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― その1
2003. 9/12 〜 12/02

翻訳・出版について
ショート・ショート
音読・黙読、ネコの着ぐるみ
長めのお便り
皆さんから岩波書店へのメール

*Special Thanks



翻訳 & 出版


*おもに自然科学の翻訳に携わっています。
  取り上げられている三冊、かなり雑な作りですね。
  もしかしたら、誰かに下訳を頼んでいて、その文章を見直さずに出してしまったのかも. . . 。
  下訳を使うのは悪いことではないけれど、最終的に同じトーンにまとめ上げるのは翻訳家の仕事です。技量のないのはもちろん、誠意も感じられません。それを見落とした編集者の責任も大きいでしょうけれど. . . 。
  私たちは翻訳を終えてから、さらに日本語として意味の通じないところはないか、こなれていない箇所はないか、雰囲気を壊すような表現はないか、当然ですが何度も詳細なチェックを重ねます。
  仕事に対する責任感と、作品への愛が欠けるのではないかしら。最初からフィルターをかけるつもりなら、翻訳とはいえません。― M.A


* 岩波の「邦文」には驚きました。 原文がすけて見え、日本語として苦しく、その上正確性まで欠いては、英文和訳とすら呼べませぬ。これを児童に読ませ、その上お金を取るなんぞ詐欺的行為でございましょう。やみぃさんの論調はまだまだ手緩いと思いますぞ。(笑)  最高責任者からの正式な釈明を聞きたいものですな。― T.T


* 言葉遣いに一貫性がないのは、複数の下訳原稿をチェックせずに貼り合わせたからか?   もっとも、clever、good、smart、God bless. . .  何でもかでも、「おりこう」にしてしまうような所は、バラバラとは言えないが。意味不明や日本語になっていない箇所に関しては、下訳の人間が安い翻訳ソフトでも利用したのか、という感じさえする。
  それにしても、下訳を整理して破綻のない作品に仕上げるのが翻訳者の仕事だろう。それをネイティヴチェックして、文学作品としての日本語に仕上げるのが編集者の役割だよね。奥付を見ると、あなたの指摘している三作品は、ごく近い時期に訳されているようだから、急ぎすぎたのかもしれない。訳者にも編集者にも能力を越えた仕事だったか。 ― としたら、企画自体の失敗だろう。
  新興の出版社ならぬ「岩波書店」の本だということ、なおかつ児童書だということで、より罪が重いと思う。ブランドにあぐらをかいてしまった結果なのだろうか。先の「雪印」みたいだ。― K


* ただただ衝撃を受けています。翻訳家のスキル不足については論外ですが、はなはだ気に掛かるのが、「ちょー」や「むかつく」といった新語や、タルーラの「ら抜き」表現です。
  岩波書店では、それらを文学の言葉として、クラシックとして認めている、ということですね?  あるいは、そうした統一基準さえ存在していないのでしょうか?  ― C. M


* 手慣れたせいで惰性に陥ってしまったのでしょうか。駆け出しの頃の翻訳は、これほど杜撰ではなかったはず. . . 。ご病気をされたとか、プライベートで忙しかったとか、きっと何かしらご事情があったのでしょうね。
  でも、作品として世に出す以上、どんな言い訳も通用しません。ベストが尽くせないと知りながら引き受けたのだとしたら、プライドが浅すぎます。私だったら途中でもお断りします。仕事は結果がすべてですから。もちろん編集サイドの責任も重大だと思います。
  翻訳書の失敗は、作家や作品の評判にもかかわるし、読者が多ければ多いほど、被害は大きい。そしてその被害は今も広がっているんです。書店の早急な対応を望みます。― Y.W (イラストレーター)


* 一冊ならまだしも、事例のように数点が粗悪な場合は、たとえ作家本人からの要請があっても、全面的な見直しは難しいでしょう。
  思うに、文庫だけでなく作品集になっているのがネックでしょうね。版から作り直すのには多大な費用が掛かります。出版社では、いくつか部分的な修正を約束して、あとはテイストの問題として片づけようとするでしょう。
  彼らに期待はしないこと。あなたの落胆が大きくなるだけです。カニグズバーグの読者のために、こつこつと正誤表を作ることをお勧めします。― W

