上方浪曲ニュース最新号
2000.10
 天龍三郎迫真の「吃又」熱演
 一門で菊春・鴬童を偲ぶ会


 ことし没後三十七回忌にあたる二代目広澤菊春と十七回忌にあたる梅中軒鴬童を偲ぶ会が、一門会などの主催で、九月二十三日ワッハ上方演芸ホールで開かれた。
 呼びかけたのは、鴬童門下の天龍三郎。菊春門下の澤孝子と、民謡に転向した藤本春駒、歌手になっている津田耕治が出演した。
 澤孝子は、菊春譲りのネタを女流向けに大西信行氏が脚色した「姿三四郎」を、いつもより菊春節を強調して口演、懐かしい節に客席から大きな拍手が送られていた。
 藤本春駒は一門を引き連れて民謡のメドレー、自らは三波春夫の歌謡浪曲「紀伊国屋文左衛門」を歌った。津田耕治はヒット曲や新曲を披露。出演者が一堂に亡き師をしのんで思い出話を語り合うトークコーナーも盛り上がっていた。
 こうした盛りだくさんなプログラムの中ほどにあって、主宰の今年八十五歳という天龍三郎は浪曲「吃又〜名画の蟹」をじっくりと聞かせた。長講一時間近くに及んだ迫真の芸は、さすが七十年をこすキャリアというにふさわしく、聞くものをぐいぐい引き込んで、見事な熱演だった。

  保利神社に百円寄付の標柱・二代奈良丸の遺徳を再認識

 大阪市住吉区の保利神社では、境内にある二代目吉田奈良丸の碑を移転整備し、十月十六日、清祓除幕式が行われた。
 保利神社は大阪市南端の長居公園近くにあり、境内に、「寄付 金百円 吉田奈良丸」と記した記念標柱がある。これは大正五年九月のもので、古老の記憶によれば、近くの住吉座という劇場で奈良丸が寄付興行を行い、その売上高全額を寄付したことを記念して立てられたもの。
 宮司の乾充宏さんは部類の浪曲ファンで、「これも何かのご縁、人知れず埋もれている標柱をよく見えるところに移し、浪曲の興隆を祈念したい」と移転整備した。
 十月十六日は同神社の秋の例祭で、夕方五時半から氏子らが集まって清祓い式を行った。乾宮司は、奈良丸の功績と浪曲の興隆を願う祝詞を上げ、碑を除幕した。
大正五年の百円といえば今のお金で百万円ぐらいに相当する金額で、二代目奈良丸大和之丞は、浪曲の地位向上に常に心を砕き、各地の神社や学校、公共施設のために寄付を行うなど社会的な貢献を惜しまなかった。出身地の下市の学校にピアノを寄付したり、村の鳥居を建てたり、泉州路には「奈良丸の井戸」といわれた井戸もあった。また京都山科神社の建立も師の尽力によるもので、こうした各地への寄付は枚挙にいとまがない
 その多くは今やひっそりと佇んで、往時を知る人も少なくなっているが、
保利神社では、浪曲ファンの乾宮司が大和之丞のこの寄進をたたえ、浪曲の歴史に再び日の光を射しかけた。
 「ローオンレコードを知ってますか」
 駒蔵・佐知子で芸術祭参加公演

 大阪にあった浪曲専門のレコード会社ローオンレコードが残した功績をたどる芸術祭参加公演が十月五日ワッハ上方演芸ホールで開催された。
 演芸プロデューサー沢田隆治氏の企画、本誌編集長布目英一氏の構成によるもので、新野新氏の司会で、ローオン育ちの広澤駒蔵、三原佐知子をメインに、五月一朗、フラワーショーがゲスト出演した。芸術祭の審査対象となるのは、三原佐知子の「異国の母」と広澤駒蔵の「木津勘助」の浪曲口演。ゲストの五月一朗は、十八番「太閤記」を、フラワーショーは新野新と京山幸枝若の思い出を語った。

参考「夢を追いかけたローオンレコードと加藤さん」芦川淳平評論集ページに掲載


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