論理哲学論考 1-7 6.1-6.5
      
6.4 総ての文は対等だ。
6.41 世界の意味は世界の外に在るはずだ。世界においては総ては在るがままに在り、生じるがままに生じる。世界の中には何の価値も存在しない――それに、存在したとしても、それは何の価値ももたないことだろう。
価値をもつ価値なるものが存在するならば、それは総ての生起と相在〔So-Seins〕の外に在るはずだ。総ての生起と相在は偶然的なのだから。
それを非偶然的にするものは、世界の中には在り得ない。在り得たとすれば、そのことはまた偶然的だろうから。
それは世界の外に在るはずだ。
6.42 したがって、倫理の文なども存在し得ない。
文は高次のものを何も表現し得ない。 〔6.421-6.423
6.43 善き志なり悪しき志なりが世界を変えるにしても、それは、ただ世界の限界を変え得るだけであり、事実全般を変えることはできない。言語によって表現され得ることがらを変えることはできない。
要するに、世界は、そのときそれによって、そもそも別ものになるはずだ。世界は謂わば全体として減るか増えるかするはずだ。
幸福な者の世界は不幸な者の世界とは別ものだ。 〔6.431-6.432
6.44 世界がどのようであるかではなくて、それが在ることが神秘だ。
6.45 永遠の相のもとの〔sub specie aeterni〕世界の観想は、全体――限定された――としての世界の観想だ。
限定された全体としての世界という感じが神秘だ。