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2号からの手紙

2005年1月30日
2号の部屋

♪ルールル、ルルル、ルールル
司会:黒ヤネギ2号


2号
「今日は『山口晶の世界を愛でる会』会長をされております、ヒロ姉さんにお越し頂きました。よろしくお願いします」
会長
「はい、よろしくお願」
2号
「さて、1月25日に行われた山口晶さんのライブに行ってらしたんですよね」
会長
「ええ、渋谷のセ」
2号
「『7TH FLOOR』というライブハウスでね、実はわたくしも御一緒させていただいたんですけど、会長さんは何やら艶っぽい趣向をこらしておいでになって」
会長
「ええ、まあ…(照)」
2号
「私の頭の玉ネギもツヤツヤしてますけど、そういうことではないですよね、おほほほ」
会長
「え?」
2号
「『7TH FLOOR』は落ち着いた雰囲気ですから、艶っぽい趣向もちょうどよかったかもしれませんね」
会長
「そうですね…あ」
2号
「ついに『慕夜記』にも登場してしまいましたね」
会長
「いやぁ、その…(照)」
2号
「グッズの扇子も手に入れることが出来ましたねえ」
会長
「ええ…この(と広げて見せようとする)」
2号
「わたくし初めて生演奏を聴いたんですが、『集中豪雨』がとても格好いいんですね」
会長
「そうですね…(戻す)私は『白いオツキサマ』も」
2号
「いいですねぇ。ところでギターも歌声ももちろん素晴らしいですけど、山口さんのハーモニカがね、わたくし大好きなんですよー。ゾクゾクするくらい。哭いてますよねぇ」
会長
「そうですねぇ、あ」
2号
「あの響きはやはりライブですねえ。玉ネギ頭がね、くらくらっと無重力になるみたいなんですよ、ふふふ」
会長
「………」
2号
「あら、次のお話はどれでしたか……(目の前のテーブルの上に沢山並べられたカンペを探って)そうそう、考えてみれば今頃という気がいたしますけど、初めて山口さんと一緒に写真を撮らせて頂いたんですよね」
会長
「はい、わた」
2号
「わたくし相変わらずぎくしゃくしてしまいましてね、結果の写真を見て自分の顔が失敗したなーと思ったんですけれどもね。会話もね、後からこう返せばよかったわなんて思ってもねぇ。『ミュージちゃん』と言うべきところも普通にミュージシャンと言ってしまいましたしねぇ、いつも反省会なんでございますよ、おほほほ」
会長
「そうですねぇ…やはり冷静なレ」
2号
「わたくしまた帰り道雨に降られてしまったんですよ」
会長
「は? …ああ、そうでしたね。渋谷で」
2号
「もうパラついてたのよね。電車の窓の外では途中結構降っているところもあったりで。ところが最寄駅に辿り着くと降っていなくて。路面も濡れておりませんで、よかったわぁと思ったら降って来たんですね。ここから自転車で家までっていうところでねぇ。以前にも同じようなことがありましたし、まあわたくしにとっては組み込まれた予定と言えるくらいで今更驚きはしませんけれど、冬の深夜は辛いですよねぇ、ほほほほほ。今日は楽しいお話を有難うございました」
会長
「………」


 いや、そういえば昨年は一度も降られなかったのでした。むしろ雨を除けるように。今年は降られる年なんだろうか……。次の機会には『Change』を聴きたいですね。
 さて突然ですが……

2号ボツ種集(オフィシャルサイト 唄種 第一回『短歌書いたん会』未出品作)

 いつもより ゆっくり歩いた土手の上 初めて気付く白い蒲公英

 いつもより スピード上げてこいでゆく 頬切る冷気 込み上げる熱

 いつもより 色艶のいいガジュマルの 根元にいるのはこれなあに!?

 いつもより 一品多い夕ご飯 デザートを待つ優雅なひととき

 いつもより ちょっと奮発 ハンバーグ セットじゃなくてライス単品

おそまつ! 2号     


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2004年5月25日
台風(2号) 対 NEGI(2号)


