―賞琴一杯清茗― 第一回
 
琴道と煎茶道      伏見 无家 


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇四年六月号第五六二号掲載

 明窗浄机の居室には薫香がほのかに匂い、古風な机案には宋端渓や文房四宝が飾られ、茶童が運ぶ馥郁たる茗を喫しながら春秋時代の璧玉を弄ぶ。あるいは『碑帖』を捲ったり『印譜』をながめたり、読書して古人に想いを馳せる。時には十竹齋の戔を前にして書簡をしたためたり、筆を弄して画を描く。窓辺には蘭鉢が置かれ、書棚には帙に入れられた稀覯の古書が整然と並べられ、壁には明清代の南宗画が掛けられている。耳を澄ますなら遠く松籟の声が聴こえる…。
 このような文人清雅な至福の時のためにもう一つ、無くてはならないものがあります。それが琴です。

 琴はキンと読み、別名古琴、七絃琴と呼ばれます。机上の王が端渓硯ならば、文人の居室、書斎の帝として古色を帯びた琴は必須のものです。「君子の常に御する所のもの、琴最も親密なり、身より離さず」(応劭『風俗通』)と言われるように琴は最も大切にされました。孔子はいつもこの楽器を側におき、ことあるごとに歌い弾じておりました。「琴棋書画」という中国六朝以来の教養人の必修科目の筆頭に位置するほど、琴は教養嗜みの最たるものでした。たとえ音楽の才が無くて楽器を弾くことができなくとも書斎の壁に琴を懸けておくことは、文人たる所以の証になるものです。陶淵明の無絃琴にならって、その琴には絃が張ってないこともあります。絃を弄さずとも琴趣を味わい天籟の音を聴くとしたのです。飾りとしてだけでもその姿は優美にして古雅、古色蒼然たる断紋(ひび割れ)が現れた琴はたいへん美しいものです。剣の形にも似て威厳があって皇帝を彷佛させ、各部の名称も人の姿になぞらえ、あるいは宇宙や自然の運行を象徴的にあらわしています。歴代の聖賢、文人高士が深くこの趣を愛し慈しみ、尊び敬い、「左琴右書」(『列女伝』)として文人居室には必要不可欠なものでありました。琴の形態様式は数十種類もありますが、その寸法は厳格に守られています。西域から伝播した楽器ではない琴は、漢文化における美意識の傑作と言ってもよいでしょう。
 琴は琴學として、その歴史や文学性を深く広く持ったものです。それを学ぶことは古人と邂逅し、古人の高き風を深く理解することにあります。琴の曲は数百曲も楽譜に記譜され今に伝わり、そのどれもが作曲者を特定できるものばかりです。一曲の琴を弾ずれば、あたかも仙界に遊び至るが如く古人の心と会すことができます。歌舞音曲といった心躍らされる音楽というより心を静め魂を鎮める音色です。未だ演奏されない多くの曲が存在し、かつて耳にしたことがない新鮮な旋律の宝庫です。紀元前からの音は時代を超越して現代音楽にきわめて近いものがあります。現在流行の中国民族音楽とは一線を画す音楽と言ってよいでしょう。
 琴は琴道として楽器の中で唯一、茶や書のように「道」が付けられ、ただ音楽を奏すだけではなく修身理性(身を修め心をととのえる)のために奏でられた楽器です。琴は「禁」に通じ邪念をはらい人心を正しくします。心の涵養、人格の陶冶のための楽器です。孔子は「詩に興り、礼に立ち、楽に成る」(『論語』泰伯第八)と語っています。人の進むべき道とは、詩を学び、礼を学び、その後に音楽を学んで初めて徳を成就することができる、という意味です。

 文人たちはこの琴に魅せられ詩心を刺激され、詩や絵画で表現しました。「弾琴図」「抱琴図」は水墨画における代表的画題です。独り月下に弾琴したり、知音なる友と語り合いながら川の畔で弾琴します。また深山幽谷の中を琴童が琴を抱え主人の後に付き従います。主人は弾琴すべき相応しい場所をさがしているのです。また隠者の棲む庵へ共に琴を聴くために出かけて行きます。
 詩に詠まれた琴は枚挙にいとまがないほど多くあります。最も代表的な詩を揚げます。

 竹里館  王維 
獨り幽篁の裏に坐して  彈琴復た長嘯
深林人知らず  明月來りて相ひ照らす

 山中にて幽人と對酌す  李白 
兩人對酌して山花開く 一杯一杯復た一杯
我醉うて眠らんと欲す 卿且く去れ
明朝意有らば 琴を抱いて來たれ

 酒と琴は最も相性のよい取り合わせですが、茶と琴というのもまた深い趣があります。明代許次紓著『茶疏』という茶書の一節に茶を喫するのにふさわしいのは「琴を弾き画を見るとき」とあります。白居易の「琴茶」という詩に「琴里の知聞は唯水+緑水 茶中の故舊は是れ蒙山」とあり、陸遊の「閑居書事」には「琴を聽き茗を煮して殘春を送る」、同「秋霽」と題した詩「琴を取って曲を理ふ茶煙の畔」。また張耒の「遊楚州天慶觀觀高道士琴棋」には「茶を烹して煮旋す新泉熟す 彈琴客に對して客は臥して聽く」、王禹偁「和陳州田舎人留別(之四)」に「茶煙靜かに拂ふ琴を聽く鶴」、梅堯臣には「依韻和邵不疑以雨止烹茶觀畫聽琴之會」と題した詩に「彈琴して古畫を閲す 茗を煮し仍ち期有り」という一節があります。このようにかつて文人たちは琴と共に茶を楽しみました。茶を喫しつつ書画をながめるならそこに必ず琴の音楽があったのです。琴と茶の深い関係は「自娯」という言葉にもうかがわれます。「自娯」とはもともと孔子とその弟子顔回の対話から出たものでした。『荘子』「讓王篇第二十八」に、孔子は顔回に仕官するようすすめるのですが、顔回は「私には琴を弾じて自ら娯しむことで足りています。」と答えた、という話があります。『魏志』「崔炎傳」にも「琴書を以て自娯とす」とあります。「自娯」は煎茶道の宗とするところのものですが、本来は琴道において言われるものでした。

 琴は遠く奈良時代に日本へ伝わりました。途中絶音の時期はありましたが、昭和のはじめまで日本の地に琴の音は響いておりました。特に江戸中期から幕末にかけて、琴を弾かなかったり耳にしなかった人物は皆無といってよいほどの流行をみました。文人への憧れ、漢文化への畏敬の念を以て琴は他の音楽とは別格に扱われ、尊ばれました。期を同じくして煎茶道が興隆してきましたが、六五〇人あまりいた江戸時代の琴人たちの中で煎茶道になんらか携わった人物はたいへん多くおります。石川丈山、増山雪齋、浦上玉堂、田能村竹田、貫名海屋、 梁川星厳、富岡鐡斎等。日本の琴道と煎茶道はその歩みを共にしてきたと言ってもよいでしょう。これらの人々についても回を改めて書きたいと思います。。
当時の琴会においては酒肴とともに煎茶も供されました。「雅筵図」などの画には必ずといってよいほど煎茶とともに琴を弾ずる人物が描かれています。明治のころの煎茶会には琴を弾じた席の記録があります(『筵展観録』富山県富山日新楼天人楼 明治二二年一月二二日)。
 一煎の茶に文人世界を逍遥し、琴音はさらにその体験を深めることでしょう。日本における最も優れた二つの芸術、琴道と煎茶道が今また再び出会することは新たな美学の発見につながるものと信じます。





幽琴窟琴學陋室書斎




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