山梨県甲州市黒川山(の中腹)  黒川金山 撮影:2007.12  (1/1)   








 武田信玄の軍資金として開鉱されたと言われる黒川金山は山梨県は甲州市、黒川山(海抜1710m・別名=鶏冠山とも言い”山梨100名山”にも数えられる)の東側中腹にある。東京都の奥多摩湖の西側、R411をドンドン行った丹波渓谷の中にある。
 武田信虎(信玄の父)の時代に本格採掘がはじめられ戦国大名、武田家の軍資金として重宝される。今も昔も戦争にはカネがかかる。黒川金山が発見されたのはもっと昔だったと言うがいつごろかは定かではない。ただ信玄の子、勝頼の時代には急速に廃れたと言うがその後徳川の時代になって大久保長安の力で一旦は息を吹き返すが1600年なかば頃に遂に閉山となる。その後現在に至るまで復活したと言う話は聞かない。ただ今もおいらん渕のあたりの川原で砂金を集めている人がたまにいるらしい。 最後に、
 今回は結局目的地までは行けなかったが実を言うと登山ルートにほとんど自信がなかったので標識まで行けただけでもラッキーだったと思っています。最初は木橋までかな?それ以上は道が分からないで無理だろうな〜と思ってましたから。でも次回はルートも分かったから最後まで行きますよ。お楽しみに。


 ここがおいらん渕です。道路地図にも載ってますよ。おいらん淵とは下の説明板にもありますが、武田(信玄・勝頼)一族が滅亡するときに自分たちが掘り続けた金山を家康軍に獲られることを嫌って金山の坑道その他を全部つぶし、同時においらん達の口から金山の秘密が漏れることを畏れたため彼女たちを甘言によりこの沢に突き落として殺した、と言ういわれである。そんなことで秘密が守れるかどうかは冷静に考えれば分かることなのだが。いつの世も権力者のすることは似たようなことをする。


 「おいらん渕」伝説の項だけ抜粋します。

 ここは地元の人に「銚子の滝」と呼ばれており黒川金山にまつわる悲しい伝説があります。
戦国時代、金採掘が最盛期を迎えた頃「黒川千軒」といわれた鉱山街の近くに金山鉱夫慰安の遊女を置いた場所があった。武田家の滅亡により閉山するにあたって金山の秘密を漏れるのを防ぐためここ柳沢川に演台を造りその上に宴席を設けた。遊女たちによる舞の最中演台を吊っていた藤づるを切って演台もろとも渕へ沈めて口封じをしたことから「おいらん渕」と言われるようになった。


 R411とおいらん渕。


 R411から入る道。割と広い道だ。


 上の道路を2〜300m降りた所に写真の橋がある。三条橋だ。おいらん渕の柳沢川に架かっている。この橋を渡るとすぐに2枚下の場所に来る。もう見えている。


 三条橋のすぐ下を流れている箇所。ここで”石”の好きな人はよくハンマー片手に歩いている。特に川原の石をひっくり返している人は金狙いだ。今でもたまに出るらしい。


 ここまではいい道だ。ただし進行方向は写真前方ではない。写真左側に数台分の駐車スペースがあったのでそこに駐車。ここからは歩きだ。方向は写真右手方向。
 ここからはチョットキツイデスヨ。


 このタイヤのわだちの方向に行く。


 さあどんどん行きましょう。しばらくはこんな道です。が・・・・。10分ぐらいはこういう状態が続きます。足元は悪いです。尖った握りこぶしぐらいの石がゴロゴロです。車はやめた方がいいでしょうね。


 途中、少し斜面が崩れている。でもいけないことはない。そのまま行く。


 は〜い、巾の広い道はここまで。沢に到着。写真の木橋を渡る。’本当にわたっていいの?’と思うような状況だが渡っていいんですよ。ルートはこの奥です。木橋を渡ってすぐ左方向。沢に沿って上に上がる。それらしい道も何もない。雪だったのでよけいに分かりづらい。あっちかこっちか?と若干迷ったがすぐに分かった。


 何の構造物だろう?まさか信玄の時代にコンクリートがあった??


 冷たくて美味しそうな水でしたよ。飲んでいませんが。ず〜ぅとこんな沢です。写真の沢の右側に雪が積もっていてなんとなく道かな?と思えるそれらしき道が正解です。さあどんどん行きますよ。


 沢の右側の道を登っていくとすぐに誰かが置いたのでしょう、’通せんぼ’している木切れがありました。あきらかに自然に倒れたものではないですね。ここで逆V型,矢印方向に。


 さあ、これから坂の勾配がきついですよ。とてもハイキングコースとは言えない道です。写真のあたりはまだ’道’がハッキリ分かりますが箇所箇所ではほとんどただの斜面になっている。写真ではそれほどきついようには見えませんがこれがなかなかのもんです・・・。汗、汗、汗・・・。雪が積もっている環境でよくこんなに汗が出るもんだと思うぐらいに汗をかいた。シャツもベトベト!しようがない。


 登っても登ってもこんな感じだ。相当時間が経ったが誰も人っ子一人会わない。ただ人と会わないのはいいんだけど不思議だったのは生物も見ないし(冬眠中か?)鳥の鳴き声も聞かなかった。遠くに沢の水音だけしか聞こえないなんとも不思議な環境だ。単に冬だからか?エサがないのか?だが冬でも多少は鳥の鳴き声ぐらいは聞こえるものだが。なんだろう。


 途中こんな標識が。水源確保の為の植林か。


 やっと”三条橋到る”の標識まできた。これでなんとか約半分ぐらい?か。ここまでのルートはネット検索で調べてやってきました。このサイトのおかげで木橋のあたりからの道も分かりました。随分参考になりましたよ。この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。
 藤尾橋方面の標識は折れて地面に落ちている。どっちに向いていたのか?。ただネット検索の情報と若干違うところもあったのだが。無視できる程度だ。何せ一本道しかないのだから。


 Uターン(Vターンかな?)あたりでの奥多摩方向の景色だ。木が邪魔をしていてよく分からないですね。


 かなり歩きました。が行けども行けどもこんな感じの道ばかりです。アァ、シンド〜!帰りの時間を考えるとこれ以上行くとチョット・・・。ここまで誰も会いませんでしたよ。約2時間半の間。半分以上は来たと思うけど結構キツイ。山に慣れた人ならこんなに時間もかからないと思うけどやはりメタボですね。時間も時間なのでこの辺で思い切って引き返します。もうちょっとかもしれないけど。


 これは黒川山のふもとを貫くトンネル。おいらん淵の近くである。反対側は何処に行くのか? 塩山方面に行く途中にも何かR411周辺で工事をしていたがそれかもしれない。だとしたらまさに黒川山のど真ん中を抜いている理屈だ。ひょっとしたらさぞかし金鉱石を入手したかも・・・。金の塊だったりして。


 大菩薩峠への標識。中里介山記念館も近くにある。冬はいけないだろう。


 R411を西進の途中、山の間からかいま見えた富士山だ。雪でスッポリ化粧している。


 中央高速から見た南アルプス。
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