心残り
戻るトップに戻る
 
■捨てきれないモノ
 もしかすると二度と日本に帰らない、帰れないかもしれないと思って出発した。というのは大げさだろうか。切符は上海[Shanghai]片道への船だけが決まっている。いつどこから帰るのかは検討もつかないし予定もない。ずっと住んでいたいところがあればそこに永住するという可能性もあった。必要ないのに通帳と印鑑もカバンに入っていた。家電や本や衣服などほぼ全て処分して、持っているモノが全財産。そんな状態で出国した。
 でも日本でこの先ずっと携わっていたい、捨てきれないモノはあった。
 カルドセプトERラジオドラマである。
 
■カルドセプト
 1997年に発売されたSS版(ボクはサタコレという廉価版を購入した)から約4年以上関わってきたゲームである。現在はPS2版が発売されている。
 ゲーム単体ならば他のソフトと比べて格段に優れているというほどのことではないのだが、大切なのはこのゲームを愛する全国のセプター約100人以上との繋がりである。すでに公式全国大会も4回開催され、そのたびにオフ飲み会が開かれ交流が広がり深まっていく。各地の予選を突破し、全国大会本選に2回出場することもできた。ともに一回戦負けではあるが。
 1年の長い旅行中にも掲示板から今頃どこかな?なんて気にかけてもらって寂しさをまぎらすこともできたし、北京に赴任したキールさん宅で大会を開催したり、沖縄から博多に入った時は本家宇宙一リーグに参加させてもらったり…。たぶんカルドセプトセプターが存在する限り老後も寂しくない。そして帰国後セプターによる一軒家シェアハウス計画『カルド荘』が進行中。詳細は未定だけど。
 こんなにも強い思い入れと深いコミュニケーションがあるゲームをボクは捨て去ることができなかった。旅行にもデータの入ったメモカを持参した。海外で住むことがもし決まっていたらつらいのはこのゲームができないこと。対戦する相手がいないことなのだ。日本に帰りたい一番の理由はこれだったのかもしれない。
 カルドセプトやってみたい!と興味がある方はレビューサイト良い所悪い所感想などやインタビューなど読んでみるといい。
 そして来年いよいよ、全世界ネット対応版カルドセプト3が発売されるという噂がある。目標は第一回全世界大会で優勝すること。
 
■ER
 緊急病院を舞台に繰り広げられるアメリカ産のドラマである。ほぼ1年のうち半年を1シーズンとして20数話。それが2004年7月現在第10シーズンまで放映終了し第11シーズンも製作中という、全200話以上にもなるロングランドラマである。
 その魅力は徹底したリアリティと個性あふれるキャラクターにある。
 大学生の時に始まった第1シーズンから欠かさず見つづけ、2000年12月には退職前のボーナスで1〜5シーズンのDVDも購入したほど。BSで第7シーズンまで見て旅行に出たものの、最終シーズンまで見届けたい物語ではある。世界各国語に翻訳され発売されているので旅行先の各地で手に入れられないことはないが日本語版は入手が難しい。
 話題になる映画よりも一話一話に深い話が詰まっている。日本のドラマは見るに値しない。購入したDVDは処分するには惜しく、ともこさんに半分プレゼントのつもりで預かってもらった。大きなダンボール箱はいい迷惑だったろう。大切に保管してくれて帰国後、返却してくれた。今はそれを英語音声で見ながら英語の勉強中である。難しい医学用語の連発になるので何を言ってるかさっぱりわからないけど…。
 2000年の終わり頃、ファンサイトをのぞいていたらERクリスマスオフ会の知らせがあったので参加してみた。主催の方が独自に製作した「これまでのER内で流れたクリスマスソング特集」CDをプレゼントもしてくれた。宝物としてダンボールの底に眠っている。
 ERを製作した同じスタッフによる、NYレスキュー隊を描いたサードウォッチも気になるドラマ。
 
