<<<目次
▲新たな手紙▲ ▲手紙トップへ▲

新・2号からの手紙

2005年6月23日
新・2号からの手紙〜タケノコと山羊

 6月20日、7th Floorでのライブは再び吉川みきさんとの共演だ。
 不思議で綺麗なサビの旋律を持つ『地下鉄・小江戸線』から楽し気に始まったステージ、お次は『集中豪雨』。だというのにイントロはいつものカッコいいフレーズと違う。違いはそれだけでない。一体どう持っていくのかと思ったら、なんと今回は調子を変えた重厚感のあるバージョンであった。みきさんのピアノと相まって、とてもダイナミックでスリルある“艶奏”だった。これまで聴いてきたカツカツと刻むカッコいいタイプと、どちらもすて難い。一方を選べと言われたら未来永劫迷い続けそうである。みきさんは前回よりも楽しそうで、表情豊かな方なのだと知った。晶君がトークしている後ろで、そのトークに笑ったり、「ほ〜ぅ」という顔をしたりしているのを見て、ついこちらの顔も弛んでしまう。本当に可愛い方なのだが、しかし演奏はやはり艶やかでパワフルなのだ。
 晶君一人の弾き語りスタイルとの違いを実感することで、どちらのスタイルの良さも増幅されて感じられるし、またの機会には是非とも鑑賞されることをお勧めする。

 さてさて話は変わる。やはり僕も辿ってしまったのである。『一番古い記憶(Kathy's Song lounge/6月のお題)』。愛でる会長も『閑人之日日/6月8日 朧月夜の麦畑』で2歳の記憶を書いているが、皆よく覚えているものだなぁと。僕はどうだろう? 幼稚園の頃のエピソードならちらちらと残っている。きちんとエピソード記憶をあげるならば、僕が語れるのは5歳以降ということになる。それ以前の記憶はないものかと考えると、あった。おそらく、でしかないのだけれど幼稚園より過去らしき記憶が。ただしエピソードではなく、晶君の3秒の記憶にも届かない写真のようなイメージだ。
 幼い頃の僕は、タケノコの皮を剥くのと、エンドウ豆のへたやすじを取るのが大好きで、夕食のおかずになる際にはいつも手伝うか、一人でそれらの作業を行っていた。楽しくてやっていた。その時の映像だ。しかしこれらはあるひとときの記憶ではなく、小学校低学年あたりまで同じことをよくしていたという集合的な記憶である。ただ、縁側でエンドウ豆のへたを取っている時や、外の物干し場でタケノコの皮を剥いていた時の情景が残っていて、どうもそれは幼稚園以前のもののように思えるのである。物干し場では雑誌を置いてその上に座り込んでタケノコを剥いていた。足元には雑草が生えていて、傍らに藤の花が咲いている。そこにはよくトカゲがいて、時折捕まえたりしていた。だから今でも僕の頭の中では、タケノコの皮と藤の花とトカゲは一繋がりになっている。
 もう一つ“写真”がある。これは『私のペット(Kathy's Song lounge/5月のお題)』にも通じるかもしれないが、山羊が一頭いるのである。狭い車庫のようなところで柵の上から顔を出しているところだ。もしかしたら夢の記憶なのではないかと思う頃になって、親に訊ねてみたことがある。果たして山羊は実在した。時折近所の河原まで散歩させていたそうだ。言われてみるとそんな記憶もあるようなないような。農家でもないし、いくら昔の話でも山羊を散歩させるご近所さんが他にいたとは思えない土地柄である。なぜ山羊を飼っていたのだろう……?
 以上が僕の最も古いと思われる記憶の断片、うす〜いスライスである。何歳の記憶かもはっきりしない。しかし考えてみると確かに晶君の言う通り、タケノコとエンドウ豆の作業が好きだったという傾向は、今の僕にも通じている個性のような気もする……。


