障害 |
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■金が欲しけりゃ芸をしろ |
東南アジア各国を周っていると体に障害を持った人たちを目にすることがたびたびある。目が見えなかったり手足がなかったり口が裂けていたり、ボクはその人たちを正視することができない。憐れみの感情を抱いてしまうことを見透かされてしまうのが恐い。そんな体でも、そんな体だからこそ物乞いをする。それに対してボクは分け与える行為ができない。ただ不自由な体を見たというだけで募金する精神は持っていない。裕福な日本人のおごりを弱者に振舞うことで心を満足させることができない。与えようと与えまいとその人たちを見た時は結局は何もできないという自分の心がうずく。 甘やかすことは解決ではない。自立することだ。とごちゃごちゃ考えたあげくにボクはボクの中でルールを決めた。 「欲しけりゃ芸をしろ」 音楽でもパフォーマンスでもいい。何か楽しませてくれたら小額ではあるが金を払おう、そう決めた。 何か人に見せることのできる芸があると旅行では重宝する。収入にもなる。ボクは持っていったアイテム・花札以外に誇れるものがなかった。 荷物よりも大きなギターを持ち歩くデルはビートルズの『イエスタデイ』しか洋楽を知らないボクに、エリック・クラプトンの『Wonderful Tonight』を教えてくれた。コードが簡単だからと、ボクはそれを一日中練習していた。 ラオス[Laos]のバンビエン[Vang Vieng]でMr.ケオのツアーを同行したさとこさんは、ろうそくの灯りだけの洞窟の中で♪ラララ〜と日本の曲を美声で奏でた。同じツアーに参加したヨーロッパ人カップルは二人でダンスを踊ってくれた。ボクもダンスを要求されたが、恥ずかしくも小学校時代のうろ覚え・長岡甚句をなんとか手振りだけやる程度だった(-_-;) もちろん場は引いた。 ビエンチャン[Vientian]で、ホッキサック[Hacky Sack]というお手玉を使ってリフティングするスポーツ・フットバッグ[Footbag]を教えてもらった。お手玉はこんな立派なものではなくて砂の入った袋程度のモノでいい。少しサッカーをかじった人には、太ももや頭の上で止めることもできるリフティングだと思うと技のバリエーションが膨らんでわかりやすい。音楽にのせてダンスっぽくしたり公式な世界大会もあるくらい欧米では有名なスポーツらしい。少しやらせてもらったが高い湿度ですぐ息切れした。うまい人のを見ているだけでも楽しい。 シンガポール[Singapore]で会った日本人は優しい旋律のウクレレを弾いていた。物価が日本と変わらないというニュージーランドで長く過してきたが、ウクレレの演奏で最高1日50$稼いだこともあったというからその腕前はかなりのものだ。 仲良くなったゲストハウスのスタッフに、「何か日本のモノを作ってくれ」と言われて足りない食材と調味料からさちこさんはコロッケを作った。大好評だったという。 長期旅行にはまずヒマな時間がたっぷりある。コツコツ1年も練習したらどんなモノでもそれなりにうまくはなるハズだ。何もやろうとしなかった自分が悔しい。帰国してからはケン玉を始めてみた。人目を引く魅せるだけの華やかさもあるし、国際交流のアイテムとしてもいいのではなかろうか。 |
■電子ジャー |
ラオス[Laos]の首都ビエンチャン[Vientiane]で頭に傷を持つ日本人に会った。ボクは彼をひそかに電子ジャーと名付けた。その愛称どおり彼はハゲ頭でぐるりと頭の一周近く大きな傷跡を持っていた。ポンとボタンを押せばジャーのふたが開きそうである。 彼を見るとその頭を見ないわけにはいかない。そんな心のやましさからボクは声をかけることができずにいた。彼の方から、 「昨日タイ[Thailand]から来たんだけど下痢がひどくて寝てました。明日また帰るんですけどね」と笑いながら言う。 バンコク[Bankok]のウィークエンドマーケットがメチャクチャ楽しかったので帰国する前にもう一度行きたいのだ。ラオス[Laos]には1日しか寄っていないし何も見ていないことになる気ままに好きなところに行けるのが自由旅行者の特権ではあるが…。確かにラオス[Laos]には見るものがない。 電子ジャーにパスポートを見せてもらうと、予想に反した金髪でハンサムな若者の姿が映っていた。 「いやあこの頃はモテようモテようとしてたんだよねー。この傷隠すには金髪にするしかなかったし」 「でも違うなって思って。隠してる場合じゃないよなって。それで頭丸めて旅に出たんです」 バイクで事故に遭い入院し一時は医者にもうダメだと言われた。頭をパックリ開く大手術をした。本当に今生きているのは奇跡かもしれない。 そして彼はラオス[Laos]に来た。20歳を過ぎたばかりの若者が生死をさまよったあげく旅に選んだ。そして少しは何かを悟りつつある。これから何に向かって進んでいくかはわからない。旅行には普段の生活では出会えない人間が多く存在する。世界遺産を見ることよりもわずか数時間のおしゃべりの方がボクの心には残るようだ。 ウィークエンドマーケットでは足の無い人たちがホフク前進をしながら観光客から金をせびっている。 「こっちの障害者ってたくましいですね」 という電子ジャーの一言は印象的だった。 |
■木男 |
インドネシア[Indonesia]のバンドゥン[Bandung]の街中で木男を見た。裾から伸びる手足がまるで植物のようにひからびている。指なのか枝なのかもわからない。本数すらあやふやだ。立って歩くことはできそうもない。でもその姿を見せることでお金をもらおうというのだろうか。くたびれたこの通りでは誰も木男には目をかけない。 月刊アフタヌーン何月号かの四季賞大賞を取った漫画に出て来たような木男がそこにいた。ちらりと見ただけで細部は記憶に無い。もう一度じっくり見てみたいという欲望はあった。目が合うとそらしてしまいそうだけど、妙にひかれている。 ボクはいってないが、人口の多いインドには実に様々な障害を持った人たちが山のようにいるという。中には生みすぎた子供を金稼ぎのダシにするため、手足をぶったぎる親もいるのだ。喜捨(バクシーシ)という思想があり、持っているものは持たざるものあげるのが当たり前なのだ。もらった方は感謝もせず、あげた方が良い行いができたと感謝する。世の中はボクの知らないことだらけである。 |
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