■ラジオドラマ
 民放ラジオだとアニメやゲームの声優によるモノというヤワなイメージになってしまうが、NHK−FMでは硬派なモノも多い。何よりCMがないのが◎。
 受験勉強をしていた時にラジオから流れてくるユンカースカムヒアがボクに「ラジオドラマ」とはナニモノだ?と考えさせてくれる始まりだった。それから約10年聞き続け録音したテープやMDは数百本にもなる。暗い趣味といえばそれまでだしラジオドラマなんてモノが存在していること自体知らない人の方が圧倒的多数である。2002年にようやくNHKオーディオドラマのページが出来たが、ダウンロードして聞けるわけではないのが惜しいところ。
 放送時間は青春アドベンチャー(主に子供向け10話完結)が平日22時45分〜23時、FMシアター(主に大人向け1話完結)が土曜22時〜22時50分。
 現代の若者にとってゴールデンタイムである土曜夜という時間帯を一人部屋を暗くして耳だけすまして過すという時間の使い方はある意味最高の贅沢でもある。
 もちろん毎回うなるような面白い作品があるとは限らず当たりはずれは多い。その当たり一本に出会った感激が忘れることができずにここまで続けていた。例えばジュラシックパークは日本で映画公開前にラジオドラマとして放送されていた。当時CGで動きまわる恐竜に驚いたものの、吠える声だけで想像する恐竜のイメージから来る恐怖の方が大きい。
 原田宗典宮部みゆき藤井青銅片岡礼子前田悠衣(現:前田真里)もみんなラジオドラマで知って好きになった。今のボクの嗜好はラジオによるものがかなり大きい。
 こちらもラジオドラマオフ会というものが開かれたことがあり、普段は話すことのできない共通の趣味を持った数少ない知り合いが集まったということで尽きることなく盛り上がったことを今でも覚えている。有名な作曲家の方にも生の現場の話を聞かせてもらったり、ネットによる自作ドラマの配信おとつれせんを始めた松元さん、少ない聴取人口ながら趣味が分かれるラジオドラマの中で嗜好がよく合うよこいさん、いずれも大切な仲間。
 旅行中の1年間は全く聞くことができなかった。それがつらかった。
 ボクがマレーシア[Malaysia]にいる時、こっそり作ったラジオドラマのページ『ラジおと』にアクセスしてきてどうしてもある作品が聞きたいのですが、というメールが全く面識のない藤田さんから届いた。ボクにはどうすることもできないので無遠慮ながらよこいさんにお願いした。数少ないラジオドラマのファンが1人でも増えるならと快く承諾してくれた。全く関わりのない人間同士があるキーワードを検索することで出合えてしまうネットの偉大さにボクも藤田さんも驚いていた。
 その作品が1998年4月に放送された北阪昌人『水の行方』。心うたれ百回以上繰り返し聞いた。ボクも誰か1人の心の中に何かを残せる作品を創りたいと思った。早稲田シナリオ義塾に通った。そこでお会いした佐伯さんにシナリオ勉強会に誘われた。いくら書いても自分でも面白いと思えるもが創れない。狭い世界に閉じこもってなにも知らないせいだ。ボクの生き方にはドラマが欠けている。物語を創る、そのための何かが得られればと国外に足を踏み出したのかもしれない。1年もある暇な時間の中で1本たりとも作品を創ることができずに帰国した。そして今この旅行記を書いている。
 いつかFMシアターで放送され、そして誰かの心に何かを残すことを夢見てボクはモノカキを続けていきたい。
 
■フリーターの辿る道
 見るべきモノを見ず、行くべきところには行かず、食べるべきモノも食べない。ただただだらだらと歩き回っていた1年間だった。せっかくここまで来たのだからあれもこれも経験しないとという脅迫に近い観念にとらわれていたボクは、
 「生けていればまたいつかこれる。何も今あせって見る必要はない」
 というある旅行者の言葉で肩の荷が軽くなった。あーあの時こーしていればという後悔は不思議とない。出国する時日本には未練が多かった。ダメな旅ではあったけど、帰国する時は満足感でいっぱいだった。
 そしてやっぱり上の3つのことにはこれからも生きている間は深く関わっていきたいと思う。海外で暮らすなんてできない。人間、好きなモノを追求している瞬間が一番楽しい。生きている時間をその瞬間の積み重ねで埋めることができたら幸せだ。仕事は生活費のためにチョットだけ、あとはやりたいことをやるというのが今後の人生設計。
 旅行したあとで多くのフリーターと一緒の考えにようやくたどり着いた。逆に言うとこの旅行はボクにとって必要なものだったのか…。
 
戻るトップに戻る前へ次へ