Thoughts    12/30 UP!




 <Dear My HERO> Dec.28.2002


発売一週目、MTVのWCEXで見事初登場1位を取ったMr.Children
メンバーが出てこないHEROのプロモーションビデオ。
『冬にリリースしたかった』という桜井さんの言葉を象徴しているように
全編雪に包まれた 心温まる愛情物語に仕上がっている。

正直に言うと・・・
期待ばかりが先行してしまって、初めて見た時少し物足りなさを感じました。
曲のイメージとその映像が重なった時、それ以上の創造力が膨らまなかったんですね。
私の中でこの作品は「音」として既に完成されていて、余計な物は必要なかったということなのか
全く違うPVだったら印象は変わっていたのか?よくわからない。
アニメーションに感情移入できない自分が 疎ましくもある

相変らず私はラジオから録ったMDを聴いている。ライブで歌う生の映像も見た。
ドキュメンタリー番組で製作に関わるメンバーと、HEROに込めた桜井さんの想いを知った。
からくりのないストレートが言葉が、繰り返しくりかえし響いてくる。
時にあのイントロが あのサビが 琴線に触れちゃったりもする。
私の中で HEROに対するイメージは日々変わっていく。
そしていつの日かこの曲も、忘れられない珠玉の作品になっていくのだろうか。








 <歌声が楽器になる時> Aug.5.2002



歌の上手い下手は 人によって感じ方は違うと思うけれど。
私の場合、聴いていて耳に馴染む、心地良いと思える人の歌声が
「上手い」という基準になっている気がします。
音程が合っているだけではダメだし、かといって高音が出るとか、
音域が広く澄んだ声であればいい…という訳でもない。
要は下手でもハートに響く声が 一番魅力的なのかもしれないな。
とは言え、久し振りに聞いた佐藤竹善さんの歌声は 素晴しく美しかった。
(言うまでもなく下手な歌手ではない!)
彼の歌は先程挙げた要素を全て満たしている、有無を言わせぬ「歌の上手い人」だなと思った。

一例を挙げると、女性ボーカリストでは、ボニーピンク宇田多ヒカル
人を惹きつけるその歌声は、天性のモノなのか?超音波のなせる技か??
とにかく聞いていて非常に気持ちが良い。(超音波って上手な人だけにあるとは限らない、
だってビートたけしさんにも微量ながら出ているらしいから…)
私にとってはハスキーで ちょっとクセがある声が波長に合うみたいです、
だから逆にミーシャさんとかゴスペラーズの様な キレイ過ぎるものには余り反応しません。
後、理由はよく分らないけど 浜崎あゆみと小柳ゆきの声は相性が悪い、
ファンの方には申し訳ないけど、聞いていて耳に障るのです。

結論として究極のボーカリストはやっぱり桜井和寿さまであると…
結局はそこへ持っていくか
(^_^;)。だって本当に、心底惚れてますから私・・・
好きとかファンだとかの次元を遥かに超えているのです。
彼の歌声は日本の、いや世界の宝であると信じております。
(*
Mr.Children Attraction参照)もしも桜井和寿氏が声帯をなくしたり、
二度と歌えないなんて事になったら・・・恐ろしくて想像したくありません
(>_<)
しかし突然の不幸は予告なくやって来る、それが今回の彼の急病であったと。
最新の情報により、検査の結果も良く今では随分元気になったとの事。
オフィシャルHPの彼のメッセージを読んで本当に安心しました
「僕はある日コテッと逝っちゃうんじゃないか…」
という発言は他人事とは思えないくらい 痛々しかったけれど。
自分の運命を呪ったり、先の見えない恐怖と戦いながら、漠然とした不安を抱えて
天才と言われ続けた桜井さんも人の子 普通の人間なんだよね。
どうか一日も早く回復して その美声をまた聞かせて欲しいと 心から願わずにいられません。









<桜井くん、愛のお仕置き部屋行き決定>
April.29.2002


ロッキンオンJAPANを読んだらビタミンCが大量に放出した。
あまりに集中して気合を入れる為、ぐったり疲れる。
インタビュアーはいつもの様に鹿野編集長、あのぉ〜どうでもいいけど読んでいて、
どっちが桜井くんの言葉か分らなくなってしまうんですけど…
(-_-;)
色分けしてくれません!?鹿野さま。
魂が乗り移ってんだか、人の心が読めるのか(笑)
あそこまで言い切っちゃう人もスゴイね、ある意味関心しました。

