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小枝

アルコール依存症のこと、少し Vol. 4
Vol. 3  *  Vol. 5

─ 2006. 7. 07

 ちゃらちゃらアル症 / One day at a time


 二週続けて、週末は同窓会。 〃⌒―⌒〃ゞ
 先週のは、高校の久しぶりの「同期会」で、七十名ほどが集まった。

 以前の日記には、「けっこう "断れない" 性格」と書いたけれど、ほんとうは、「断らない」だ。──草っぽい(受動的+出不精な)ところのあるわたしは、デートでも何でも(相手や誘い方にもよるけれど)、少々強引なくらいに連れ出されるのが、「好き」なんだもの。

 今回も、旧友たちがメールや電話で、背中に羽根をつけてくれた。
 決定打は、

「できれば、泊まりがけで行こうや」
 という T君のメール。アルコール依存症者は、酒宴のあと一人きりになったときにスリップ(再飲酒)することが多い、というデータをふまえた上での「泊まりがけ」の提案。うれしかった。
 結局、急な海外出張が入ってしまい、彼は参加できなかったけれど。

 あんまり楽しい夜を過ごしたせいで、まだ半分、夢の中にいるみたいだ。
 でも、お酒の席は、やっぱり緊張した。
 まさか、ビールをつぎに来てくれる人ごとに、「アル症」の解説をするわけにもいかず──とくに、二次会・三次会では、酔っ払いが大量発生。ちょっと席を外しているあいだに、わたしのグラスにも、平気で焼酎が混入していたり. . .  気を抜けなかった。

「ネコちゃんには、お茶、ウーロン茶!」
「彼女、アルコール・アレルギーだから」
 わたしのアル症をすでに知ってくれている人たち(十五人ぐらい)が、代わる代わる、終始気に掛けてくれて、どんなに心強かったかしれない。

 でも、アルコール・アレルギーだなんて嘘だ。事実に反する。
 が、友人いわく、
「そば喰って死ぬ人がいるだろ、アレルギーで。同じだよ、飲んだらヤバイわけだから。アル症って言うより、通りもいいしサ。今はまだ、な」
 患者のおかれた状況の把握としても、サポートのしかたとしても、宴会をシラケさせない方便としても、ステキだと思う。──事実には、反するけれど。^^

 たしかに、アレルギーのほうが通りはいい。
 実際、「アルコール依存症」になって、驚いたもの。──病名を聞いて、引いてしまう人が大勢いることに。多少は予想していたけど、慣れていない人がこんなにいるとは。
 「乳がん」という病名にも、絶句したり、わたしの胸を(思わず)見つめたり、"はれもの"にさわるように応対する人は少なくはない。だけど、アル症とは比較にならない。
 なかには、アル症が「病気」だと知らない人さえいて、ビックリだ。

「やみぃ、そんなに飲んでないじゃない?」
 酒税をたくさん払って国庫に貢献した、つまり、長期にわたって大量飲酒を続けた人だけが、アル症になる、と誤解している人もすごく多い。
(当事者になるまで、わたしもそう誤解してたのですが ^^)
 そして、

「お酒をやめられないのは、"意志"が弱いから」
 という、最大級の誤解……。
 身体依存が形成され、意志とは無関係に(あるいは、うらはらに)、ほとんど自動的・機械的に、アルコールを欲するようになってしまった状態が「アル症」なのに. . . 。

 そういえば、アル症なかまの日記に、" アル症者は、血の味を覚えてしまった「吸血鬼」と同じ. . . " というようなことが書かれていた。なんて、みごとな比喩だろう。
 そう、わたしたちは、一度覚えた血の味を、忘れることができない。
 だから、二十年も断酒を続けてきた人でさえ、うっかり口にした洋酒入りのチョコレート一つで、連続飲酒の泥沼に戻ってしまったりするのだ。





 半年前、わたしは不思議でならなかった。
 アルコール依存症は、新しい病気でも、めずらしい病気でもない。
「だのに、なぜ、こんなに理解されてないんだろ?」
 
 一つには、病気でない人には、コントロールが可能なことだから。
 ──いつもの、想像力の問題だろうか?

