ごはん
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■タイ米
 アジアのお米といえばタイ米を思い浮かべる。日本では米不足が発生した時に大量に輸入し普通米に混ぜられたりして不評を買いあまりよい印象がない。粘り気があり艶があり白く美味しい日本の米を食べなれている日本人にとって、細長くパサパサとしたタイ米が美味しくないと感じるのも無理はない。
 ボクの印象では、中国[China]を除く東南アジアは全てタイ米のような細長い米を食しているので日本の米にありつけることはまずないだろうと考えていた。ただそういった米でも炒めるとうまい。実際ベトナム[Vietnam]やタイ[Thailand]ではどこの町の食堂でもフライドライスといったいわゆるチャーハンを注文すれば外れなく美味しい食事に辿りつくことができた。スープのような水気のあるカレーをかけて食べるのにもちょうどよい。また、日本のような茶碗に箸という文化は中国圏以外では見かけない。ご飯は平皿に乗せられスプーンとフォークでというのが一般的のようだ。
 マレーシア[Malaysia]のコタバル[Kota Bharu]が美味いと教えてくれたのはミツオさんだった。マレーシア[Malaysia]は中国人の血が混じっているので、アジアと中華が融合したような美味しいものが多くあるというのだ。タイ[Thailand]から南下して来たボクは、国境を越えただけでがらりと変わるその街の雰囲気に気後れした。コタバル[Kota Bharu]はマレーシア[Malaysia]の中でも特にムスリムが多く、女性のおよそ9割以上がスカーフに身を隠している。半そでに短パンなんて夏のような格好をしているのは欧米人旅行者くらいである。楽しみにしていた屋台の多く立つナイトマーケットに入ろうとすると、入口に立つおやじにまず止められた。もしかすると外国人は入場制限があるのか、と断られた理由がわからずうろうろしていた。これはどうやらコーランのお祈りの時間が終わらないとマーケット自体が始まらないということだったらしくひと安心。しかし言葉もわからず注文の方法もわからない。その前に1ヶ月ほど滞在していたタイ[Thailand]に比べ値段も高いような気がする。思い通りのものが頼めず、周りの人たちに合わせて道具を使わず右手だけで食べようとしたため上手に食べることができない。粘り気のあるご飯を固めたおにぎりとは違い、握っても固まらない。右手で掴んだはいいがそれをどうやって口の中に運んだらいいものか。口の周りも手も汚れそれをどこで洗ったらよいかもわからず、味を楽しむことはできなかった。ちなみに左手は便をしたあとに水洗いするのに使用するため不浄の手とされ、食事の時に使ってはいけないのだ。
 