2005年6月4日
新・2号からの手紙〜あそこのダブルナット

 5月17日の『
慕夜記/ガタガタ、ガッタンゴットン、ペチャンコ』で晶君は、道端に片方だけ落ちている靴の不思議を語っていた。靴も不思議だが、僕はナットについて偶然考えていた。ボルトとナットの、あのナットである。工事現場の武田鉄也が「指輪もぉ、海にぃ、捨てちゃいましたし」と言うと、ウェディングドレス姿の浅野温子がそばに落ちていたのを拾って指輪代わりにと差し出す、あのナットである。僕はしにましぇん!
 靴とは違って、落とし主は大概全く気付かなかったのに違いない。そういう不思議はない。ただ、ふと見るとナットが落ちているので気になる存在なのである。
 実は僕自身、ナットを落としたことが2度はある。いずれも自転車のブレーキの部品だ。気が付くと弛んで外れ落ちてしまっていたのだ。1度目のは後ろのブレーキを支えるナットだった。ダブルナットになっていたので、外側が落ちても内側が耐えていてしばらく気付かなかったのだろう。おかしいな、と赤信号で止まった時に見てみると消えていた。しかし目的地はもうすぐだったし、残ったナットと前ブレーキで今日は持ちこたえようと思ったその時。丁度良さそうなナットが目の前に落ちているではないか。拾って付けてみるとぴったり……の径なのだが、質の問題か微妙に緩い。それでも結局長い間このナットを使い続けた。浅野温子の薬指にピッタリのナットがたまたま偶然運良く奇跡的にドラマティックに落ちていても不思議はないに違いない。
 つい先日も赤信号で止まるとやっぱり足元にナットがあったので考えていたのである。工事の際に落とされることが多いのだろうか。僕のように自転車から落とす人もいるはずだ。下手をすると自動車の部品なんてことも!? あるいはトラックに積み込まれた何かから通りすがりに落とされたとか。積み荷が捨てるものなら問題ないが、使っているものだと気付かなかったら危険があるし、現場で使うものなら予備がなかったら困るだろう。ボルトやナット自体が商品やゴミとして運ばれていた可能性もある……などとナットの来し方を考えてみる。あんなにガッチリとモノを繋ぎ止めるナットだが、微細な振動に揺られて弛んでしまうのだから、物理法則は不思議だ。
 きっと落ちていたナットが納まるべきところには、代替のナットが納まっている。帰る場所もないし探されることもない。そのまま錆びて朽ちていくものもあるだろう。僕のように拾う人もたまにいるし、拾われて資源として回収されることもきっとあるが、とにかく生産ロットのうちの何割かは必ずそうやってどこかへ消えているのだ。日本中のあちこちに使われない金属の塊、ナットとして使われないナットはぽつねんと落ちているのである。


2005年5月23日
新・2号からの手紙〜Vibration

 5月16日(
渋谷O-Crest)のライブでは、最初ややさわさわとしていた程度で、特に中盤からはとても静かに聴きいることが出来た。音の隙間には空調の微かなゴーッという唸りさえ聞こえる「これこれ!」という空間。室内の空気の流れも感じられ、涼しくさえなるのだ。集中出来るこの静かな空間のおかげで、胸元にギターのベース音が作り出す振動さえもがビリビリと伝わって来た。もちろん晶君の手元から直接届いているのではなく、アンプから来るものだと思うのだが。座った席と感じる方向の関係からするとモニターアンプからだったのかもしれない。
 聞き覚えのない曲から始まり、3曲目ははっきり新曲であった。この数日前、夕方にわか雨があったが、そこから出来た曲だと言う。ああ、あの雨から新曲が出来たのかと、ミュージちゃんのミュージちゃんたる所以を思う。出来たてほやほやの曲が聴けた。
 『白いオツキサマ』はいつにもましてじんわりと染み込んだ。後で愛でる会長も同じように思ったことを聞かされた。きっと微妙な“何か”があったのだろう。何が違ったのだろうと答えを求めるでもなくさまよってみる。これはライブの醍醐味に違いない。
 『トリーハ』の「♪ここちよ〜い夜〜風〜」のところで、丁度ステージ奥に当たって跳ね返って来たものか、晶君の方からふわーっと柔らかい微風が後方へ吹き抜けて行った。嗚呼、ここちよい。空気も温度も操るのが、いや操られているのを解き放つのが晶君のステージなのである。流れに逆らわぬ存在には、流れは必然に寄り添うのだ。