 もう一つには、酔いが、(ふつうは)「快感」をともなうものだから。
 ──人は、人が快感や快楽を求めることに対して、あんがい厳しい。たとえば、同じエイズなのに、セックスや麻薬の注射針経由の感染者は、「自業自得」と非難されがち。
 禁欲的・道徳的な人たちにとって、アル症は当然、自業自得なわけで、彼らの考える "悪いエイズ" と同じなんだろう。

 "アル中"ということばに貼りつけられた、「汚らわしい社会の落伍者」というイメージも、病気の理解をさまたげていると思う。
 ──「被害者」とまでは言わなくても、酔っ払いの暴力や大声、しつこさやゲロやセクハラなんかに、迷惑した経験のない人はゼロに近いだろうから、仕方ないっちゃあない、とは思う。

 ほかにも、理由はいくつもあるのに違いない。


 せつないのは、アル症患者の中にも、いわゆる "アル中" の、否定的イメージを内在化された人たちがいることだ。

 スリップ(再飲酒)した人たちの、
「なんて、意思が弱いのか. . . 」
「また、お酒に逃げてしまった」
「情けない、いっそ死んでしまいたい」
 そんな言葉を、わたしはたった半年で、どれほど聞いただろう?

 じつは、アル症患者のほとんどは、「酒は飲んでも、飲まれちゃいない」とか言って、自分がアル症だということを認めない。あるいは、「"アル中" でなにが悪い? 酒で死ねたら本望だ」とか言い張る。それで、アル症は「否認の病(やまい)」と呼ばれている。
 だから、自分の病状をはっきりと自覚し、断酒を決意した人たちは、もうそれだけで、
「けっこう偉いじゃん♪」

 と、わたしなんかは思う。だけど、彼らの多くが、おそらくはアルコールの影響で、ひどく自責・自罰的になっている。度を超した謙虚さ。社会的通念にも、縛られやすいみたいだ。

 がん患者でも、一つの顔しか持たない人──自分の社会的価値を職業でのみ感じているような人は、たとえば、仕事が(しばらく)できなくなっただけで、「この世の終わり」みたいに落ち込んでしまうことが多い。
(全然、終わりじゃない、ってか、はじまりだと思うのに. . .)

 なんとなく、アル症患者には、その手の"思い込み"の強い人が多いような気がする。──結論を急ぐ。自分一人で決めすぎる。ユーモアが少ない。
 孤独や退屈をまぎらわすのも、人とコミュニケーションをとるのも、すべてお酒がらみ。「酔った状態=ノーマル」を長くやってきたから、アルコール無しでは正常に機能しなくて. . . だから、無理もないのだけれど。

 そして悲しいことに、さびしさや焦り、罪悪感、劣等感、無力感といったネガティヴな感情は、患者を疲労させ、「飲酒欲求」を強めてしまう。人々のさげすみや無理解が、病状を悪化させるケースも少なくない。そして、また自責、自傷……。
 エンドレスとも思える悪循環。やがて、からだも心も完全に疲弊していく。

 そんなたくさんの罠から抜けて、アル症患者が「闘病=断酒」を続けていくのは、やっぱりすごく大変なことだ。
 そんな現実だけでも、もっとみんなに知っていてほしいと思う。ふつうに、一般常識として。


 なーんて、新米アル症のわたしが言っても、なんだかなぁ……。
 でも、新米にしか言えないことがあるとしたら、「いま」が適齢期だ。^^
 今日で228日、お酒を飲んでいないらしい。
              (ちゃんと断酒日数を数えていて、教えてくれるサイトがあるのです)





「ふわふわした癌患者」──わたしのことを、そう呼ぶ人たちがいて. . .
 わたしは、そんな呼ばれ方が、とても気に入っている。
 じつは、「やみぃ」や「ネコちゃん」と同じぐらいに。

「ちゃらちゃらしたアル症患者」──そんなふうにも、呼ばれたい♪





Sally: Face like a flower
A bridge over the River Rye──by Sally Johnson

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