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小枝

LDノート その2 (エル・ディ / 学習障害)
2006. 6. 17
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 夏風の吹くにつけても / 4×4=12


 あーん、またやってしまった。
 一年が16ヶ月、だって! 計算にもLD(学習障害 *1)があるから、数を数えるようなときには、すごく注意しているのに. . . 。

 はじまりは、先日、友人からまわってきた「自己紹介バトン」というアンケート(*2)。
 わたしは、恋に落ちたい「タイプ」の例として、

 > 一晩〜四ヶ月ぐらい、おつきあいするのなら、
 > ロッド・スチュワート、坂本龍一 ……のような人。

 と書いたのだけれど、そのとき一年を16ヵ月にしてしまっていた。そして三日後、なぜ「四ヶ月」なのか理由を聞かれて、返事を書いたときにも、自分の間違いに気がつかなかった。

 > 万が一、"のような人" に誘われたら、わたし絶対についてっちゃうなぁ、
 > だけど、たとえ(万が一)すごーく相性がよくても、きっと "のような人" とは、
 > 季節が変わるころには、「楽しかったね」ということになって……、
 > などなどを思っての、4ヶ月です。

 きっと友人たちは、「ん?」と感じたとしても、「季節がすっかり変わりきったころ」の意味に取ってくれたと思うし、遊びの中のことでよかった。これが経理みたいな仕事の最中だったらと想像すると、めまいがする。
 こんどのミスじたいは大したことじゃないが、問題は、わたしが "たまたま" うっかり間違えた、のではない、ということ。
「一年は12ヶ月、季節は4つ。夏のはじめにつきあい始めたら、秋風が吹きはじめるころには、飽きの風もやってきて……、七、八、九……」

 そう、わたしは何度も指を折って数えて、そして確認したのだ。
「シシ、ジュウニだし。うん、やっぱり4ヶ月でいいのよね!」

 つまりは、かけ算九九ができないだけでなく、指の折り方もどこか違ってしまっているわけで、わたしは、計算がどうこう以前に、「数というもの」がよくわかっていない。
 まったくもって、「あーあ」である。
 ずっとこの調子だから、慣れてはいて、あきらめてもいて、それでもときどき、呆れてしまう。我ながら、あきあき。──こんなふうに聴覚刺激(ここではAKIの音)に、やたらに反応するのもわたしの癖の一つで、この癖にもちょっとウンザリしてる──


yummy-bunny




 こうして書きながら、あらためて思うのは、わたしが、ほんとうに多くの人たちに甘えて生きてきた、ということ。
(あ、なんだかもう、ちょっと泣きそう. . . )

 子どものころ、親や教師たちは、わたしの「わからなさ加減」を理解しなかった。──それは仕方がないと思う。ぼんやりしているくせに、話すことは変に理屈っぽかったりしたし、得意なことなら、学校で一番ぐらいに上手にこなすのだったから。わたしのバグや穴は、大人には見えにくいものだったのに違いない。

 でも、小学校の友だちは違っていた。
 わたしが「右」がわからなくて戸惑っているときに、すっと手を伸ばして、右のひじのあたりをさわってくれる子が、どのクラスにも必ずいた。
 特訓して覚えた(はずの)九九が、思い出せないでいると、先生には聞こえないぐらいの声で、答えを教えてくれる子がいた。
 「駅の、北口……?」と口ごもると、「富士山のほうサ」と、班のみんなの笑顔が返ってきた。そして、誰かしらが言うのだ。
「通り道だもんで、おまえっち寄るよ。いっしょに、な?」

 思えば、それから中学、高校、数々のバイト先や職場でも、ずっと親切にしてもらってきた。もちろん、中にはイジワルな人も、わたしに対してウンザリする人もいた。(体育館の裏や更衣室に呼び出されてぶたれたり、靴にカミソリの刃やビョウを入れられたことも、何度かはあったし ^^) だけど、そんな人たちは、ほんの5%ぐらい。(なーんて、わたしの算出した数字では、もはや何の説得力もないけれど)