 はっきりそうだと確かめる術もないが、どうやら僕という人間は音、というより振動について人よりほんの少し敏感なようだ。今回のギターのベース音の振動を会長は感じなかったらしい。会長の方が音には敏感なのである。強いドラムの音や改造車の重低音が苦手だと言うし、メインに聞いている音に対して不協和音を作り出す雑音が入ると気持ち悪くなるそうだし、カラオケに行くとフラットしていると指摘してくれる。会長は音階や音の強弱に敏感なのであり、僕は音に限らず振動というものに敏感なのだ。階下にある別のライブハウスからくるドラムの振動も、会長は気付かず僕の方が敏感だった日もあった。音として邪魔な音量でなければ会長は気にならず、振動が強ければ小さな音でも僕は気になるのだ。
 たとえば僕は地震についても、初期微動に気付くのが居合わせた人の中で最も早いことが多い。寝ていてもすぐ目が覚める。
 高校生の頃、数人で弁当を食べていた時に震度なら4か5弱かという地震が起きたことがある。僕はやはり最初に気付いて箸を止め、「ん?」と目線を上に向け固まった。向い側に座っていた男がそんな僕を見て「何?」と言った。一瞬の出来事である。はっきり初期微動が感じられたかと思うと、すぐさまどうっと本震が襲った。構える余地のなかった向い側の男は何を思ったのか食べかけの弁当箱の蓋を慌てて閉め、それを持ってオロオロした。当然地震がおさまった後は「なんで弁当箱の蓋なんだよ」と一同爆笑であった。火事の際に枕を持って飛び出す人がいるという話はよく聞いていたが、こういうことなんだと思った。それにしても蓋を閉めるという動作は、慌てた時に選択する動作とは思えない。
 まあとにかく振動に敏感らしい僕だが、消防車が近くに何台も押し寄せているのに寝ていて気付かなかったこともあるし、ヘッドホンでロックを聴きながら寝てしまうこともよくある。トラックの通過による家の揺れを地震と混同して目を覚ますことはない。センサー自体は敏感だが、音としての大きさや揺れとしての大きさはあまり問題ではなく異常の判断はずぶとめに設定されているらしい。


2005年5月7日
新・2号からの手紙〜自己中心でわいわい叫ぶ

 たとえば陸上競技が行われている真っ最中のフィールドを、競技など眼中になくふらりと歩いているようなものだと思うのである。ライブハウスで静かなアコースティックの曲が演奏されている時に、観客がまるで道端で喋っているような無関係な喋り声を響かせるのは。フィールドを歩く客によってある選手の試技が妨害されれば、当然その客は選手を応援する人々の怒りを買うだろう。しかもこの迷惑な客も同じ競技に出場する他の選手を応援にきているわけである。果たして本当にこの競技を好きで観にきているのだろうか? 応援する選手が心傾けている物事にきちんと敬意をはらっているのだろうか? そんなことを考えた。
 これがストリートや、食事がメインで生演奏がついているというような店なら話は別だが、ライブハウスでは演奏を聴くために客はお金を払っているのである。客を惹き付けられないのはミュージシャンの力量の問題という見方もあるかもしれないし、当のミュージシャンもある程度そのように自戒するものだろうけれども、ライブを楽しみにきた客にとっては迷惑という以外に何もない。それに晶君はかつて中国で、無名の留学生という立場で演奏を重ねてきたつわものなのである。
 迷惑な者が、観客でなく既に自分の演奏を終えたミュージシャンだという場合があるようだ。同じ選手としての立場にいる人間が他の選手の試技を妨害することになる。これははっきり言ってこの競技をする資格がない。音楽の場合好みというものはあって当然にしても、他のミュージシャンのステージに敬意をはらわないような者は、音楽を愛しているとは言えないのではなかろうか。
 どうも「場」だとか「他人」という要素が思考の中に全く入っていないのではないかという感じを受けたことが、邪魔された怒りが過去のものになった今でも気になっているのである。