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ショート・ショート


* 翻訳者の作品への思いも、日本語のプロとしての意識も欠如している。ましてや、読者に対する意識は全くないようだ。― T


* ご指摘のような本が、今日も本屋さんで子どもたちに売られているのかと思うと、ほんとうに悲しいです。岩波書店は、現行訳をただちに回収し、出版し直すべきだと思います。― H.K


* たしかに悪い点はあるのでしょうが、翻訳や編集の方々も、真面目に一生懸命お仕事されたはずです。ここまで厳しく、一方的に言われてはお気の毒です. . . 。― M


* 本だけでなく、映画の字幕などでもいつも思うのですが、翻訳って、やはり、共鳴や共感があって、愛があって、はじめてできることだと思います。そこに深い理解がなければ、言葉の違う相手が書いた作品を、翻訳などできません。岩波書店に心ある人がいてくれることを祈っています。 ― M.K


* あなたは、原作の意図や作者の気持ちにこだわり過ぎていると思います。訳者にも出版社にもそれなりの思想や自負があってのことでしょう。畢竟、翻訳書は「翻訳家の作品」です。― G


* 要するに、訳者も編集者もカニグズバーグを好きではない。英語にも日本語にも興味がない。つまり人間を好きではない、ということでしょう。 ― N


* 僕は児童文学にはまったく疎く、カニグズバーグも知りません。だからかえっていいのかも知れません。やみぃさんが抱いたやるせない感情がそのまま伝わってきました。驚きと嘆き・・。黙っていることも出来るけど・・耐えてはいけない時があります。それを許せば自分ではなくなる・・そんなときがあるものですね。― T.N


* 英語ができないので詳しいことは解りませんが、このような形で攻撃して、訳者や解説者が可哀想だとは思わないのですか? お仕事がなくなってしまうかもしれないのですよ。誹謗中傷、名誉毀損にもなりかねません。私も以前、ネットの世界であることないこと言われました。インターネットは恐しいです。 ―  U


* おぬしやるな。 ― T.S


* やみぃさんの「冒険」、めざすゴールはもちろんですが、その道のりも素敵です。読みものとしても「法廷小説」みたいで楽しいです。陪審制だったらいいのに. . . 。 一緒に旅をさせてくれてありがとう♪ ― Y.I


* やみぃさんの切ない気持ちは、重々察しつつも、岩波版の「後ろ足の股間」とか「ちょろちょろお毛け」といったエゲツナイ表現に爆笑してしまいました。ほ〜んと卑猥だよねぇ。他にも、懐かしいの意味の old が、「ずいぶん老けこんだじゃないの」など、あまりに可笑しいので、記念に一冊買っておこうかと思っています。 ― R. E


* ビジネスとして考えると、今回の岩波さんのケースは、外注先を過信してか、何段階かのチェックをすべて怠り、不良品を出荷してしまった、ということですね。今後、報告ミスや誠意のない対応が、多くのお客さまを激昂させてしまうことのないよう、祈るばかりです。
  などと言っては、貴女のピュアな雰囲気にそぐわないかもしれないけれど、お許しを。(笑)
  応援しています。― I.Y


* 昔々、岩波少年文庫が大好きでした。ですので、最初はやみぃさんの告発が信じられず、実際に買って読んでみました。すべてご指摘のとおりで、改めて大きなショックを受けています。そして、やみぃさんのつらいお気持ちも痛いほど分かりました。何がどうなっているのでしょうか。私もかつての少年文庫のファンの一人として考えていきたいと思います。― O


* あなたが「酷評」なさっている翻訳文は、キャラクター設定に無理があることや、統一感のないことを除けば、一つ一つの単語の訳はそれほど悪くないと思います。神経質になりすぎなのでは?  ― Y. F


