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茨城県水戸市木葉下町森林公園 木葉下(あぼっけ)金山 撮影 : 2009.12 |
2009年12月に木葉下金山探検ツアー(下の写真)があり今回はその時の参加体験記録です。若干、いやかなり時間が経ってしまったが今頃のUPにお許しあれ。 表題の”木葉下金山”の”あぼっけ”って普通は読めませんよね。何でもアイヌ語がルーツらしいです。江戸時代にアイヌ民族が東北まで支配権を及ぼした頃の出来事かもしれません(案外、金山発見もアイヌ民族の功労だったりして)。 歴史は佐竹藩主、佐竹義宣(1570〜1633)の時代に同氏による金山開発奨励策で発見されたといわれる。その後は豊臣秀吉の時代に入り秀吉の肝いりで益々、産金量を増やす。が運上金名目の秀吉への税金(上納金)も増えまもなく徳川幕府に変わり同氏は秋田に国替えになり水戸周辺での金採掘は事実上、終焉を迎える。 |
●L写真:森林公園の案内板。 ●M写真:”水戸藩開藩400年関連事業”とのこと。と言うことは開藩は1609年と言うこと か。当日の講演は佐竹金山跡研究会の滝友彦氏。金山跡めぐりは講演の後。 ●R写真:講演前のひと時、参加者による石の質問が相次ぐ。ステージには見事なパイラ イト(黄鉄鉱)があったが。 ●下写真:昔の学生運動の集会ではありませんよ。年齢的にはピッタリだが。(笑) さあ金山跡めぐりに出発!ヘルメットは坑道内に入るので、棒は杖です。坂を登る ので。やっぱり歳かな?(再笑) |
さあ出発です。最初の坑口。予想通り小さくて狭いです。400年近く昔の狸堀りの坑道を再発掘してここまで維持してるんですね。 |
●L・M写真:ここの坑道は割と大きい。大人がちょっと屈んで入れる程の大きさだ。奥行きは浅いが。 ●R写真:突き当たりは白っぽくなく茶色い岩盤だ。金脈を探しているような様子? |
●L写真:やっぱり出ました。例のゲジゲジが。坑道には付き物。坑道の主、坑道の住虫。Wikipediaで調べると何と益虫なんだって! (益虫という言葉も妙なんだが。屁理屈をこねると世の中に(学術的意味では)益虫・害虫というものはない筈なんですが。す べて必然性があるから存在しているという説ですね。病気の怖いウイルスや寄生虫なども種の多様性と言うか生物多様性の 側面から考えると必要かくべからざる・・・やめましょう、コーナーが違ってますネ。)ゲジゲジって正式名称は”ゲジ”なんです って。Wikipediaにはそう記載しています。見た目には気持ち悪いですがゴキブリなどが餌なんだって肉食らしいです。性格は おとなしく攻撃性は弱いって・・・エエ虫やがな。 ●R写真:坑道の奥側から入り口を撮る。 |
●L・M写真:金の精錬・選鉱をしていたという弁天池。今は金生山(かねやま)厳嶋神社になっている。M写真の丸い錆びた桶のようなものは井戸らしい。池の中の井戸というのも妙だが昔はこの水を使って金鉱石を最初、金槌などで割り後で石臼のような物で細かく細かく砕いて水を混ぜ泥状にして斜めにした猫流し(簡単に言うとさらし布を敷いた滑り台みたいなもの)様の物に流して比重の重い金だけが所々に設けた小さな堰にひっかかり採取する、という具合である。 ●R写真:金山の山を所有している方のリンゴ園。 |
●L写真:こんな格好でこんな所を杖をついて歩き回りました。 ●M写真:ここの間歩(坑道よりこっちの呼び方の方がいいですね)は小さかった。入れない。 ●R写真:もうどこの間歩だったか分からなくなってきた。こちらの間歩はちょっと大き目?だったかな。 |
<ここの4枚の写真はみんな同じ間歩だったと思う。> ●L写真:入るのに順番待ち。並んでます。 ●M写真:こんな入り口。 ●R写真:きれいに四角く掘ってありますね。元から?発掘後? ●下の写真:横穴が掘られています。もちろん入れません。小さいです。体の小さい人が掘ってるんでしょうね。400年前の人の体格はどうなんでしょう?座った姿勢で掘っていると思うんですが。 |
●L写真:当地で一番よく知られている金山間歩跡坑口。車道に面しているのでみんなが知っている。 ●M写真:竹柵の右側の白い説明版。 ●R写真:その内部。柵の間から撮影。ストロボ光の関係かまさか水没ではないと思うが底が写る? |
●L写真:すぐ近くの別の案内。この辺いったいが金山だという意味だろう。 ●R写真:案内の側面に詳細が刻印。(?部分はピンボケで非読) 〓佐竹氏の時代に開かれ水戸藩の初期まで採鉱した金山の跡であっ??のもとは豊臣秀吉の鉱山政策にあったが佐竹氏 は領内金山の??十分の一を運上として秀吉に納めたがその額は金山??言われる。水戸藩も永田勘右衛門??今もそ の坑口と鉱石を洗った弁天池が残っている。〓 |
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