2005年4月16日
新・2号からの手紙〜ペガサスの翼

 ペガサスは翼を持った天駆ける白馬だ。美しいイメージだが、メドゥーサの首が英雄ペルセウスによって斬り落とされた時に流れた血の中から生まれ、しかもポセイドンの息子でもあるという不可思議な出自を持つ。何故馬なのだろう?
 一頃話題になった『動物占い』では、僕はペガサス(銀)なのである。えぇ、今更『動物占い』? 今更である。僕は占いを信じていない。雑誌に載っているとつい見ているから嫌いなわけでもなさそうだが、信じてはいないのである。そんな僕が唯一気に入っているのが『動物占い』。自分があてはまったペガサスの特徴がとても面白いから“気に入った”のだ。調子よいことこの上ない。玖保キリコさんのイラストもひょうひょうとした感じがよくて、これがなかったらだいぶ違ったと思う。実際、現在の『動物占い』ホームページではイラストが違うのでもう興味がない。
 ペガサスは『動物占い』の12の動物中、唯一実在しない。不可思議な存在なのだ。『束縛が大嫌い(自認)』で『ひらめきは天才的』。『気分屋(自認)』で時々『ふっと消えてしまう』。『何考えてるかわかんないなんて言わないで。自分でもわかんないんだから(自認)』、『友達といても自分のことで頭がいっぱい』なんてところは楽しい特徴だと面白くて仕方ない。
 中学生の頃、同じ誕生日の同級生が二人もいた。似ているかといえば……所詮占いは占いだ。
 大人になってからこのうちの一人G君が、近しい友人T君にも何も言わずに2、3年ほど行方をくらましていたことがある。帰って来てT君のところへ現れた時に誘われて、僕は久しぶりにG君と会った。行方不明だったことも知らなかった。詳しくは聞かなかった。「連絡くらいしろよ、心配するじゃないか」というT君に、僕は「まあいいじゃないか、こうしてお前のところへいの一番に来たんだから。今が連絡出来るようになった時ってことだろ」と言った。しかしT君は自分の友情、心配する気持ちを否定されたように思ったらしく、朝までの大論争に発展、結局理解はされなかった。僕は“気持ち”を否定するつもりはなかったし、熱く友情を語る気もなかった。人一倍束縛されるのが嫌いだから、人一倍他人の行動に寛容なのかもしれない。同じペガサス同士、自分の気持ちや事情で一杯になるのを皮膚感覚的に理解していたのだろうか。僕自身はそんなふうに思いきり“消えた”ことはないが、二人とも周囲にわかりやすい生き方ではないらしいのが共通点だ。
 さて、晶君も実はペガサスなのである。しかも銀色らしい。全く一緒……所詮占いは占いだ。
 しかしポスターを見て5分で中国留学を決めたり、ラジオ番組にゲスト出演した際の発言にパーソナリティが「???」となったりするあたり、ペガサスの特徴ばっちり?
 ペガサスは縛り付けてはいけません。何故なら『翼がなければただの馬』だから。気分で動くのを放っておいてあげましょう。そうすれば『感性が自由に羽ばたく』のです。気持ちのあるところへは、気持ちある限りいつかは帰って来ますから。はい、調子よい僕の話でした。


2005年4月3日
新・2号からの手紙〜平成のだいがっぺい大将の巻

 この3月におかげさまをもちましてめでたく
“公認ファンサイト”となった愛でる会。赤坂にて晶君が会長に何やら話しているのが、少し離れていた僕に途切れ途切れに聞こえてきました。耳を疑いました。今、公認とかなんとか……!? ややあって説明を受けたのですが、いつの間にやらそんなことに、と呆気にとられたものでした。
 オフィシャルサイトのリニューアル、そして公認を受け、愛でる会の在り方は第2期に入ったものと思われます。地下組織愛でる会が地上に出たこの機会に、2号も何か定期的に駄文を書きやがれ、と会長から丁重なるご提案を頂きました。初回はエイプリル・フールに根も葉も葉緑素もないでたらめを書いて「今日は4月1日です」で括ろうかとも思ったのですが、考えてみれば2号は“基本が嘘”なのでやめました。
 公認前から、僕自身ここしばらくの2号の手法は潮時だなと思っていたところでした。そもそも2号が本文内に登場することになったのは晶君のデビューシングル『ヨダカの星』が発売された頃。何か感想を書けたらと思いながらも、僕が感じる不思議な浮遊感を言葉に表すことはどうにも困難でした。愛でる会心得もあります。簡単に言葉に縛り付けたくありません。そこで戯れに思いついたのが「行方不明になる」という“あそび”表現でした。実際精神的にはそんな喩えが丁度良いくらいでした。これは面白いぞ、ということで掲載されました。それ以来、いかに晶君のことを“書かないか”に主眼が置かれるようになっていき、ついにはわけのわからないフィクションに。一般的にはファンサイトとしてアルマジロっぽいかも、いやあるまじき行為かもしれませんが、いち“山口晶ファン”の脳内世界を解剖してみる“ファンサイト”という捉え方、崇高な目的があったのです(九分九厘誇張)。山口晶の世界は「聴いて感じてください」ということです、僕らが云々余計な主観を言うよりも。2号は無駄オブ無駄ジョイトイなのです。
 2号のことはともかく、「愛でる会“が”面白い」というサイトになれたらいいなと思うのです(愛でる会を執念で作り続けているのは愛でる会長であり、僕が言うことではないのですけれど)。山口晶の世界を愛でる会の世界がないと面白くありませんから。何より楽しんでいるのは僕達自身ですが。手法は変えても、2号はこれからもムダー侍じゃ。