* 某自動車メーカーに勤めています。僕たちの世界でこんな間違いがあったら、即刻リコールですよ。製品には繰り返し、ありとあらゆるテストをして万全を期します。それでも欠陥が見つかる場合があるのです。そのときにどう対応するか、その後どう改良していくかで、企業の在り方が問われるのです。出版社にも誠実さと責任感を求めたいですね。― W


* 頼まれもしないのに、こんな馬鹿げたことをしているやみぃさんは、すごく偉い!  ご住所を教えてください。差し入れくらいしたいです。チョコレートは好きですか?  ―  N. A


* 『エリコの丘から』のタルーラは、莫連(ばくれん)女のようにされてしまったのですね。それに、目に見えない状態が「透明人間」だなんて。本当にひどいこと. . . 。言葉に対する感性は、いつどうしてはぐくまれるのでしょうか。翻訳の方は、失恋も大きな失敗もなさらず、内省の必要に迫られることもなく、ずっと順風満帆に暮らしていらしたのでしょうか . . . 。 いろいろを思います。 ― I. I

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音読 & 黙読


* スロー・スロー・クイック。音読と黙読についての話に感激しました。あなたは絵のように文字を感じ、音楽のように言葉を聴いているんですね。きっと少し不便かもしれない。でも不自由ではないですよね。誰よりも深く自由なんだろうと思います。これからは僕もスローに「音読」をしてみます。― J


* 「子どもの本は、ゆっくり、声に出して」というご意見に同感です。訳者も編集者も音読をして推敲を重ねるべきですね。一語一句おろそかにせず. . . 。私は短歌をたしなむ程度ですが、それでも日々一語の重さや、音やリズムの大切さ、そしてその怖さを感じています。
  子どもの本は、美しい日本語で書かれねばなりません。― M


* やみぃさんが音読をしているという文章に、ハッとしました。実は私、黙読のできない人がいるなんて頭になかったんです。私も小さい頃は音読でした。母方の祖母は生涯音読でした(新聞なども声に出して読んでいたんですよ)。それなのに私は、音色も呼吸も忘れて、本というものをただの情報源としか考えないようになっていました。子どもたちへの思いやりも欠けていました。恥ずかしいことです。
  これからは少しゆっくり、時には声を出して「本」を読んでみようと思います。
  更新を楽しみにしています。これは、子どもだったことを、「心」でも「からだ」でも忘れないやみぃさんだからこそできる仕事だと思います。― H. K



猫の着ぐるみ etc.


* 冒頭のページの「猫の着ぐるみ」の話では、思わず笑ってしまいました。
  そう?  ほんとうに?   じゃあ、おんなじだ、わたしと. . . 。 ― A


* 「猫の着ぐるみ」ということ、私にもよく理解できます。でも、私は、本当に脱げない. . . 。大好きな、そして大切なことのために、やはりそれを脱ごう、という決心をしたあなたは、もう、大きな海に漕ぎ出した人のようで、その海がきらきら輝いているように私には見えます. . . 。― Y


* 真面目になりすぎるのが怖い、ということ分かります。私も、遊び心を失ったら壊れてしまうから。墜落や衝突を避けるために浮遊しているのです。でも、今日ふと思いました。私もそろそろ脱いでみようかなって。"柴犬の着ぐるみ" ♪ ― J


* 「猫の着ぐるみ」を脱がなくちゃ、っていいですね。でも、やみぃさんて、着ぐるみの下にまだまだ着ぐるみを着ていそう。パンダのとか、トナカイのとか。「おーい、脱いでも、またファスナーが見えてるよ〜 ! 」って感じ。何枚でも、どんどん脱いじゃってくださ〜い♪ ― N


* 「現実に確かに存在しているものを無いことにされた時の、不信と焦りと無力感の合わさったような気持ちでした。」という言葉に涙があふれました。あなたの情熱がどこから生まれるのか、わかるような気がします。たぶん私も同種のような. . . 。(笑)
  それにしても、原作者ご自身が動かなければ、何も変わらなかったのでしょうか。私たちの日本語に起きている問題なのに. . . 。 ― T


