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小枝

LDノート その1 (エル・ディ / 学習障害)
2006. 3. 27
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yummy-bunny


 わたしには、識字(読字)、計算、空間の認知、短期記憶に、LD(エル・ディ)があります。
 気がついたのは、すっかり大人になった27歳のとき。ですから、「LD」という概念を自分自身に適用した、と言うべきかもしれません。

「なんだ、そうだったのか! 」
 長いあいだのわだかまりが、すうっと溶けていくのを感じました。
 それまで、
(どうして、わたしには、できないんだろう? )
(勉強のしかたが、間違っているのかなぁ. . . ? )
 と思っては、ため息をついていたのでしたから。

 LDは、日本語では「学習障害」。
 わたしのケースを、なんて言おうか、いつも迷います。
 日常生活にいちじるしい支障をきたしているわけではないのに、「障害」と呼んでもいいものか。── それは、再発・転移がんの仲間を前にして、初発のわたしなど「がん患者」とは言えない、と感じるのと、少し似ています。
「だけど、余力のある人間が事情を語っていかなくて、どうするの? 」
 と思うようなところも……。


 LD ── 英語でも、迷います。
 Learning Disorders、Learning Disabilities、それとも、Learning Difficulties? 

1. Disorder / ディスオーダー=混乱、不調、(軽い)病気、障害
2. Disability / ディスアビリティ=能力に欠けること、無力、不利な条件
3. Difficulty / ディフィカルティ=難しさ、困難、支障、難点

 医学界では、1 のディスオーダー。教育現場では、2 や3 が使われることが多いようですが、いずれも頭文字がLDなのが、ちょっとオシャレ♪
 さらに最近では、「ただ単に、認識のしかたや学びかたが違うだけ」という考えから、Learning Differences とも。 その考え方じたいは好きですが、まがりなりにも当事者のわたしが、今、LDのDをDifference(ディファレンス/違い、差異)と言うことには、抵抗があります。毎日、「不便」は感じているんだし、まだ、「みんなちがって、みんないい」という世の中ではないから……。

 「不便」と書きましたが、そのなかみを表現するのが、けっこう大変。
 数や空間の認知については、
・ 一桁の足し算さえあぶなっかしい
・ 「かけ算九九」が思い出せない
・ 数字は四つ覚えるのがやっと
・ 左右の区別がつけにくい
・ モノにぶつかってばかりいる etc. 
 と並べていけば、想像してもらえます。難しいのは、ディスレクシア=読み書きのLD (*1)の説明……。

「文字を読むのも書くのも、すごく大変で、時間がかかる」
「黙読って、できないの」
「字を書くのは、絵を描くのと同じで. . . 」
 などと言ってみても、なかなか感じが伝わりません。

「あなたは共感性が高いし、なんでも丁寧だから. . . 」
「文章やことばを、大切に味わっているのよね」
 うーん。そんなふうに思ってもらえるのは、とてもうれしいし、自分でもそう思いたい気もするのですが. . . やっぱり、違う。
 わたしが文字を読むときには、二つのプロセスで問題が起きている気がします。
1. 文字(平坦な記号)を、「字」として認知しにくい。
2. 読んだ文字を「ことば」に変換するのに、時間がかかる。

1.  とくに眼が悪いわけではありません。二次元──映画や絵画のなかの、人の表情やかなり繊細な色のちがいも見分けられます。でも、なぜか字は読みにくいのです。
2.  文章を読むときには、まず一文字一文字を音(声)にし、次に耳の奥で単語の意味を理解し、それを映像にして、フレーズにして. . . という手続きをしています。声は出さないけれど、声帯はつねに震えているような感じで、読めない字があると、デタラメでも対応する音(≒読み方)を決めなければなりません。すべての漢字にルビを振って、一音ずつ拾っていくような読み方です。