 今回は、少し長くなってしまいますが特別にちゃんと(?)ライブレポートしてみたいと思います。次があるのかどうかは亀のみそしる。
 3月29日の渋谷<7th floor/LAST TUESDAY vol.3>には、実は前々日まで僕は行けない予定でした。この日のライブは吉川みきさんとの共演。以前晶君の初ワンマンライブに、みきさんは出演されました。バンド形態で行われたそのライブ全体がとてもよかったのですが、中でも最後に晶君がギターを持たずにみきさんのピアノで唄った『私と云う幸せ』が非常に脳細胞に響いていたので、両手両足の20本でも足りないくらい指をくわえて『慕夜記』を読んでいました。それが前日になって行けることになったのです。
 ライブは「ロック演歌アーティスト」の親斗(ちかと)さんから始まりました。1月25日の<7th floor/LAST TUESDAY vol.1>にも出演されており、『愛マイナー』という曲がとても耳に残っていました。ストリートでハードゲイ(芸)人に応援されてしまった(偶然見ていたテレビ番組で放送されていました)時にもこの曲を唄ってましたね(?)。前回より唄も人物も風格を増した気がしました。
 次は平絵里香(ひら えりか)さん。この方も以前晶君と、対バンと言うのでしょうか、機会があったようです。表面上の性格は周囲に対して主張の強そうな方ではなかったのですが、パフォーマンスにおいてパワーという点ではこの日一番のアーティストかもしれません。御本人も曲も面白い(笑えるという意味ではありませんよ、もちろん)魅力のある方でした。
 そして晶君の登場です。親斗さんの“和”な酒場から、平さんのどこか異国の風味ある不思議な場になり、ここで一気にアダルトで色気のあるバーの雰囲気になりました。いつもの晶君のライブとはちょっと違います。そう、みきさんのピアノです。
 のっけから『好きなくせに』で何かじ〜んときてしまいました。何がとは言い表せないのですが……。多分直前まで観られないと諦めていたせいもあると思うんですが。みきさんの演奏は、御身体のことを全く感じさせないパワフルさで、かつナイーブで艶やかなんです。晶君が『慕夜記』で語るところの「桃」という喩えがわかるような気がします。晶君とどちらを見ようかと視線が右往左往してしまいました。
 ピアノとギターということで予想していなかった『集中豪雨』(唯一キーボードが使われました)。これがですね、そもそもカッコイイ曲なんですが、とにかくカッコイイんです。ああ、自分の語彙のNASAによって開発され、いや無さが思い知らされますね……。
 『イタズラ』はまさにこの日にふさわしい選曲ですよね。続く『白いオツキサマ』も。そうそう、あれが例の“華麗なステップ”!? この曲でどんなステップを踏むのかと想像がつかなかったんですが、なるほど〜。華麗なるワルツのようなステップでした。
 『ヨダカの星』は、+ピアノという形もとても合うんですねえ。僕の感覚なんですが、ピアノという楽器は凍えるようなせつなさを表すのに長けた楽器だと思うんです。その辺りの奥行きが深く感じられました。
 次に晶君はスライドバーをはめました。……ということは! わたくし念願の『Change』です。しかもこのスペシャルな機会に。直に聴くスライドバーの音。せつないドラマの中に仄かな温もりと月明かりがある沁みる曲です。
 最後は『トリーハ〜哀歌〜』。春の夜にですね、暖かくなって夜が気持ちよく感じられてくると、つい独り散歩したりとか遠回りしたり寄り道したりしませんか? この曲は、僕の個人的な感傷ではそんな時の記憶が引き出されます。哀しいような温かいような、湿っているような乾いているような微妙な空気を感じます。
 ライブ終了後、興奮覚めやらぬ愛でる会長は、ライブ中に描いたスケッチにみきさんのサインを頂き握手を求めました。僕は横で少々控えめにしていたのですが、みきさんから手を差し出してくださいました。直接お話すると「可愛らしい方」(会長の言葉を借用)なんです。その方があのパワフルな演奏をする。アーティストなんですね、これが。晶君に握手して頂いた時には大きくて力強い手を感じましたが、けれども晶君もお話させていただいている時とステージ上ではやはり違いますものね。
 ギター一本とはまた違う美味しさのスペシャルなライブでした。晶君もとても楽しかったようです。そんな様子を見ると、ミュージちゃんっていいなあ、なんて素人のわたくしは思ってしまったりします。


<<<目次
▼これまでの手紙▼ ▲手紙トップへ▲
山口晶公認ファンサイト・山口晶の世界を愛でる会
http://orange.zero.jp/mederu/yamaguchi-sho-fan.html