 そういえば、昔々「家出少女A」だったときにも、暖かい人たちに会った。
 お金に困ったわたしにバイト代を先渡ししてくれたバーのママ。毎晩のようにご飯を食べさせてくれたとなりのキャバレーのお姉さん。質流れのテレビをかついできてくれた質屋のおじさん……。みんな、わたしが間違っているときには、お説教もしてくれた。それぞれの語り口で。
 ──こんな雨の夜には、たくさんの声を思い出す。





 がんが見つかってからというもの、わたしは周りの人たちに深く支えてもらっていることを、さらに、さらに実感……。そして、去年アルコール依存症になってからは、もう、ほんとに泣いちゃうぐらい♪

 それで、よく自助グループの中で耳にする、
「病者の気持ちは、病者にしかわからない」
 という言い方は、事実に反すると思っている。
 同じ病気の人どうしだと、お互いの状況や気持ちが想像しやすいというだけだ。もちろん、そんなふうに言いたい人たちの気持ちもわかる。一番の理解者であってほしい腫瘍科医や精神科医の中にも、病者への想像力なんかカケラもない人が、けっこういたりするから。
 でも、「医は仁術なり」と教わってきたはずの専門家でさえ「想像すること」が難しいのだとしたら、病気についての知識のない人には、もっと難しいということで、それは小さな希望でもあると思う。だって、「知りさえすればOK」な人が、あちこちにいる(かもしれない)ってことだもの。
 そしてこのことは、あらゆる「少数者」に対する理解. . . みたいな文脈で言えそうな気がする。

 もちろん自助グループは、わたしにはなくてはならない場所だ。でも、だからといって、その中で、病気や障害には関係のない話までしてみたくなるような人と出会える確率は、取り立てて言うほどには高くない。

「じつは、HIVもポジティヴなの」 
 友人が、あるがん患者の自助グループで、そう打ち明けたとき、かなりのメンバーが引いた。彼女のことをあからさまに避けるようになった人も少なくなかった。もちろん「肝転移+HIV」という事態の深刻さに、
「なんて言ったらいいのか、わからないから」
 という人がほとんどだっと思う。
 だけれど、友人の感染経路を、わたしに訊いてきた人たちがいたのも事実だ。──輸血によるHIVには同情するが、セックスや麻薬の注射針で感染したのなら "自業自得" という考え方。彼らには、良いエイズと悪いエイズがあるのらしい。

 たぶん、そんなこともあって、
「病気を経験すると、弱者に対する優しさや思いやりが生まれる」
 という言い方も、ちょっと違うと思っている。優しさや思いやりが「生まれやすい」だけ。
 第一、病気をしなくても、できないことなんかなくても、優しい人はいるもの。──そう、わたしのひじをそっとさわって、「右」がどっちか、教えてくれた子たちみたいに。


 ロッド・スチュワートのスタンダード集を聴きながら、とろとろ思う。
「やっぱり、ついてっちゃうな . . ♪」
 そして、わたしは、いつもトロトロ、もしや一年を16ヵ月分ぐらいに楽しんでいるのかもしれない、なんてことも思ってみたり。
夏風の 吹くにつけても とはぬかな. . .


アメリカンソングブック 日本語版
試聴は、米・Amazon の(Listen to Samples)で.






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 注

1. 計算のほかに、読み書き(ディスレクシア)、空間の認知、短期記憶に、LDあり。詳しくは、LDノートその1 を。
2. アンケートの設問の一つと、それに対する答えは、次のようでした。

  ◆ 好きな異性(または同性)のタイプは?
 うーん. . .?  バランスの、ほどよくいい人、かな。
 わたしは、難しいところがまったくない人には恋はできなくて、でも、多すぎる人とはつきあえないので。 
  それから、"非常に" めんくいだと自分では思います。友人たちに言わせると「そうでもない」のらしいですが. . . 。

 「タイプ」──
・ 何年もずっといっしょに暮らすのなら、
  ケヴィン・ベーコン、ヒュー・グラント、橋本治、
・ 一晩 〜 四ヶ月ぐらい、おつきあいするのなら、
  ロッド・スチュワート、坂本龍一、……のような人。
・ 女性で、思わず見とれてしまうのは、
  吉行和子、シャーリー・マクレーン、小泉今日子、etc.




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LDノート その1


 上の文章は、mixi (ミクシィ)の日記 が もとになっています。
See: http://mixi.jp/show_friend.pl?id=1670149



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