論理哲学論考 1-7 4.1-4.5 4.11-4.12 4.121-4.128 4.1271-4.1274
      
4.1272 そんな訳で、変数的名称「x 」は対象という見かけの概念の本来の記号だ。
「対象」(「もの」、「事物」等々)という語が適切に使われるとき、それは概念記法において変数的名称によって表わされる。
例えば「・ ・ ・ のような 2 箇の対象が存在する」という文では「(∃x, y ) ・ ・ ・」によって。
一方、それが本来の概念語として使われるときには、諸々のナンセンスな、見かけの文が生じる。
ひとは、例えば、「諸々の本が存在する」などと言うのと同じように「諸対象が存在する」と言うことはできない。「100 箇の対象が存在する」とか「aleph0 箇の対象が存在する」についても同断だ。
また、総ての対象の箇数について語るのもナンセンスだ。
同様のことが、「複合体」、「事実」、「関数」、「数」等々の語についても当てはまる。
それらは何れも或る形式的概念を表示しており、概念記法においては、(フレーゲとラッセルが考えたように)関数やクラスによってではなく、何らかの変数によって表わされる。
「1 は数である」とか「ただひとつのゼロが存在する」といった表現や総ての似たような表現はナンセンスだ。
(「2 + 2 は 3 時には 4 に等しい」と言うことはナンセンスだろうが、「ただひとつの 1 が存在する」と言うことも同様にナンセンスだ。)
4.12721 形式的概念はもうそのもとに収まる或る対象とともに齎されている。ひとは、だから、或る形式的概念の諸対象および当の形式的概念そのものを根本的概念として導入することはできない。ひとは、だから、例えば関数という概念およびそれに加えて特殊な関数を(ラッセルのように)根本的概念として導入することはできない。あるいは、数という概念と或る種の数を。