* 『トーク・トーク』の「胸を作る」という誤訳のこと、乳がんの仲間はわかるだろうけどっていうの、最高です。私も乳がんで、再建もしました。・・・ やみぃさんを見ていると、病気でも楽しいじゃん! って思えてすごく嬉しいです。私も、好きなことに打ち込んで、生きたいです。
  それと、あの部分の間違いは、ブリスケットだけじゃないんですね。試訳の方では、カニグズバーグさんのお孫さんは「すでに生まれいる」んですもんね。でも、それについては書き立てない。でしょ?  最近、やみぃさんのそういうところを探すのが密かな楽しみになってます。(笑)  がんばってください!  ―  S.S.

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ロング・レター



* いつも楽しく拝読しています。・・・ ・・・ 不景気だし、特に今本は売れないから、とにかく刊行することだけを目標に、お金も時間もケチったのだと思います。丁寧な作りをしないと、ますます売れなくなって悪循環なのに。活字離れを嘆く側が自らそれを助長しているなんてナンセンスの極みです。

  それから、やはり「女・子ども」が低く位置づけられているのだと思います。
  物知りの友人によれば、TVや新聞、出版界では、優秀な人材は政治や経済を受け持ち、家庭欄や子ども向けの部署は左遷場所、という噂もあるそうです。
  "セサミストリートと日本の子ども番組を比較して、日本ではスタッフにも出演者にも一流どころを持ってこないんだ。少子化が進み、子ども関連商品は良いマーケットになっているはずなのに、相変わらずの低予算・低品質" と言っていました。確かに一理も二理もあります。
  子どものために物を選ぶ大人、つまり、我々消費者が一様に馬鹿にされているんですよね。

  岩波が「児童文学」を一つの売りにしているにも拘わらずこの有様なのだとしたら、恐らくは巷にあふれている問題なのでしょう。活字を鵜呑みにしたり、妙に有り難がったりするのは、今や愚かなこと。我々一人一人の見識が問われているのです。・・・(中略)・・・

  タルーラの作り方や、『ティーパーティーの謎』のノアの歪め方などを見ていると、それこそ「女・子ども」への差別と呼ぶべきものを感じます。少なくとも訳者には、艶やかでゴージャスな女性や、頭の良い恵まれた子どもに対する偏った思い込みがありますね。読者のことも、ステレオタイプや下世話な "子どもだまし" しか喜ばない、くらいに見くびっているでしょう?   いずれにせよ、作家が魅力的に描いている人物たちを、("敢えて"とは申しませんが)貶めてしまっているのですから、その屈折度はかなり重症なのでは? 

  あなたの主張には100%賛同しますが、少々優しさが過ぎます。どうぞ手加減などなさらず徹底的にご批判くださいませね。(笑)

― T.A




* 私も、カニグズバーグが大好きでほとんどの作品を読んでいます。またやみぃさんと同じように最近の邦訳には疑問を感じていました。・・・(中略)・・・

  『エリコの丘から』から、映画の「禁じられた遊び」を連想したとありましたね。どの物語にも、平和への想いが、遠い原風景のように、静かな対旋律のように流れている、と。 まったく同感です。

  カニグズバーグは、決して声高ではないけれど、つねにさまざまな多数派ではない人たちに心を砕き、平和や解放や人間の本来の在り方を描いてきた作家ですね。とくに、窒息しそうな優等生や、疎外されて孤独な、あるいは、風変わりで生きにくい子どもたちのために。そういった子どもたちには、直接エールとして受け取れるようなメッセージがどの作品にも込められていますもの。

  でも私は、そのことが今回の事件の原因ではないかと思っています。ご自分たちが多数派に属すると信じて疑わないような人たちが翻訳や編集をなさったために、大きな読み間違いが起きたのではないかと。

  例えば、『800番への旅』の訳者の方は、2001年4月の時点のインタビューでですが、『800番への旅』が "一番好きな作品" だと、答えておられるんです。(参照: 『月刊児童文学翻訳』)
  にもかかわらず、その作品に、あれほど不備が多いのは、単に翻訳技術の問題だけでなく、「解ったつもり」と「解った」を混同しているからではないでしょうか。

