*ほわいとでー小話08*
(黎深・絳攸)


【1】

名乗りとともに扉を叩いた絳攸は、入室許可を告げる声を聞いて室へと入った。
「李絳攸、ただいま参りました。お呼びでしょうか、黎深様」
「……何だ、その手に持っているものは」
尚書がお呼びです、と侍童に言われて室を訪れた絳攸は、開口一番そうのたまった上司に頬を引きつらせた。極力平静を装って答える。
「何、とは、書翰です。どれもすべて、尚書決裁待ちの、今日が期限のものばかりですが」
私を呼んだのはこのためではなかったのですか、と問うた副官に、黎深はあっさりと否を告げた。
「私がそんなくだらないことできみを呼ぶと思うのかい、絳攸?」
「…………っ、では何のご用でしょう」
「茶を淹れろ」
「………………っ!」
絳攸は頭の中で“鉄壁の理性、鉄壁の理性……”と呪文を唱えた。こんなことで怒っていては、彼の副官は務まらない。さらに言うなら、彼の養い子はもっと務まらない。
「黎深様が今すぐこの書翰に署名捺印してくださるのなら、お淹れいたしますが」
「……」
「…………………」
「……………………………………」
じぃっ、と見つめ合うことしばし。
ぱら、と扇が開かれる音が静かに室に響いた。
「………………お淹れいたします……」
敗者・絳攸は書翰を机案に置き、茶器の置いてある卓子へと向かう。
そんな部下の背中を見ながら、黎深はくすりと笑んだ。まぁ気が向いたら署名してやらんこともないか、と思いつつ、黎深が机案に置かれた書翰を手に取ろうとしたそのとき、彼の副官はいささか間抜けな声を上げた。
「――あれ?」
「どうした」
「黎深様、茶葉がありません」
「…………」
やっぱり署名はやめよう、と黎深は伸ばしかけた手を戻す。それを見た絳攸は、慌てて上司に言い募った。
「わぁっ! れ、黎深様!! ちゃ、茶葉ならどこぞから調達してまいりますから、どうか署名捺印お願いいたしますっ!!」
「…………吏部の者どもが普段飲んでいる、濃いだけで低品質の茶ならいらぬぞ」
吏部官たちが濃い茶を飲んでいるのは眠気覚ましのためなのだが、そんなこと黎深にはどうでもよかった。
「そ、そう言わずに……。――あ、そうだ、俺の室から持ってきます!」
ちょっと待っていてください、と出て行った絳攸は、手にたくさんの茶缶やら菓子やらを抱えて戻ってきた。
「お待たせしました黎深様。さ、どれがいいですか?」
絳攸が持ってきた缶に書かれた銘柄は、確かにどれも高級なもののようだった。
「ほう? お前がこんなに茶が好きだったとは意外だな。どうしたんだ、これは」
「先ほど珀明からもらったんです。あ、茶菓子も持ってきましたから、そちらもどうぞ」
検分するような目で菓子を手に取った黎深は、ふと本日の日付を思い出した。そうだ、今日は……。
しかし絳攸はそんな養い親の思索など知らずに、持ってきたものを机案に広げていった。
「あ、飴もありますよ。確か、黎深様のお好きな蜜柑味もありました」
「……ありました、ということは、絳攸? ひょっとしてこの飴も誰かからもらったのか?」
「え、ええ、まぁ」
歯切れの悪い養い子の様子に、黎深は贈り主の察しをつけた。
「――ほおぉ? …………絳攸、この茶を淹れろ」
数ある銘柄の中でも最高級のものを指定した黎深は、言われた通りの茶を淹れに向かった絳攸の背中を見つつ、飴の入った巾着に手を伸ばした。飴を口に含むなり、バリバリガリガリと盛大に噛み砕く。
それを何度繰り返しただろうか。絳攸が茶を淹れ終わる頃には、巾着の中はすっかり空になっていた。
「はい、黎深様、どうぞ。……って、ええ? この巾着に入っていた飴、みんな食べちゃったんですか!?」
「食べていいとお前が言っただろう」
「いえ、言いましたが、でもまさか……」
そんなに飴お好きでしたっけ、と呟いた絳攸には目もくれず、黎深は淹れたばかりの茶を一気に飲み干した。
「茶、おかわり」
「――えっ、ええっ? あ、熱くなかったんですか、黎深様!?」
「うるさい。淹れろといったら淹れろ。ああ、次はこの茶がいいな」
「それは構いませんが……。そんなに喉が渇いてたんですか? でも、熱いものをそんなに一気に飲んだら胃がびっくりしますよ」
次はもう少しゆっくり飲んでください、そういや猫舌の逆はなんて言うんだろうな、などと呟きながら新しい茶缶を開けた絳攸を余所に、黎深はその次に飲む茶葉を物色し始めるのだった。

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