることはその徳を学ぶことにあります。梅花は百花に先立って咲くために孤高の徳、菊は百花に遅れて咲くために謙譲の美徳、蘭は深山幽谷に人知れず咲き、その香りは清楚にして王者の気があり、竹は真っすぐに伸びる純粋さ、節目正しく中が空洞のため虚心にして無欲の徳が備わっております。これら四君子を愛した歴代中国の代表的文人を挙げるなら、梅を妻とした林和靖(りんなせい)、酒杯に菊を浮かべた陶淵明、蘭を愛した黄山谷(こうさんこく)、竹を「此君(しくん)」と呼んだ王献之(おうけんし)等でしょう。彼らもまた琴を善(よ)くした文人でした。

「棋(き)に対するは、棋を観(み)るに若(し)かず、棋を観るは瑟(しつ)を弾ずるに若かず、瑟を弾ずるは琴を聽くに若かず、古(いにしえ) 云ふ、但(ただ)、琴中の趣(おもむき) を識(し)れば、何ぞ絃上の音を勞(らう)せんと。」

 囲碁の対局をするより、脇で観戦するほうがよい。囲碁を見るより、瑟を弾ずるほうがよい。瑟を弾ずるより琴を聴くほうがよい。古人は言っている、琴の興趣がわかるなら、何も絃をあやつって弾く必要はない、と。

 囲碁は琴とともに文人に尊ばれ重んじられてきました。瑟というのは琴柱(ことじ)があるコトで、お箏(こと)の大型のもの。「何ぞ絃上の音を労せん」とは「琴の深い趣を悟れば、あえて絃を弄して弾ずることはない」という晋代の詩人陶淵明(とうえんめい)の無絃琴の故事にならったものです。絃を張っていない琴を撫でさすり耳を澄ますなら、音がしなくても遠く琴韻が聴こえてくるというのです。これはとても東洋的な考え方です。「声無き声を聴き、音無き音を聴く」。無音の世界だからこそ森羅万象のあらゆる音が集まっているというのです。琴は当然ながらテクニックをもって音楽を奏す楽器ですので、やはり誰もが弾きこなせるものではありませんでした。ですから陶淵明の無絃琴の例にならって、たとえ弾けなくても憚ることなく文人の誰もが琴を所持することができたのです。「琴は藝ではなく道である」(徐祺『五知齋琴譜』雍正二年)と言います。無絃琴を奏でることは、技巧の末に走って弾琴の巧拙を競ったり、本来の弾琴の目的を見失うことがないように戒めとなったものですが、だからと言ってただ書斎の壁に絃の無い琴を懸けておくというだけでは、決して琴道に至るものではないでしょう。「琴中の趣」を知るというのは、必ずしも演奏家の技術の粋を極めるといったことではなく、琴を弾ずることによって古人の意(こころ) と会すことにあります。陶淵明は決して弾琴は上手ではなかったかもしれませんが、琴書の楽しみとしていつも絃を張り調えられた琴を側に置いていたはずです。無絃琴とは琴道を知り尽くした者だけが至る境地です。
 『醉古堂劍掃』はさらに深く述べています。

「斯(こ)の言、信(まこと)に然り。奕秋(えきしう)は往(ゆ)き、伯牙(はくが)は往けり。千百世の下、止(ただ)、遺譜を存するのみ。盡(ことごと) く人に益あること能(あた)はざる者に似たり。唯、詩文字畫のみ、博世(はくせい)の珍を為すに足り、名を不朽(ふきう)に垂る。之を総(す)ぶるに、身後の名は、生前の酒に若かざるのみ。」

 この言葉はまことにその通り。囲碁の名人奕秋や琴の名人伯牙はすでにいない。千代百代の後の今に遺(のこ)されたものは、琴譜や棋譜だけである。伯牙が弾じる琴が聴こえない今では人々に益することはないだろう。これに比べれば、詩文書画は広く世に伝わり珍宝となすに足り、名を不朽にとどめる。しかしそれでも総じて考えてみるならば、生前に一杯の酒を飲んで楽しむことの方がはるかに勝れるというものだ。

 名誉や形を後世に遺すために汲々(きゅうきゅう)として短い人生を費やすのではなく、生きている今をよりよく生きること。一見刹那(せつな)主義のようですが、そうではなく人生を謳歌するということです。酒は衣食足りてはじめて嗜(たしな)むべきもの。芸術にたいへんよく似ています。身体の糧(かて)だけでは人間は生きることはできません。心の糧となる芸術や酒がなければ、人生に何の意味も見出せないでしょう。ここで思い出すのは陶淵明の次のような詩句です。
 「盛年(せいねん)重ねては來たらず、一日は再び晨(あした)なり難し。時に及んで當(まさ)に勉励(べんれい)すべし、歳月は人を待たず。」
 血気盛んな時代は二度とはない。一日のうちに朝は二度はこない。この時におよんで充実した今を生きなければ、歳月は過ぎ去るばかりである。
 勉励とは仕事に勉め励めよということではなく、人生には時間がないのだから大いに遊んで享楽すべきだということです。淵明にとっては、充実した時を過ごすために酒を飲むに如かずと言うわけです。文人は現世的な生き方をするものですが、現世にこそ真とするに足るものがあるということだと思います。淵明は酒を飲むことについても名人でした。





陸紹珩 生没不詳。明代、江蘇省松陵の人。字(あざな)は湘客。

林和靖(九五七〜一〇二八)北宋抗州銭塘(浙江省抗州市)の人。名は林逋。字は君復。仕官せず、西湖のほとりの弧山に廬を結んで隠棲した。生涯娶らず、梅花を妻とし鶴を子として愛し「梅妻鶴子」と称せられた。

陶淵明(三六五〜四二七)陶潜。字は淵明、または元亮。号は五柳先生。諡は靖節。潯陽郡柴桑の人。四十一歳のとき、退官して田園に隠棲した。隠逸詩人、田園詩人とよばれ、「帰去来辞」「桃花源記」など詩文を多く残した。

黄山谷(一〇四五〜一一〇五)黄庭堅(こうていけん)。中国北宋の詩人。字は魯直。号は山谷道人。書家としても優れていた。「山谷内外集」がある。

王献之(三四四〜三八六)字は子敬。琅邪郡臨沂の人。王羲之の七男。草書・隷書に巧みで、「破体」とよばれる新書風を作りあげ、王羲之とともに二王と称された。また琴の名手でもあり、人琴倶亡 (人と琴ともに亡ぶ)という言葉を残した。

奕秋 不明。『論語』にあり。

伯牙 春秋時代の琴の名手。伯牙の琴のよき理解者鍾子期が死ぬと絃を断ち、二度と琴を弾くことはなかった。「知音」「琴線にふれる」という言葉は伯牙と鍾子期の故事に由来する。







幽琴窟琴學陋室書斎



笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像● 国会図書館近代デジタルライブラリー



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