  そのインタビューでは、

「そのほかの作品を読んでも、本当の知性とは何かとか、蚊帳の外に置かれた子どもの気持ちとはどんなものかとか、いろいろ考えさせられます。」

とも言っておられて、「ああ、これか」と思いました。

  蚊帳の外に置かれたことがなかったら、カニグズバーグ作品の根底にあるものを理解するのは難しいですよね。少なくとも、中に入れない子どもの悲しみを、「どんなものか考える」のではなく、自らの痛みとして受け止めるような感受性なり想像力がなければ、カニグズバーグの翻訳など不可能だと思います。
  『トーク・トーク』の訳者の方が、ブリスケットを見落としたのも、根の部分は同じではないでしょうか。原作者にも読者に対しても、不遜でおられるのです。

  「カニグズバーグ作品の邦訳に論理の破綻があってはいけない。それでは、カニグズバーグを一番必要としている子どもたちに届かない。」ということを、やみぃさんはお書きでしたね。まさしくその通りだと思います。

  疎外感や孤独のせいで傷ついている子どもには、信憑性と整合性が頼り。他人の言葉など簡単に信用しては危険ですものね。その「嘘」を嗅ぎ分けるセンサーは鋭敏で、どんなに小さな矛盾も見逃しません。
  だから登場人物の話し方が変だったりしたら、もうそれだけで、物語は意味を持たなくなります。それどころか、一瞬にして「警戒すべきもの」になり得るんですよね。お為ごかしは通用しません。「なんだよ、嘘つき! 」と言って本を捨てる子もいると思います。

  甘ったるい大人は、そういった子どもたちの存在には気づきません。その悲しみも、その怖さも知らないままです。たとえもし見かけたとしても「子どもらしくない」と例外扱いをするだけです。
  今回の岩波の皆さんも、おそらくは砂糖漬けで、だから、穴だらけの本を出版しながら平然としておられるのでしょう。
  それこそはカニグズバーグが最も嫌うことだと思うのですが、皮肉ですね。

  やみぃさん、心から応援しています。お返事のご心配はなさらないでくださいね。

  カニグズバーグのメッセージが、それを必要としている子どもたちにしっかり届くような精緻な邦訳が、一日もはやく実現することを願っています。

― 高橋 梓




* 『ティーパーティーの謎』は難解でした。まず、日本語がバタバタしてうるさいので、読む気が失せるんです。そのため余計にプロットがつかみにくい。この作品もやはり全面的な改訳が必要だと思われます。

  それから、やみぃさんは(まだ)具体的には取り上げていないと思いますが、『Tバック戦争』や『影小さな5つの話』の中にも不自然な箇所が多々見られます。日本語に品がないというか凸凹しているのです。その凸凹が、翻訳家に固有の文体なのだと言われればそれまでですが、他のいろいろな翻訳家の文章と比較しても、断じて可とは言えません。「今どき風、子どもだまし的口語体」とは言えますが。現時点では最下位にランクされています。

  『誇り高き王妃』も非常に読みにくかった。僕はやみぃさんと違って本を読むのが得意ですが(笑)、それでも何度も前のページに戻らねばなりませんでした。
  それに王妃が誇り高くないのです。その辺にいそうな嫌なオバサンという印象で、いくらなんでもそれは変だろうと思い、辞書を引きながら原作を読んでみました。英語の王妃エレアノールは、お高くとまっていて、気まぐれで、贅沢で、でも、気品と威厳にあふれていました。
  やみぃさんの 『エリコの丘から』のタルーラについての記事を読んで、類似した現象だと思いました。(注: エレアノールは、タルーラほど凄まじくは変えられてはいません。 また、僕はオバサンが嫌いなのではなく、嫌なオバサンが嫌いなだけです。)