 それで、当然ですが、筆記テストでは大苦戦。しゃかりきに急いでも、問題を読み終えないうちに終了時間が来ちゃったりして。字を書くのも遅いので、なおさらです。
 授業中、「ノートを取る」ということもできませんでした。(黒板に書かれたことを一定の時間内に書き写すのは、難易度のきわめて高い作業ゆえ)
 いまだに、外国映画の字幕には追いつけません。

 それなのに、か、だから、なのか、「文字」だと認識した図形や記号は、すべて読もうと反応します。それで、都会のドライブは(免許は当然ないので、乗せてもらうだけですが)、とても苦手。音楽を流すなどしておかないと、目に入ってくるサインや看板を片っ端から読んでしまうのです。

 ♯ 右折禁止、24 時間、つり具、OlOl、カメラのキタムラ……
 ♭ ミギ、オル、ウセツ、キンシ、ニ、ヨン、ニジュウシ、ああ、ニジュウヨジカン、ツリ、ツリグ、マルイ・マルイ、カメラノキムタク、じゃなくて、キタムラ……

 眼や耳の奥も疲れるけど、一つ一つの音に色がついている感じなので、なによりも、頭の中がうるさくて…… (;>_<;) ビェェン。
 きっと、外界からの刺激を取捨選択することも、うまくないのでしょう。わたしが街を歩くとき、やたらぼんやりしているのは、音や光や色の洪水に巻きこまれないためなのでした。

 字の読みにくさは、アルファベットでも同様です。
 英語(=唯一、読み書きのできる外国語)でも、やはり「文字→音声→ことば→映像」という感じで、かたつむり読み。スペルも滅茶苦茶です。
 大文字( i の点さえないし、みんな、背丈が同じ! )で書かれた英文は、判読じたいが困難です。たとえば、COLOR と color は、わたしには別々の単語。大文字は、初見では図形にしか見えません。字として読もうとすると、シー・オウ・エル…。 ABC や IBM みたいです。
 COLOR を color にするのに、いったい何秒かかるのか……。

(えっと、シーじゃなくて、ク. . えっと、オ、ル. . オ、r. . カ、ラー? )
 こんな調子なので、カラオケで、英語のうたの歌詞が、大文字で出てくると、完全にアウト。しかたがないので、スキャットです。(笑)
 もちろん、大文字のアルファベットに不慣れなことが一因でしょう。でも、小学生のときから英語塾に通って、幾星霜. . . 。とくに、ここ数年は、ほとんど毎日、何時間も英文にふれているのですから、やはり「苦手の域」は超えています。^^

 読むことと比較したら、リスニングは得意です。聴覚に頼ってことばを覚えるからか、声のピッチやトーン、緩急のつけ方、イントネーションなどから、話し手の伝えたいことや気分は、なんとなく受け取れます。
 相手の表情や、ジェスチャー、リズム、発音をまねるのは、もっと好き♪ スペイン語でも中国語でも、ネイティヴの人たちと一緒にいると、無意識のうちにまねて、彼らとそっくりに動いたりしています。





 今では、コンピュータやオーディオ機器のおかげで、いろんなことが、とても楽になりました。
 なかでも、ワープロのソフトウエアには、「様」をつけたいぐらい♪ だって、時間当たりに、書いたり写したりできる文字の数が、"爆発的に"増えたのですから。アルファベットの26の音と、あと少しのキーを、指が覚えさえすれば、からだの中の音声が、「文字」になるなんて、ほんとうに魔法のようです。
 ワープロなしでは、一日だって暮らせないかもしれません。友だちに三行の手紙を書くときでさえ、まず「一太郎」で文面を作り、それを印刷して、便箋に書き写しているのですから。ほとんど「ペン習字」の世界ですが、わたしには、そのほうがずっと楽なのです。
 メールや、シンプルなデザインのウェブサイトでさえ、文字は読みにくいので、ほとんどのテキストを、「一太郎」の画面に移して読んでいます。掲示板などのコメントも、「一太郎」で読んで、お返事を作ってから、もとのサイトに貼りつけにもどる、という. . . 。(*2)