肝心の内容はというと・・・音楽的な話以外に、所々脱線する
(脱線したがる!?)桜井氏の話がとても印象的でした。

What’s New
でも触れましたが、「3年前の後悔」と題して語りだした超プライベートな話。
人間は変化するものだと、身を持って示してくれた彼。
そこまで赤裸々に語らなければならない理由は一体なんだったのか?
インタビューの流れでつい出てしまった言葉だとしても、痛々しくて何てヘヴィなんでしょう。
事実いう最強の武器を使って私達の心の奥深く入り込んでくる、
あぁきっとまた騙されてんのかなぁ…と思いながらも涙腺が緩む私。

そして彼はその経験を通して非常に重要な事実に気がついたらしい。
Mr.Childrenが世の中に与える影響の重さ」ってやつを。
その後のインタビューでも自ら言っていたけど、確かに気付くの遅すぎ(爆)。
ついに懺悔する気になったかな?(何の
?)10年かかってたった一人かあ…
じゃあ全国○○万人のF&M会員に巡って来るのはいつになる事やら…。

ま、見返りを期待しない「愛」ってのもたまには良いか。







ロックだろうがポップだろうがどうでもいい

バンドのイメージも、これまでの流れも

ただ聴いて欲しい


SWITCHのインタビューで溢れ出た この言葉を聞いて 思った

奴ら勝負に出たな

受けて立とうじゃないの その勝負!





<桃色タイトルの謎> April.18.2002


「歌の中に自分を登場させるのをやめた」という桜井さんの言葉が脳裏をよぎった。
これまでのストライクゾーンに入る普遍的快感、人間くさいものをあえて排除し、
明るく真っ直ぐな「ポップ」に徹底するその姿勢は、
もしかしたら私達への挑戦なのかもしれない。
人の性格もそうだけど、「普通」「ノーマル」ってのが実は一番分りずらい
簡単そうで難しいのだ。
批評家たちへの復讐?それとも自己防衛? 
彼は勝手に築かれてしまった
Mr.Childrenという枠にかなりウンザリしている
だから意図的にあんな曲名を付けたのか?

そんな想像がある意味当たっていたような発言があった。
「フラットにして聴いて欲しい」
最新のインタビューでは新作のアウトラインが透けて見える程、彼らの言葉は明確だった。

でもさぁ、あの「あやや系桃色タイトル」のタネあかしを簡単にしちゃダメ!
まんまと騙さなきゃ〜。   大丈夫!
ゴミの分別をしている桜井さんもカッコよく見えるほど、イカれてるから私達
(^_^;)




<以心伝心> April.16.2002


Mr.Childrenに限った事じゃないけれど
私達が日常よく口にする言葉をみると、
私達ってつくづくアジア人だなあと感じる事がある。
「口で言ったわけじゃないけど 解かる」「きっと気持ちは通じたと 思う」
こういう言葉って欧米では殆ど理解されないというか、
目と目を見れば分かり合えるという以心伝心的考えは、彼らの文化にはありえないのよね。
実は私は、この日本人特有の曖昧さが大嫌いだった。
とくに女性はそうなんじゃないかな?
好き嫌い、Yes/No をハッキリ口に出して言わないとわからないって、
つい言ってしまう(NOT FOUNDじゃ
^_^;)。
でも最近そのまったりした曖昧さも時には(あくまで時には!)良いかなあ、と思ったりする。
これぞアジアン情緒の極みというか、いい所でもあるよね。
言葉を超越して、深層心理を模索する奥の深いもので、
口頭表現のように単純じゃないけど、それはそれでとても素敵な事だと思う。
ビジネスにおいて通用するかどうかは少々疑問があるけれど、
(いや芸術の分野ではありえるかもしれない)
彼らはその手法で、ある部分コミュニケーションを取っているみたいだ。
「何も言わなくても お互いが通じ合える」 
Mr.Childrenのインタビューの中でしきりに飛び出したこれらの言葉に、
日本人的「ワビサビ」の世界を垣間見てしまった。








<スロースターターの旅は続く> March.26.2002

前に「Mr.Childrenて10年もやっていて良く飽きないなあ」発言をしたけれど
よく考えてみると 彼らが決して無理して飛ばさないバンドあった事を忘れていた。
ブレイク前後の一時期を除けば その活動は到ってマイペース、
普通のミュージシャンが2、3年でやる事を 
彼らは10年かけてゆっくり、一歩つづ進んできたのかもしれない。
試行錯誤しながら青年たちは自分たちのやるべき事、進むべき道を、
「今!!
やっと見つけた所なのか?
そう思うと理解できない事も無い、何ていとおしい「超スロースターター」なんでしょう。。
Mr.Children。もう何も申しません、
どうぞ自分たちが納得するまでトコトンやって下さい。
ライオン母のような大きな愛で 見守っていこうと思います。(勝手に)
崖から突き落としても 恨まないでね♪





