宿に戻れば…その21991年3月5日(その5)




 隣の部屋から出てきた青年に、
「すみません、日本人の方ですか?」と声を掛ける。
「ええ、日本人ですけど、あなたは?」
よかった、日本人だ。
「あ、僕も日本人ですけど・・・。」
なんだかんだ言いながら、彼の部屋にあがりこむ。大学生2人組。一人は韓国5回目という韓国ベテラン。もう一人は彼に連れられて来た学友で、海外は初めてという。彼は笑福亭笑瓶とかいうタレントに似ている。 二人と話し込む。「韓国の車、荒っぽいですねぇ」とか「いやぁ、美人が多くてびっくりしましたよ。」とか「革ジャン屋の客引きはどうやって日本人を見分けるんだろう」などなど。彼らもやはり卒業旅行だという。僕はこれから旅行だが、彼らは入れ違いで帰国だという。韓国ベテランに買い物の仕方や宿の泊まり方など聞く。ソウルでパフォーマンスをする予定だということをいうと、やはり驚かれる。
「リングの芸なんだけど聞きたいことがあるんだ。」 と言い、一通り型造りを見せ、例の『人力車』の事を聞くと、「うーん、人力車自体はアジア各国で見かけるけど、こっちでは見たこと無いな。もしも、あったとしたら日本の統治下の時代かな?あったとしてもそんなに知られてる事じゃないと思うけど、知っている少数の人のことを考慮するなら避けたほうが無難かもしれないね。」
さすがこうせつ君の上を行く韓国ベテランである。言うことが深い。
しかし、笑瓶君が言う。
「しかし人力車が一番よくできてるのに、これを出し物から外すのはもったいないよなぁ。」
ベテラン君も、「この幌の感じなんかよくできてるもんね。」と言う。
ある分からない事のために、一番いいものをやらないというのは、パフォーマーとしても辛い。結局ソウルまで、まだ日はあるので、保留にする。
 いろいろ話をしていると、手がムズムズする。床についた手を見ると蟻が這いまわっている。
「あーぁ、何だこの部屋は!」
蟻ん子はたきに3人踊る。
 何はともあれ、日本人に会えてほっとする。自分の部屋に戻り、寝る用意をしているとノックの音。「誰だろう?」彼らだろうか?「はい。」と、ドアを開く。しかしそこに立っていたのは、ヨインスクの女主人であった。
 ドアの外に置いてあった僕の靴を手にして、何かを言っている。身振りからして、おそらく、脱いだ靴をちゃんと部屋の中に入れておけと言っているようだ。ドアの前が段差になっていたので日本の玄関のように靴をそこに置いとくのかと勘違いしていた。了解して靴を受け取ると、今度は人差し指と親指を丸めて手を差し出した。(注22) どうやら、宿泊代を払えということらしい。そうか、こういうところでは前払いなんだ。7000ウォン払う。
 このノート(注23)をつけて、もう寝ます。




こうして釜山の長い一日が終了しました。

注22‥ 人差し指と親指を丸める仕草は、日本と同じく 「お金」を意味する。この他、「眠り」「寝る」を意味 する、合わせた両手の片甲を枕に見立てて、反対 側の頬につける仕草も日本と同じ。ところで、この「お金」を意味する仕草は国に よって猥褻な意味になるので要注意。
注23・このノート
このサイトの元になっている小遣い帳、兼日記帳のノートのこと。

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