■美味しい瞬間
 インドネシア[Indonesia]の定番料理といえばナシゴレンである。ナシはご飯、ゴレンが炒めたり揚げたりすることを意味する。要するにアジア定番のチャーハンである。少し違うのはえびチップスのような揚げせんべいがついていること。メニューもない飯屋で他に頼むものもわからないのでいつもナシゴレンを食べていた。
 伝統的な白壁の街並みが残るソロ[Solo]の夜、食べ物を探し歩き疲れて路上のテントを張った屋台に入る。焼き魚を見かけたからだ。海に囲まれた島国のインドネシア[Indonesia]ではやはり魚がよく食べられている。が調理方法が焼く(=ゴレン)のと煮るくらいしかみられない。味付けはどこでも唐辛子とココナツだ。ところがこの屋台にあったおそらくサバはみりんのようなタレのついた照り焼きだった。それを指差してもらおうとすると外にある七輪で焼き直してくれる大サービス。そしてご飯がまたうまい。これまでナシゴレンばかり食べ歩いてきたので米そのものの味というのは楽しんでいなかったのだけど、ここでは真っ白で温かい白米が食べられた。驚いたことにこれはほとんど日本の米と変わらなかった。粘り気があり丸みがあり甘味も感じられるまさに美味しいご飯である。期待もしていなかったし、何ヶ月も日本米から離れていたということもあって日本で食べるよりも満足できた。次にまた米不足の事態が発生した場合は、インドネシア米を輸入することを希望する。
 インドネシア[Indonesia]ではどんな町へ行ってもたいてい生鮮食品から果物、雑貨まで売られている雑多な市場がある。そんな中にはやっぱり安い食堂がひしめきあっていて何か美味しいものがないだろうかと探る楽しみを覚えた。例えば港町バリクパパン[Balikpapan]の市場では熟れたパイナップル丸ごと1個が2000Rp(≒30円)。2個も買ってしまったがさすがに食べきれない。
 スラウェシ[Sulawasesi]を縦断している途中、アメリカ人のデルに会った。彼の話は長くなるのでまた別の機会にするが、3年で世界一周約50ヶ国ほど周っているのだという。腐れ縁で2週間ほど彼と行動を共にすることになったのだが、長く旅行しているだけあって旅慣れているし楽しみも知っている。スラウェシ[Sulawasesi]の中央部では甘味料が豊富で甘いパンケーキなども売られていた。周辺を散歩していると、これがカカオの木だと言って実を取って割ってみる。持ちかえって宿の人に聞くがまだ食べられる状態ではないという。残念。路上に干されている実をとっては口にし(←おい勝手に取っていいのかよ)これがチョコレートだとボクにも味見させてくれる。甘くうまい。あとで1人で散歩中につまみぐいを試してみたのだが苦い味がした。どうやらこちらは安いタバコの原料のチャンケというものらしい。もちろん食べ物ではない。世間知らずのボクは彼のようにどれがなんだか見分けがつくという能力がたりないのだ。
 テンテナ[Tentena]という湖脇の町で、デルは自分の夕食を交渉し始めた。もちろん英語しか話せない彼は現地で言葉など通じない。桶にある大きな魚を見つけこれを2人分に分けて調理してくれという。さらにトマトも見つけこれでマリネ?のように味付けのタレをつくって欲しいという。その後値段の交渉をして店(といってもあばら家)を出た。夜に再び訪れると、およそインドネシア[Indonesia]の大衆食堂のディナーとは思えないほどの豪華なおかずが現れた。味付けもどこかのシェフ並に完璧である。こんな田舎でこんな味に出会えることは驚きであるし、それはやはりデルが旅上手であるということだ。何軒かのお店からあのおばさんがそれなりコックをであることを見抜いたのだ。こんな旅行の仕方もあるんだなと、出されたものを(仕方なく)食べるということしかしてこなかったボクは感心してばかりだった。
 
■一生の終わりに食べるもの
 生前のジャイアント馬場がニュースステーションに出演した時に、死ぬ前に最後に食べたいのは饅頭だと言っていた。本人がその望みを叶えることができたかはわからないがその時ボクも考えた。これさえ食べればもう死んでもいいと思えるモノ、一生の終わりに食べたいものは何か。吉野屋の牛丼大盛だった。安くて美味い慣れ親しんだ味。特別に高級なグルメでなくてもいい。それが食べられればボクは満足だ。
 だから1年の旅行から帰国してまず食べたかったのが吉牛だった。がBSE問題が発生し世の中から牛丼は消えていた。確かにベトナム[Vietnam]の食事は美味い。タイ[Thailand]は辛いけど安い。インドネシア[Indonesia]のご飯も格別。でも日本に帰ったらきっとあれを食おうとずっと決めていたのに、だ。そんな事情を知らないボクが最後に牛丼を食べたのは香港の吉野屋で、だった。もっと味わっておけばよかった。その数日後に台湾にいった時すでに牛丼は販売されていなかった。
 帰国して1年以上した現在、酒や肉というものにあまり興味はなくなった。年齢を重なるとあっさりしたものが食いたくなるというが、30歳になったボクは毎日野菜を茹でてうどんを食べるヘルシーな生活をしている。だから現在考える一生の終わりに食べたいものは、うどんかな。
 
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