 2004年5月20日。台風2号が沖縄県の東海上に接近していた。前日までの台風の動きから、関東が暴風圏内に入る可能性もあった。予想より進路は南に逸れていたが余談を許さない状況である。暴風圏に入らなくとも台風の影響による雨が心配された。翌21日には、渋谷O-Crestにて山口晶初のワンマンライブが催されるのだ。愛でる会においては注視すべき課題である。急遽、愛でる会気象観測班を中心に「ニーダ対策本部」が設けられた。「ニーダ」とは、ESCAP(アジア太平洋経済社会委員)/WMO(世界気象機関)台風委員会によって付けられた、台風2号の名称である。1999年までの台風には、アメリカにある合同台風警報センターによって英語の男性名、女性名が付けられていたが、2000年からは台風委員会によるアジア名となった。委員会加盟国が提出しあった140の名称がリストになっており、2000年5月7日に発生した台風1号がリスト1番目の「ダムレイ」となり、以下リストの順に名称が付く。今年の台風2号はこのリストによって「ニーダ」となったのである。「ニーダ」とは、タイで使われる女性名だ。ちなみに日本の提出した名称は全て星座の名からとったものとなっている。

5月21日 AM2:00
<ニーダ>
 勢力:強
 中心位置:八丈島の南約270Km   中心気圧:965hPa
 中心付近の最大風速:35m/s    進行方向・速度:北東・65km/h
 東京23区に強風、波浪注意報発令中


<愛でる会ニーダ対策本部>
NEGI
「昨日よりどんどんスピードが速まっているな。夜には関東付近を過ぎているか……。」
部 下
「今のまま行けば、正午には銚子市の東、約230Kmに到達すると予測が出ています。」
NEGI
「うむ。ライブの行われる夜はもう大丈夫そうだな。交通機関はわからんが。」
部 下
「少しお休みになられた方が。」
NEGI
「そうだな……。しかし気になって眠れんだろう。2号と2号の意地の対決だからな。」
部 下
「気になっていたのですが、本部長がこだわる理由はそれだけなのですか?」
NEGI
「フッ。俺はな、ずっと雨と戦って来たのさ。台風というより、雨だ。去年のライブも四戦二雨一雪だったしな。そもそも以前から俺は雨にたたられた男だ。清里でも駅から宿泊地へ向かう道で毎回雨が降った。芦ノ湖でも猪苗代湖でも雨。スキー場でさえ雪はもちろん、雨が降るんだ。付いたあだ名がダスティンさ。」
部 下
「レインマン……ですか。」
NEGI
「まあそんな訳だから、雨でもいつもの通りなのさ。だからたとえ暴風圏内でも俺は行く。這ってでも行くと予告したからな。雨が降ろうが山羊が降ろうが、俺は行く。」
部 下
「山羊?」
NEGI
「しかし初ワンマンだというのに、台風で来られなくなるファンが出るのはな。出来れば戦うことなく行き過ぎてくれたらいい。」
部 下
「……そうですね。そうなれば本部長を暴風雨の中へ送り出さずに済みます。」
NEGI
「心配するな。俺は必ず帰ってくる。だが万が一のことがあったらこれを……(と胸元の愛でる会員認識タグを取る)リー・ルーに渡してくれ。そういやあ、家に荷物を取りに帰った時にこっちと電話をしていてな。そうしたらリー・ルーのやつ、『ニーダって誰よ!』って怒るんだ。台風だって納得させるのに大変だったさ。」
部 下
「恋人の方ですか。」
NEGI
「サボテンだ。」
部 下
「サボ……。」
NEGI
「しかし考えてみれば、俺は長年雨と戦ってきたが、雨を愛しているようなものなのかもしれん。台風ときちゃあ、とんだじゃじゃ馬だがな。ハッハッハッ!」
部 下
「本部長。やはり無理矢理にでもお休みになった方がいいと思います。というか休みやがれ。」
NEGI
「絵本読んでくれなきゃやだ。」

5月21日 PM0:00
<ニーダ>
 中心位置:銚子市の東約300Km   中心気圧:980hPa
 中心付近の最大風速:25m/s    進行方向・速度:北北東・85km/h
 東京23区の強風、波浪注意報は解除。この後温帯低気圧に変わる模様。


<愛でる会ニーダ対策本部>
NEGI
「どうやら通過だな。」
部 下
「そうですね。」
NEGI
「台風一過ってやつだな。」
部 下
「そうですね。」
NEGI
「台風一家は愉快だな。」
部 下
「そうですね。」
NEGI
「台風一課の新田さんをお願いします。」
部 下
「そうですね。」
NEGI
「行ってくる。」
部 下
「早く行け。」

