2.釜山の長い一日
李舜臣(イスンシン像)
李舜臣(イスンシン像)

◆まずは釜山観光◆1991年3月5日(その1)

チャガルチ市場の近辺
釜山港 チャガルチ市場の近辺




  朝起きたら、すでに釜山港の近くに停泊。名古屋組はもう起きていた。
「いやぁ、釜山の夜景(注9)は最高だったよー。」
と、のたまう。運び屋のおばちゃん達が荷物持ち出しの手伝いをあちこちの学生に頼んでいる。酒の類など数量制限や電化製品などの規制があるのだろうか?だから分散して学生に運んでもらうとか。よく分からないがこうせつ君は「あれは手伝わない方がいいよ。」と、アドバイス。
 いよいよ入国。何事も無く審査を通過。運びの手伝いをしていた学生が、税関で何か書類を書かされていた。出てすぐのところに銀行の窓口があり、そこで両替。こうせつ君に
「ビザの期限ぎりぎりまでいるつもりだけど、5万円分ぐらいの両替で大丈夫かな?」と聞くと、
「うん、前、来た時は3万円ぐらいで足りたから、5万もありゃ、じゅうぶん、じゅうぶん!」と、おっしゃる。レート約5倍。26万ウォン也。
 さあ、いよいよターミナルを出て、韓国への第一歩だ。

 名古屋組2人と、神奈川の女子大生2人と、僕の5人で釜山観光をすることになる。まずは釜山タワーへ。入場料、『フリーダム』では1000ウォンだったが値上げして1150ウォンになっていた。タワーから見る釜山の景色、ミニチュアのようだ。望遠鏡覗いたりする。タワーの下のお化け屋敷に入る。彼女ら、きゃあきゃあ言う。彼女はOさんという名前で大学2年、逗子市に住んでるという。
「へぇ、実は僕、就職したら戸塚に引っ越すんだ。」 と言うと、
「えー、すごーい。近いじゃん。神奈川だ。」と言うので
「なんか世間は狭いよねー」などなど他愛のない話をする。
タワーの下で絵はがきを買ったり、写真を撮ったりした後、みんなでチャガチル市場(注10)へ向かう。
 チャガチル市場、この付近の建物、異国情緒たっぷり。市場の食堂に入る。奥のお座敷に通される。みんなで湯(タン)を注文することにする。品書きを見ながら末尾が(タン)の文字の物を探し、そのうちのどれかを適当に指して注文する。ここの店の客にしてみれば外国人が珍しいのか、やたら座敷を覗かれる。料理はおかずの小皿がやたら多く、どれも辛い。口の中、ヒリヒリさせながら店を出る。
 近くの乾物屋街を廻る。店先に鳥などの干物が、たくさんぶら下がっていたりする。
 昼すぎ、みんなと別れる。女子大生達は慶州(キョンジュ)ヘ、名古屋組はユースホステル(注11)ヘ、そして僕は、フェリーでこうせつ君に見せてもらった『歩き方』に載っていたヨインスク(注12)に、それぞれ向かう。




  釜山の第一印象、自動車の運転の乱暴さに驚きました。交通量が多い上、かなりのスピードで人間など無視してすっ飛んで来ます。狭い道の人込みの中も、かまわず突っ込んで来ます。つまり、車上位なのです。広い道でも、信号機が無いことが少なくありません。そんな交通状況でも、韓国の人はうまいこと道を渡っていきます。もうひとつ驚いたのは、女性が美人でおしゃれなことです。美人が多いのは、気候のせいでしょうか、食の違いからでしょうか?背の高いスラッとしたスタイルの人も多かったです。


外貨交換証明書
釜山タワーチケット

注9・釜山の夜景
釜山港到着は8時半でも、実際には夜中の2時頃には釜山港の沖合に停泊して時間調整している。

注10・チャガルチ市場(シジャン)
南浦洞近くの魚市場。三階建ての建物で、二階に食堂があり、三階は事務所となっている。
ここでの賢い利用法は、魚を一階で品定めして、食べたいものを買い、その店で二階の食堂を紹介してもらい、そこで食べれば3分の1程度、安くなる、と、『フリーダム』(日本交通公社)に書いてあったのだが、言葉のわからない僕らは、そんなマニアックなことはやろうとも思わなかっ た。

注11・ユースホステル
当時の料金は、帰りに泊まった愛隣(エリン)ユースホステルの場合、会員証なし、ドミトリーで、6000ウォン(約1200円)だった。
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注12・ヨインスク
漢字で 「旅人宿」と書く。いわゆる 素泊まり宿で、たいていはトイレ、シャワーが、 共同。当時は6000〜8000ウォン位。

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