 それで、わたしは、ワープロを、文明の利器 No.1 にあげたいほど。
 もちろん、機械は「ことば(=音声)」を「文字」に変換するのを手伝ってくれるだけ。想いを、ことばにすることの難しさや、ことばにして定着させてしまうことへの怖さ(=責任? )を軽減してはくれないのですけれど……。

yummy-bunny


 さて、以上が、わたしのおおよその現実です。できるかぎり正確にと心がけました。ですから、
「ふーん、そういうところがあるわけなのか」
 ぐらいに思っていただけると、うれしいです。
「九九ができなくても、サイト作れるんだし、踊りもうまいんだし」
 なんてことは、もうあまり言われたくない、かも。^^ 
 じつは、2001年に。このサイトを開設してから、(ことに03年、カニグズバーグ作品の改訳問題にかかわってから)、「文字どおり」に受け取ってもらえることが減ってしまい、少々へこんでもいました。

・ 文学も英語も、まったくのシロウト/門外漢です。
・ 英語の力は、辞書があれば、子どもの向けの本を理解できる程度。

 事実を、そのままに伝えても、

「まあ、ご謙遜を. . . 」
「もっと自信を持たれたほうが. . . 」
 とかなんとか、言われてしまうのです。なかには、
「自らの弱さ・至らなさを前面に押し出しながら共感を得ているよう. . . 」
 と、感じる人もいるらしくて、もうビックリ。

 ──「謙遜」ができるような余裕が、わたしにないのは一目瞭然じゃないのかな?  それに、自分のこと、弱いとか至らないとか思ってないし。
 困ったり迷ったりしたときには、信頼のおける人に相談してみるのが一番いい。03年の時点で、信頼ができたのは、作者のカニグズバーグと、それまでサイトを読んでくれていた人たちだった。彼らを頼ったのが、「弱さ・至らなさを前面に押し出して……」ということになるんだろうか? 

 それとは別に、「弱さ・至らなさを出したら、何がいけないの?  」という議論もしたくなっちゃう。
「できないこと」を周りの人に知っていてもらうのは、すごく大事なこと。とくに一緒に仕事をするようなときには。おたがいの「できること」や「限界」がわかっていると、効率がいいし、なによりも無用なトラブルがふせげるもの。「ミスは、どんどん指摘してね」とか、「時間がかかってもかまわないなら、この部分は、わたしにさせてみて」とかも、言いやすい。

 それに、弱さや至らなさを見せることが恥だと思ってるような人ほど、重い病気になったりすると痛ましくて、見ていられないんだけどな. . . 。





「まあ、ご謙遜を. . . 」
 じつは、これって、出版社にお勤めの編集者や、翻訳家、英語の先生といった人たちから言われることが圧倒的に多いのです。それぞれが、ことばのスペシャリストなだけに、orz(がっくり)。
 そして、そのうちの何割かは……、
「英語は、どちら(の大学)で. . . ? 」
「翻訳は、どなたにご師事を? 」

 ──「大学へは行ってないんです」
 ──「翻訳の勉強もしていません」
「えっ?  …………」

 絶句したいのは、こっちだっちゅーの! (なつかし)
 これが、この国の文化や教育を担っている人たち. . . ? 
 思わず、ぼんやり。 遠い目をしてしまいます。

 ──きつい先入観なのか、定番の社交辞令なのか、なんだっていいけど、少しはシミュレーションしてほしいな。たとえば、どんな想定外の答えが返ってきても、「オウム返し」だけはする、とかサ。 そんなんだから、カニグズバーグの本も、あんなになっちゃったんでしょ!
 もしも、「あたし、大学に行けなかったんですぅ」って泣いてみせたら、かわいそうに思ってくれたかしらん?  そしたら、すかさず、「同情するなら金をくれ! 」よね、やっぱり♪
 だいたい、向きあって三十分も話してるんだから、同系の匂いがしないってことぐらいは、生きものとして、わかりそうなものなのに。