 という訳で、21日は台風一過の蒸し暑い晴れとなった。次の日にはまた雨が降り、宇都宮の時と同じ。今年は何という強運だろう。しかし後に2号は、この強運が愛でる会長の祈祷によってもたらされたものと知るのである。会長は『閑人之日日』で前日に書き記しているように、「21日は台風一過である」と決めつけていた。その自信はどこから来るのであろう。
 さて、山口晶初ワンマンライブ。ワンマンだけにまるまる「晶君一色」。ファンとしては最高以外の何ものでもないが、「最高!」と言葉にしてしまうとあまりに陳腐だ。しかし会長同様表す言葉を知らない。僕は初めてのバンド構成だったけれども、楽しかった。弾き語りのみとはまた違った趣き。最近バンドの音が苦手だった僕だが、もちろん晶君のアコースティックギターを中心にしたこのライブではそんなことはなく、なんとも久々に音の振動が心地よく感じられて気分はノリノリ。こんなライブはとんと御無沙汰だった。弾き語りの空気感ももちろん冴え渡る。
 「バンドのライブっぽくやりとりをしてみよう」とのことで、「風の街」のコーラス部分を客席で歌ったのだけれど自分の声さえ聴こえなくて、更に声を上げてみたけれどそれでも微か。音程があっていたのか定かでないが、他の人にも聴こえていまい。
 最後の最後、晶君がギターを持たずに歌った『私と云う幸せ』は、全体の流れからくるものもあると思うが、圧倒だった。僕の感覚連鎖で言うと「ちょっと怖い」。歌が終わり晶君の姿が見えなくなるまでの最後の拍手が止んだ後、誰も身じろぎしない静寂の数秒間があって、皆さん圧倒されていたのではないかと思う。やはり山口晶は底知れぬ、得も言われぬ重力源を秘めた存在である。
 個人的なことだが、とてもいいライブであったが故に、その後の僕は今までで最もダメージを受けていたことを付け加えておこう。何でかね。

愛でる会の方の2号     


2004年4月1日
対抗意識。

NEGI(2号)の文字芸にござりまする〜。
右からNEGI(2号)!

ゆんゆんゆんゆんゆんゆん
ゆんゆんゆん
ゆんゆんゆんゆんゆん

左からNEGI(2号)!

ゆゆんゆんゆん
ゆゆゆんゆ〜んゆんゆん
ゆんゆんゆん

 む〜ん、音には勝てぬ、音には勝てぬ。すいません、それだけなんです。ちょっと前に中古CDラジカセ買いましてん。モノラル携帯ラジオだったら晶君の「音芸」わからなかった。甲斐があったというもの(笑)。NACK5聴けない方、わかりませんね、ごめんなさい。3月31日『あそこの100ワット』終了。お疲れさまでした。でもこれからはもっとお疲れ?
2号     


2004年3月22日
愛でる会員2号の日記 〜いい夢旅気分〜
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3月17日

 
アルびゃーニョンが帰って来ない。愛用のiBook G4の画面に「ちょっと出掛けてくる」と書き残したまま……。何かあったのでは? 我々は急遽、アルびゃーニョン捜索チームを編成した。そして高名な超能力者ノンダ・クレイ氏を招き透視してもらうことを決定。クレイ氏はヘベレケ合衆国において、警察から依頼されて数々の難事件を解決に導いているのだ。
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3月18日

 駆け付けてくれたクレイ氏が、『アルびゃーニョンは電車に乗ってある駅に着きました。その街には少し離れて二つ、別の路線の駅があります』と透視によって見えたものを語り始めた。続いて『何か皮に包まれたような食べ物があちこちに見えます。降り立った駅のそばには壁面が石で出来た古い教会があります。もう一つの駅の前には、何かモニュメントがあります。先程の食べ物の皮のようなものに包まれた……そう、ビーナスらしき像です。二つの駅の間には、とても古い寺院のようなものがあります。長い階段を昇っていくようになっています』と詳細を語ってくれた。それぞれを絵に描いてもらった。それらを手がかりに、場所の見当をつけた。クレイ氏が描いた「皮に包まれた食べ物」とは、まさに餃子だった。餃子で有名な街と言えば……宇都宮だ。宇都宮にはJRの宇都宮駅と東武線の東武宇都宮駅が、離れて存在する。我々アルびゃーニョン捜索チームは明日、宇都宮へ行くことにした。
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3月19〜20日