  清水真砂子さんの『トーク・トーク』の解説文にも驚きました。
  読者への思いやりも作家に対する共感もない文章は、たとえ間違いがなくても好きにはなれません。
  「人間」と書いて「じんかん」と読ませるのはウィットのつもりでしょうか?  本文でも、リーサル・ウエポンを「殺人兵器」と訳したり、ミドルエイジの子どもたちを「中年子ども」と言ったり、言葉のセンスも悪いと思われます。「殺人兵器」などという文字が何度も出てくると、それだけで気持ちが滅入ります。
  作家に共感していたら、読者への配慮があったら、当然もう少し工夫をするだろう表現が数多く見られましたね。

  しかし、この失礼とも僭越とも呼ぶべき邦訳が、なぜ成立しているのでしょうか。
  翻訳者はすごく真面目な人で、だから、タルーラやエレアノールや、カニグズバーグのような、華やかでクレバーで、上品でナルシシスティックで自信にあふれた女性のことが苦手なのか?
  はたまた、作家志望だったけれど、その種の力はないので、翻訳や批評や編集や研究の仕事に携わっているという人々の中には、作家に対する嫉妬心や劣等感を抱えた人物がいて、無意識にも他人の作品に意地悪をしてしまった、ということなのか? 
  それとも、ただ単に言語スキルや、仕事への責任感の問題なのか?

  原稿が出来たときに、友だちなどに予め読んで貰うことはしないのでしょうか?  (してはいても、類は友を呼ぶので無駄なのか。) 仮に初めての読者が編集者だとして、彼らはなぜ注意しないのでしょうか? (仕事なのに。)
 
  それにしても、カニグズバーグほどの作家が、なぜ日本ではここまで冷遇されているのか、河合隼雄さんなどもさかんに薦めているし、クチコミなどもあって読者が加速度的に増えているだけに、残念でなりません。

  でも、やみぃさんのお陰で、少なくとも今後は少しずつでも改良されていくのですし、インターネットの時代で、しかも原語が英語で良かった。ごく少数の人しか解さない言語で書かれた作品だったら、たとえ日本語の問題だとしても、このようなムーブメントが起こる可能性は低かったと思われますし、インターネットというメディアの存在なしには不可能に近かったでしょうから。

  このメールの文章はご自由にお使いください。

― 青山 幌




* 私は自宅で文庫をしています。
  良い本を子ども達に届けたくて、そのために、子どもにとって本当に良い本とはどんな本なのかを知りたくて、児童書関係の本や雑誌もたくさん読みました。・・・(中略)・・・

  明らかに誤訳なのに、平気で出版がされてしまうこと。日本語に対する造詣が、また、原作者の背景にある文化に無知な人が、ただ英語ができるというだけで訳してしまっているという現実。そうしたことに対して、いつも情けない思いをしていたので、(あなたの文章に)思わずうなり、頷くことばかりでした。

  昔話の再話にも同じようなことがおきています。
  「こぶとりじいさん」を木下順二再話と稲田浩二再話とを比べ読みしたのです。そうしたら、木下順二の文のひどいこと、ワンセンテンスがものすごく長くて修飾語がありすぎて意味がよくわからなくなってしまうのです。昔話の命は耳で聞いて頭の中に情景がぱあっと浮かぶことなのですが、全然浮かんでこない。木下順二といえば有名な人ですから、そんな人がこんな変な文を公にしていることにショックをうけましたが、岩波では、彼ほどの大家はもらった原稿を校正に出すなんてとんでもない、とそのまま出版してしまうそうです。そういう扱いの大先生が幾人かいるそうです。なんてこと ! !

