福島県郡山市熱海町高玉 高玉金山 Photo:2009年 (1/1) |
●主な採掘金属 : 金が主で僅かだが銀も取れた。 ●主な採掘鉱石 : 自然金、濃紅銀鉱、角銀鉱 ●地 質 : 熱水鉱床 ●経営企業 : 日本鉱業(株) 高玉金山の発見は16世紀、戦国時代まで遡る。この頃茨城の佐竹氏(木葉下金山、他)、甲府の武田家(黒川金山)、大阪の豊臣秀吉(多田銀山)など戦国大名はみな藩の財政と戦費調達の意味で金山開発に血眼になっていた。ご当地会津藩もまた金山開発には力を注いでいたようである。その結果が高玉金山の開発となる。戦国時代が終わり江戸時代に入ってからもおそらくは採掘していたのだろうがその間の詳細は不明。次に金山の名前が世に出るのは明治の中頃になってから。1908年(明治41年)には採掘した金鉱石を日立鉱山に売鉱。1918年(大正7年)には日立鉱山を経営していた久原鉱業が高玉金山を買収(1929年には日本鉱業の経営)。それまでの小規模な経営から近代化を進め1936年(S11)には金年産高/1トンを達成する。しかし戦争に入り1943年(S18)いわゆる金山整備令により閉鎖。戦後は高玉鉱山(株)で再出発したが1976年(S51)閉山となる。1996年(H8)、観光施設「ゴールドマイン高玉」で再出発する。 |
●左:越後街道(県道8号線)から北へ上がり磐越道に着くまでの途中の分岐点。「高玉金山」の標識がある。 ●中:正面の標識。 ●右:目的地周辺の排水溝の様子。やはりかなりのさび色である。 |
●左:ここが高玉金山の観光施設(ゴールドマイン高玉)駐車場。磐越道(左の金網の柵)に沿って細長い。 ●右:正面の黄金温泉。でも営業してるのかな〜? |
●左:砂金すくいですね。朝が早いせいかまだ誰もいない。でも砂も入っていない水は入っているけど。閉店時は砂を抜くんでしょうかね。 盗難防止? ●中:ということらしいです。 ●右:「史跡・高玉金山、券売所」。この中が資料館になっている。訪問日が12月だったのでこの日も寒かった。中で暖まることに。オーナ ーらしきおじさんとパートらしきおばさんがおり小生と3人でストーブを囲みながら朝一番のミーティング?ならぬ世間話に花が咲く。 ”何処から来たの?”、”○○からです。”、”ヘエ〜、遠くから来・・ムニャムニャムにゃ(方言なんでよく分からない)・・・”、”ええ、そう なんすよ。もの好きなんすよ。この寒いのに朝からねえ・・ハハハッ”ってな感じ。 |
●左:金の圧延機ですか。この構造の機械を見るとどうしても小生の世代はあるものを思い出します。洗濯機です。そう、昔 の洗濯機は絞る時にローラーに洗濯物を挟んで回して絞るんです。ずぼらしていっぺんにやるとボタンが割れたりして ね・・・こういう話になると止まりません(笑)。一度この金圧延機を使ってみたいですね。上にはすきま調整用のハンド ルギヤもついてるし。こういうシンプルな機械って大好き! ●右:青木葉坑で採掘された金鉱石。小さく「非売品」と。 |
●左:資料館内部の様子。ガイガーカウンターやミネライト、顕微鏡、カーバイトランプ、メスシリンダーなどなどちょっと雑然と してますが。 ●中・右:青い鉛管服(つなぎ)を着たマネキン君です。何故ここにマネキンがある(いる)のか聞いたがむにゃむにゃ・・・と 意味不明。”私は「高玉金山」のBAY YONGJOCと呼ばれております。どうぞよろしくお願いいたします。”と名札。中国 人の元従業員? |
●左:茨城の日立鉱山と同じ日本鉱業の経営なのでここで採掘した金鉱石も日立に送鉱していた時期があった。勝 手な想像ですが「高玉」って地名もなんとなく金を連想させません? ●右:ロケーションの説明のために撮影。バスの道路は磐越自動車道。左が福島県側。磐越道を走っていて高玉金 山がここにあるのを知った人はかなり多い筈。 |
青木葉抗の坑口です。トロッコがここから入っていきます。約700M地点がトロッコ終点。下の鉱床地図の赤く塗りつぶした地点。 |