 東武線で宇都宮に向かった。クレイ氏を招くのに予算を費やしてしまったため宿はとっていなかった。その代わり行きの行程では特急スペーシアを使うことにした。旅というようなものではないのだが、ちょっとした旅行気分になった。
 東武宇都宮駅に着いてすぐ、松が峰教会という建物を見つけた。地元産の大谷石で壁面を飾られた建物で、昭和7年に完成したという。続いてJR宇都宮駅へ行ってみることにした。途中に長い階段を持つ二荒山神社があった。クレイ氏の透視と次々一致する。透視で見えた街が宇都宮である可能性が高まってきた。残るは「餃子の皮に包まれたビーナス像」である。駅の西口に着いたが、それらしきものは見当たらなかった。東口か。しかし東口へ向かう通路も見つからない。ぐるぐると回り続けた。「餃子ビーナス」はどこだ! もしや宇都宮ではなかったのかと不安がよぎったが、ようやく東口へ向かう通路を発見、そして……あった! 東口の階段を降りてすぐ、それは見つかった。足元に『餃子像』と記されていた。餃子とビーナスをモチーフにした、大谷石で出来たモニュメントだ。ついに我々餃子ビーナス探索チームは、その姿を目の当たりにしたのだ!
 任務を果たした我々は「餃子を食べていこうじゃないか」と、水餃子が有名らしい店に入った。水餃子も焼餃子も旨かった。堪能した。
 この日、宇都宮VOGUEにて山口晶のライブが行われることを我々は思い出した。「はっ、こんなところに前売券が」。我々はまたも山口晶のライブを、たっぷり7曲堪能したのだった。さんざん苦労する。いやいや我々は、色紙を持参して晶君にサインを頂いたし、いい夢旅気分も味わったし、苦労ではない。
 その後我々はカラオケ店で眠い目を擦りつつ夜を明かし、始発(普通車)に乗って帰宅した。関東圏では18日は雨、20日も雨で雪になったりもした(朝より日中の方が気温が低いというかなり寒い日で、宇都宮は1.8度まで下がったとか)。朝、駅から自転車でぷらぷらと寄り道して桜の様子など見ながら帰り着いた直後、雨が降り出したのだった。ちょうど雨の合間の快晴の日という幸先のよい2004年ライブ始めであった。しかし何か忘れているような気がする。


2004年1月23日
『夜の地図』鑑賞法施行 〜『ファーストにして名盤』、掛け値無し〜


 愛でる政府は21日夜半の臨時閣議で、『夜の地図』鑑賞法施行に伴い、この日ついにリリースされた山口晶ファーストアルバム『夜の地図』を愛でる会員全員分購入、分配した。これによって愛でる会員は『夜の地図』を発売日中に鑑賞することとなった。
 22日夜、NEGI愛でる官房長官は愛でる官邸での定例記者会見で、まず「ファーストアルバム『夜の地図』発売、おめでとうございます」と祝辞を述べ、「一言、凄いッス!もう今回はただひたすらに圧倒されっぱなしだった。」と語った。さらに「晶君が表現する世界はつまらん分析・評論などせずに深く味わうもの也」とした
愛でる会心得を引用し、「全くこの心得は正当であり、我々の陳腐なスケールでは山口晶の世界を計ることなど出来るものではない」と、愛でる会心得の重要性をあらためて強調、山口晶を賞賛した。
 内容については「個人的な感想」とことわりながらも、「今回はライブで聴いていた曲も多かったために期待度もより高かったが、こと『午後の憂鬱』、『陽ハ出ズル』にはいい意味でイメージを遥か裏切られ、彼の新たな魅力を見せつけられ、いや聴かせつけられた」と語った。そしてついにCD音源となった、ライブと同じアコースティックギターとハープのみの構成で演奏される曲、『ヨダカの星』について、「今までに感じて来たあの魅力が最大に最シンプルに凝縮され、涙もの。昨年特に大宮Heartsで感じた不思議な重力を思い出す。これからはいつでも独り静かに聴くことが出来る」と感激をあらわにした。つまり新たな魅力から山口世界の真骨頂まで、幅広く堪能出来る素晴らしいアルバムであると受け取めることが出来よう。
 「『ふるや』とは何か」との記者団の質問に対しては、「それは亀のみそしる」と、冗談とも間違いともつかぬ言葉でお茶を濁した。1人の記者が「それでは国民の理解は得られない。『一行』のことではないのか」と詰め寄ると、「お〜ま〜え〜は〜あ〜ほ〜か〜」と一喝した。
 関係筋によると、NEGI愛でる官房長官は『夜の地図』鑑賞後、「これがファーストアルバムなのか!?『荒削りじゃないッス』!『ファーストにして名盤』の文句に掛け値無し!」と叫びながらでんぐりがえしで3回転半し、執務室の壁にぶつかったまましばらく動かなかったという。ヒロ姉愛でる首相は今後の執政において、官房長官の更迭も視野に入れていると懸念する向きもあるが、山口晶ファーストアルバム『夜の地図』が、愛でる政府を揺るがす程のアルバムであることの証明だとも言える。

記者クラブ・2号     


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