  今の私たちにできるのは、大出版社が出しているから、有名な作家が書いているから、○○賞を受賞している作品だから、などに惑わされない、感性と見る目を磨くことですね。

― ぶなの木

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皆さんから、出版社へのメール


* 岩波書店の愛読者の窓に、
" 翻訳家と作家は違う。でも作家の想いを汲んで日本語にできないようでは困る。児童文学の子どもたちに与える影響を考え、やみぃさんの意見に謙虚に耳を傾けて欲しい"
という趣旨のメールを送っておきました。がんばってくださいね。― R.S



* 岩波書店に「愛読者の声」として、次のようにメールをしました。― T.B

-----Original Message-----
差出人 : お名前 (メールアドレス)
宛先 : voice@iwanami.co.jp
日時 : 2003年11月20日 11:49
件名 : Iwanami Readers Voice

こんにちは。
児童書担当の方にぜひ、知っていただきたいムーブメントがあります。

貴社で刊行中のカニグズバーグの著作のうち、「エリコの丘から」「800番への旅」「ティーパーティーの謎」、三作品の翻訳が的確でなく、日本語の文体としてもリズムが悪く、稚拙で、読書の快楽を損なうものであり、はては、登場人物のキャラクターまで改変している悪訳であるとの指摘がインターネット上でされているのを御存知でしょうか?

そのHPは、やみぃさんというハンドルネームの方が主宰されているもので、URLはこちらです。
http://orange.zero.jp/yuyujp.park/elk/elk.htm

ネット文体で書かれているし、長文なので、読みにくい部分もあるかと存じますが、原文を参照した上での彼女の指摘は、かなりの割合で正鵠を得ていると思われます。
彼女は著者カニグズバーグ本人に手紙を書き、さっそく返事をもらったそうです。訳文がそんな状態と知り深く悲しんでいるとか。

「改訳がなされ再出版してもらえるまで声をあげつづける」というのがやみぃさんの主張です。ネット上での賛同者も増えています。
この訴えを、どうか無視なさらず、訳文の検証と、素早く、誠実な対応をご検討くださいませ。



* はじめまして。 ・・・(中略)・・・
  岩波書店にもメールしました。こんな程度の応援でもいいですか。― arukuyo

----- Original Message -----
送信者:お名前(メールアドレス)
宛先:voice@iwanami.co.jp
件名:Iwanami Readers Voice
送信日時:2003年11月6日 23:39:55

子どもの時から、どれだけ岩波の本を読んできたことでしょう。私は、活字になったものを疑うことはほとんどできない普通の人間です。インターネット上で、偶然目にした岩波書店の児童書に対する批判には、最初は驚き、詳しく読んでいるうちに、その言葉のひとつひとつにうなづいていました。

ご存知だとは思いますが、“やみぃの屋根裏部屋”の、カニグズバーグの御社の翻訳に対する批判です。http://orange.zero.jp/yuyujp.park/jp_index.htm

私は単なる読書好きの一読者に過ぎないし、やみぃさんとは全く面識もありません。
でも、子どものときに読む本の重要性については疑いがないし、それに対する出版社の責任は重いと思います。
私たちの御社に対する信頼をなくさないでください。
一日も早く、前向きのお返事をしてくださるように、お願いします。

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* ELK をめぐる冒険 - もくじへ




* 「カニグズバーグをめぐる冒険」. . .   読んでいただけるだけで十分に嬉しいのに、お時間を割いてお便りをくださった皆さん、感謝しています。 どんなに励まされていることでしょう。 なんてお礼を言っていいかわかりません。 マックスの気持ちです。 ほんとうにありがとう . . . 。

*  スペースの都合で、同じようなご意見は一つだけにしたり、段落ごと省略したり、言葉を少し変えたり(過激すぎると思ったものなど  ^^)、若干は表記も揃えたり(子供 →子ども etc.)と、勝手をしました。ご了承ください。 12/8  やみぃ


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やみぃの屋根裏部屋へ
Yummy's Attic
* * *

Max said:

ぼくは、ほんとうにありがとう、とロジータに言った。でも、もう一段深い意味のことが言いたいと思った。感謝の言葉を受けて当然なのに、それを求めようともしない、そのことに対する、なにか特別の言葉があったらいいのに. . . 。

:"Journey to an 800 Number" (P.68) より




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ばくれん莫連】
世間ずれしてあつかましいこと。また、そういう人。すれっからし。女性についていうことが多い。

三省堂「大辞林 第二版」より

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