論理哲学論考 1-7 3.1-3.5
      
3.1 文において思考は感官的に知覚可能なように現われる。
3.11 我々は文の感官的に知覚可能な記号(音声記号なり文字記号なり等々)を可能な状況の射影として利用する。
その射影方式は当の文の意味を考えること〔das Denken des Satz-Sinnes〕だ。
3.12 それによって我々が思考を表現する記号を、私は文記号と呼ぶ。文は世界に対して射影的関係にある文記号だ。
3.13 文には、その射影に属すことがらの総てが属すが、当の射影されることがらは属さない。
だから、射影されることがらの可能性は当の文に属すが、射影されることがらそのものは属さない。
文には、だから、その意味は含まれてはいないが、それを表現する可能性は含まれている。
(「文の内容」とは有意味な〔sinnvollen〕文の内容のことだ。)
文には、その意味の形式が含まれているが、内容は含まれていない。
3.14 文記号は、その諸要素、諸単語がそこにおいて一定の仕方で互いに係り合っている点に依拠している。
文記号は事実だ。 〔3.141-3.144