<有名人の試練> March.15.2002


富、地位、名誉、名声、人間が欲しがる殆どものを手に入れてしまった人達。
彼らは、その後何を望むだろうか?
それでもまだ更なる欲を求める政治家のような人は別にして・・・
多分残る物は「平凡な幸せ」「普通の生活」なのだろう。

 少なくとも日本中のどこへ行ってもその顔が知られ、
ファンやマスコミに追いかけられ、それが芸能人の宿命とはいえ
あまりにもプライバシーが守られない日本の現実。
数年前の桜井氏に対するマスコミ報道も例外ではなく…
その時に受けた心の傷や痛みは、想像を絶するものだったに違いない。
消えてしまいたい、無人島へ行ってしまいたい、
そして「自殺」なんてものを考えても不思議はないだろう。

10年経った現在だってそれ程変わりは無い、
街で逢えば握手を求められサインを求められる(私だってするかも笑)。
特異な例として彼らの誕生日に嵐のように載る「お祝いメッセージ」、
これってどうなんだろう?
誕生日って「超プライベート」な出来事だと私は考えているので、
あの3月8日のBBSの光景が信じられなかった。
タレント家業も楽じゃないね。

これ程芸能ニュースが氾濫している国は他にはない。
そして毎日テレビや新聞を派手に賑わしているのも珍しい、
平和でヒマな人間が多いということか??確かに興味本位は誰にもある。
私だってそう、つい週刊誌を手に取ってしまう自分がいる。
他人の私生活が気になるのは自然の感情だけれど、
それは我慢しなくてはいけないのだ。
それがマナーであり、礼儀であり、相手に対するリスペクトであると。
とはいえ人間の欲望とは恐ろしいものでして・・・。

彼は音楽によって、普通の人が一生かかっても到達できない「素晴しい物」を得た。
しかしそれと引き換えに「失ったもの」は大きかっただろう。 
どちらが幸せかなんて 私には言えない






 <死んだ後の生き方> March.3.2002 


昨年の話だけど
NHKTV小説「ちゅらさん」を偶然見ていたら、こんな言葉と出逢った。

「誰かが死ぬと言う事は悲しいことだけど、
その人は神様に選ばれてしまった人なんだ、私達に命の尊さ素晴しさを教える為に・・・」
何て深いお言葉、、、不覚にも泣いてしまった。

確かに私も時々こういう考え方をする。
「これはその人の運命であって、この世に生を受けた時から既に決まっていたのだと」
そういう風に割り切らないとやり切れない、そして悲しみはずっと癒える事はない。
ましてや事件事故の被害者の家族はなお更そうだろう。

自分自身幾つかの「死」というものを経験し、乗り越えてきた。
いつかは誰にもやってくる死、それが早いか遅いかだけであって避けては通れないもの。
だったら死というものを受け入れていくしかない、と。
悲しい悲しいと言っているうちに、時は無情にもどんどん過ぎてゆく。
「人は悲しいくらい忘れてゆく生き物、愛される喜びも寂しい過去も」
「今より前に進む為には争いを避けて通れない、そんな風にして世界は今日も回り続けてる」

残された者のために時は止まってはくれない、
進んでいかなければならないのだ、明日へと…。


私がもし死んだら・・・みんな悲しんでくれるかな??
まあ、今の内に「私の葬儀の時にはミスチルを流してください!」
なぁ〜んていう遺書でも残しておこう(笑)。





 <JenTina 愛の劇場(笑)> Feb.14.2002

自分に似ていると感じる人がいる。

安室奈美恵、宇多田ヒカル、そしてMr.ChildrenJEN

こういうと「へ!?」と思われるかもしれないけれど、
もちろん顔ではなく感覚的なモノというか、人間としての性質、性格の事である。
彼女たちはテレビでしか見たことは無いけれど、ブラウン管を通して直感的に感じるのだ。
自分と同類のものを見たときに、鏡を見ているようで
恥ずかしくて嫌だと思う事ないですか?そんな感じを受けるのだ。

(
ちなみに浜崎あゆみでは全く感じない、ミスチルのほかのメンバーでも感じない)

