現在の名称  :景陽山総見寺

所在地   :名古屋市中区大須
宗派    :臨済宗
本尊は薬師如来。もと伊勢国大島村にあった安国寺を、織田信雄が父信長の菩提のため清洲の北市場へ移し、忠嶽を住職に迎えた。総見寺は信長の法号にちなむ。忠嶽は安国寺を開いた虎関を開山に据え、自身は二世の座に着いた(尾張名所図会)。
慶長15年(1610)名古屋に移転し、法系の関係で改めて忠嶽を開山とした(寺社志)。寛永7年(1630)焼失したが、藩主徳川義直は財貨を下賜、付家老成瀬正虎に命じて再建に当たらせた(尾張名所図会)。
塔頭は初め12あったが、江戸時代後期には光勝院など三院(尾張志)。
寺宝の織田信長公画像、旧清洲城障壁画、伝虎関師練頂相などはいずれも県指定文化財。明治11年(1878)境内に博物館が開設された。

              
日本歴史地名大系   愛知県の地名  より

2001/06
関連リンク

   総見寺                 飯田さんの「大須今昔」
       
http://www.ohsu.co.jp/ohsu/soukenji.html

総見寺をたずねて
関連リンクにある飯田さんの「大須今昔」から通常公開していないということを知ったので、事前に総見寺のご住職にお願いし、拝観の了解をいただいていた。東名高速名古屋インターを降り、名古屋の市内に向かう。出発前に地図で総見寺を探したのだが発見できないため、ご住職にアポ確認をかねて電話し、具体的な行きかたを教えてもらった。場所を探すに際しいつものことであるが、わかってみれば簡単なのに着くまではあちこちと走り回ってしまう。総見寺は町並みの中で最小限の場所に必要な設備を詰め込むというコンパクトな造りである。お寺の門が仁王門で立派なものであるが、まるでミニチュアのような印象をもってしまう。狭い場所で文化財を維持していくことに努力された結果なのだろう。
建物は全て近年建て替えられたようで「総見寺」、「景陽山」の扁額以外は古さは感じられなかった。
総見寺は現在は「安国寺」の名残は全く見られない。現在有名なのは織田信長関連の文化財である。ただ、この文化財も保管庫に厳重に保管されているということで一般の人が見ることは出来ない。展覧会などイベントの祭専門家により持ち出され展示されるのだという。
見ることが出来るのは信長公の追悼の石碑だけである。この石碑は「信長公碑」と書いた門の中に置かれている。
かつてこのお寺が存在していた場所は今は「
伊勢安国寺跡」として石碑だけが残っている。総見寺は役割を途中で変更されたお寺なのだ。中世の伊勢安国寺を思いつつご住職に色々とお話を伺うことが出来たことは非常に幸せなことと思えた。
山門
本堂
信長公碑
総見寺周辺図
総見寺の位置
2003/07