 ああ、だけど、そんな本能は、みがかなくてもいいのね。知識や情報も、この社会で生き延びるためには、つかう必要のない人たち. . . 。
 彼らの「のほほん」と、わたしの「ぼんやり」との、なんという違いだろう。
 接点なんか、見つからない。見つけたくもない。





 その後も、何度か、失望したり、なげやりになったり、「アル症」にもなったりして. . .^^  今、思います。

 彼らのような人たちと、親しくなるのは無理だとしても、せめて不可侵条約を結べないものだろうか、と。
 このままでは、障害を持つ子どもたちだけじゃなく、すごく多くの子どもたちの未来が、明るいとは言えないもの。

 では、どうしたら?  ── まだ、わかりません。
 でも、小さな声をあげていくことの大切さは、この数年、医療や出版のことで、ずいぶん「学習」できました。だから、LDのことも少しずつ. . . と思っています。こんどは、もっと、「文字どおり」に受けとめてもらえるように、ことばの練習や、工夫を重ねながら……。

 
追: 「あなたが、好きです」
─わたしのような誰かが、そう言ったときには、どうか信じてください♪
 Because, I really love you . . . she/he truly loves you.



 注

1) Dyslexia ディスレクシア(ディスレキシア): 
 読み書きはできるが、遅く・間違いが多いという兆候を示し、完全に読字能力を欠く失読症状とは区別される。ディスレクシアの人々の症状は、一様でなく、個々人ごとに、苦手の様相や程度が異なる。

*世界保健機構の定義より、少し抜粋。↓
──Specific Reading Disorder:読字力の発達の顕著な特異的障害をおもな徴候とする。読みの理解、読みによる単語認知、文字の読み上げ、および読みを必要とする課題処理、などのいずれも障害される可能性がある。つづりの困難を伴うことも多い。

2) このサイトが、固定フォント・サイズ(ウェブ制作上、ちょっとルール違反≒ユーザに不親切)なのも、わたし自身の「読みやすさ」を優先しているからなのでした。〃⌒―⌒〃ゞ




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 上の文章は、mixi (ミクシィ)の日記 (3/18)がもとになっています。そちらに書いたときに、二つの質問を受けました。そのときの受け答えは次のようです。

1.  やみぃさんの場合、「かな」と「漢字」で認識のしかたに違いがある?
2.  あなたに手紙を書くとしたら、「漢字まじり」と「かなの分かち書き」と、どちらが分かりやすいの?

1. かなは「音の記号」で、漢字は「絵」のような. . かんじかな、なんちゃって。アルファベットの小文字は、やはり「音の記号」。大文字は、幾何学の図形みたいです。

2. 難しい字がなければ、「漢字まじり」のほうが、ずっとわかりやすい。
 ただ、「ら致」「辛らつ」といった表記だと、一度、「らイタス」「ツラ?  カラ、らつ? 」を通過しなくちゃなので、かえって面倒なの。だから、「拉致」「辛辣」とあって、「ふりがな」があるのが一番うれしい。読みも、覚えられるし。でも、漢字のわかる人にとっては、ルビってすごく邪魔だって聞きました。

 あと、「辛い」もそうですが、「訳(やく・わけ)」みたいに、読みかたが二つある字が苦手です。
 たとえば、翻訳の話の中に「言い訳」ということばが出てくると、「イイヤク」の音から来る「良い訳」のイメージが混入しちゃって。不協和音というか、濁った色というか. . . 一瞬ですけれど。

 それから、ある程度、行間や余白があると、読みやすいです。
 mixiのページは、行間が少ないせいもあって、苦手。それで、ワープロに移すんですけど、じつは、そのほうが、「辞書引き」機能のおかげで、漢字の読みや意味を調べるのも、ずっと楽なの. . . ♪

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