アムロちゃんとウタダちゃんに関しては、時々目を背けたくなる事もある。
本当の自分を覆い隠すように、無理に笑って見せたり
冗談を言っておどけて見せたり。(と私には見える)
でも目を見るとそんな「本能」が見え隠れしてしまうのだ、
映像はそれを映し出してしまうから怖い。
彼女たちには才能があって、たまたまショウビジネスで活躍しているけれど、
根本的な人間の構造が似通っていると、不思議と引き込まれていく・・・。
音楽的興味
とはまた別の意味で、ちょっと気になる存在なのだ。


JENの場合はどうだろう。
彼はミスチルによって目にする機会が多い分、さらに感じてしまう。

彼はミスチルの中で、一人良く発言し、冗談をいい、
バンドの潤滑油?スポークスマン的役割をしている。
そんな彼が、時々痛々しく思えてしまうときがあるのだ・・・
ああ、そんなに無理して盛り上げようとしなくて良いのに、
とか余計なお世話までしてしまう。
自分の弱さを見せたくなくて、自分の本当の姿を見せたくなくて、
どうしてそんなに仮面をかぶってしまうのか?
これはあくまで自分の直感的な推測であって根拠は全く無い
ジェンは根っからそういう奴かかもしれない。・・・
と言うわけで、全て見当違いであったら笑えるよな〜


類は友を呼ぶ、なんて言うからなあ
痛々しさが 次第に愛おしさに 変わっちゃったりしてぇ・・・
桜井くんは競争率高そうだから、ジェンに乗り換えようかな

LOVE はじめましょうか(^^♪







<ドキュメント光の射す方へ> Dec25.2001

 1時間番組にしては中身も濃く、映像の使い方もセンスが良い
コマーシャルが多い事をのぞけばまあ満足のものであった。
昔の映像を見ているとモチロン若くて初々しいけど、
それ以上に何かキラッと光るものを感じる。
多分出るべくして世に出る資質をもともと持っていた人達だったのだろう。

今さらながら、Mr.Childrenが10年もやっているのは凄い事だと思う。
あっという間に解散していく他のバンドを後目に年々まとまりが良くなってきている。
しかも作品のレベルは向上し、地味ながら光を放ち続けている。
私はいつも不思議だった、10年もやっていて飽きないのだろうか???
しかしこのドキュメントを見て理由が分かった。
良いものを創っていきたいという彼らの謙虚な姿勢、
そして桜井さん以外のメンバーに際立った欲(貪欲?)が無い事
これだ〜〜〜と妙に納得してしまった。
もしもメンバーそれぞれが「俺が俺が」と自己主張していたら、
必ず意見が食い違って喧嘩もするだろうし、離れていくだろうし
大抵はこんなパターンで解散するのだろう。
でもミスチルは明らかに違っていた。
仲が良いのかどうかは分らないけど、お互いの信頼関係があることは間違いないみたいだ。
「信用」と「信頼」は天と地ほどの差がある、
複雑な人間社会において、簡単なようで実はこれが一番難しい。
これならあと10年先も20年先も、ストーンズのように
中年のオッサンになってもMr.Childrenをやっているかもしれない。
あまり見たくないような気もするけど・・・。(苦笑)

 しかし本当にそれで良いのか?桜井くん。どこまでも疑い深い私はこう問いたい。
続ける事はすばらしいけれど、人生それだけでは輝かないものだ。






<esの映像を見て〜彼らの成長> Oct.28.2001

「いつの日もこの胸に流れてるメロディ〜♪」久しぶりにesのビデオを見た。
私の知らない過去のMr.Childrenだ。
ライブのファイナルにこの曲をアコースティックバージョンでやったとは、、、
まさしくこのフレーズはミスチルに対する私達ファンの思いであろう。
若かりし頃の桜井さんを見ていると何故か微笑ましくなってしまう。
今ほどのセクシーさは無いけれど、そこもまた青くて良い。
今でもライブの定番となっている「Tomorrow Never Knows」、
当たり前の事だけれど、それを聞くと彼らの成長が顕著に現れる。
ポップザウルスで見たものと明らかに違っていた、今ではさすがに30の男の渋さが出ている。

もしもesの頃リアルタイムで私がミスチルを聞いていたら、今ほど感動しなかったかもしれない。
当時の桜井さんにはまだ「あの」オーラが出ていないからだ。
若さに任せて叫んでいるだけのようにも見える
しかも仮面をかぶっているし、思いっきりカッコつけてるし(笑)。
でも今は違う、人生の甘いも辛いも知って素晴らしく心に響くボーカリストへと成長している。
これから彼らがどう変わっていくのか楽しみだ。
そしてこれだけは未だ変わらず思う、
ミスチルには一つの所に留まらずもっともっと大きく羽ばたいていって欲しい
愛するが故の切なる願いです。





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