論理哲学論考 1-7 6.1-6.5 6.11-6.13 6.121-6.127
      
6.122 このことから、我々は論理的文など無しにも済まし得ることが判明する。我々は、適当な表記法において、諸文の形式的属性を当の諸文の単なる外観を通じて認識することができるのだから。
6.1221 例えば、ふたつの文「p 」と「q 」が「pq 」という結びつきでトートロジーになるならば、qp から帰結することは明らかだ。
例えば、「q 」が「pq . p 」から帰結することを、我々は両文そのものから察知するが、それを、我々は、また、それらの文を結びつけて「pq . p :: q 」とし、そして、これがトートロジーであることを示すことによっても、示すことができる。
6.1222 このことは、論理的文全般が経験によって反証され得ないのと同様確証もされ得ないのは何故か、という問いに光を投じる。論理の文は、どんな可能的経験によっても反証され得てはならないばかりか、そうした経験によって確証され得てもならない。
6.1223 いまや、「論理的真理」全般が我々によって「要請」されなければならないかのようにひとがしばしば感じたのは何故かが明らかになる。我々は、十分な表記法を要請し得る限りにおいて、論理的真理全般を要請し得るのだ。
6.1224 また、どうして論理学が形式の、そして推論の学と呼ばれることになったのかも明らかになる。