●左:磐越道からも見える大きな看板。そのために付けたんでしょうが。 ●右:これはフクロウでしょうかトロッコの顔。可愛いトロッコの操車場、駐トロッコ場と言ったところか。ヨコのおっちゃんが運 転手兼、責任者。と言うのもここが「高玉金山土地管理組合」との名称なもんでオーナーというのも変ですよね。 |
●左:フクロウ?トロッコの終点。ここでおっちゃんの若干の説明を聞く。奥には行けないのでちょっとね〜。もう 少し歩かせてくれてもいいと思うんだけど。これではガスがたまる・・・。 ●右:さあ出ました!いつもの金鉱脈!ここで人が必ずすること、それは”これが金鉱脈です”って所をじ〜っと 眼を近づけて見る。あわよくば爪で取れないかな〜との想いで・・・。運よく見えていてもまず無理でしょう ね。まずは見えませんね。(笑) |
●左:巻上機が設置されていた場所です。こういうところには必ず観音様がありますね。余程犠牲者が多いのでしょうか。まあ昔の坑内は ひどいものでしたから。戦後の鉱山は犠牲と言っても事故死が多いけど戦前・戦中のそれはちょっと様相が違いますからね。 ●中:これが地中230mまで潜っている竪抗。もちろん今は埋まっている。 ●右:230m地中まで潜って地圧と体温と地下水or温泉なんかで蒸し暑い中でひどい粉塵に時には呼吸も出来ず(防塵マスクもあまり役 に立たなかったと言う元坑夫の話もある)カンテラひとつではっきり言っていつ崩れるか分からない坑内での作業って地上で働いて る人には、分かれって言うほうが無理でしょう。それほど今風に言うならば労働環境の悪い作業場だった。はっきり言って「生きて帰 れるかどうか分からん」と言うのが正直な感想だろう。 |
●左:坑内閉鎖抗を何気なく撮ったところこんな風に写っていました。ウランかタングステンでもあるんでしょうか・・・まさかね。ミネライト持 って行けばよかった・・・(笑)。 ●中:何本もの丸太でヨコに支えているのが分かると思いますがこれが金の鉱床(鉱脈)のあった所で掘った跡がこんな風になっている。 つまり掘った跡です。丸太は崩落防止なんでしょうね。どこでも同じようにやっています。 ●右:赤丸が坑口です。つまりほぼまっすぐなんですね。下の鉱床図どおりです。 |
m |
●上:鉱床図。密集部分だけを拡大してます。赤い線が観光用トロッコ軌道。平面図と書いてるよう に細かな坑道を上から見た場合の図です。当然ながら実際は3次元的に広がっていますか ら複雑さはこんな比ではありません。迷子になっても方位磁石は金属鉱山では使えないと思 います。炭鉱では分からないが。聞いたことないが迷子になった坑夫っていないのかな〜? 恥ずかしくって言えないだろうね。 ●左:坑口の右手にあったやつです。 |
高玉鉱山歌って知ってました?さすが日本鉱業、イメージ・アップのために荒城の月の土井晩翠まで動員しますか。 |
●左:ゴールドマイン高玉の北側のズリ山方向に行くとなにやら「航空研究会・郡山」というのがありましたが。人はいなかったが。なだら かな緩い斜面があったのでグライダーの練習でもしてるんでしょうか。恐らくここもズリ山だと思うのだが。 ●中:もっと北側に行くとありましたよ。くっきりとズリ山が。やはり金山なので相当の規模ですね。北海道の鴻ノ舞金山のズリ山もでかか った。 ●右:これもズリ山ですがあるいは沈殿池だった?地形的にそんな風に見えたが。現在の姿は山と言うよりも広大な運動場のよう。何か 計画でもあるんでしょうか。 |
●左:ゴールドマイン高玉の背中の山の西側の様子。たぶん単なる崩落だと思うが青緑色の具合が面白く一枚、カシャツ!孔雀石の ように銅分があるんだろうか。 ●右:近くの工場。蒸気のようだったがここも鉱山関係? |
●左・中:昔の遺構。ここはゴルフ場のちょっと手前周辺。このあたりから西へ県道24号線に行くまでの山全部が選鉱場、精錬場、ズ リ山の固まり。入っていきたかったが入る道が分からない。細い道はあるのだがマイカーではちょっと怖い。何度もスタックし かけているので間道は恐いノダ。 ●右:帰途途中、大山祇神社のあたりから撮影。正面の地肌の見える場所がゴールドマイン高玉。 |