神在月のしまねへ 訪問記

〜2日目〜
松江温泉駅 天気は快晴。朝、ホテルのカーテンを開けてみると、宍道湖では、早朝から蜆をとっている漁師さんの姿が見えた。昨日の夜に飲んだ蜆汁は、朝から頑張って仕事をしている漁師さん達のおかげと心の中で感謝をした。

 沢山の宿泊客が泊まって賑わっているホテルで朝食のバイキングを食べ、1階のお土産コーナーで妹(美佳)に、松江のお土産を買ってチェックアウト。

 一畑電車に乗るために、松江温泉の駅へと向かう。駅舎は昔から有るおもむきのあるものだった。すぐ隣には近代的な新しい駅舎が完成していて、近々この古い駅舎も使われなくなるのかと思うと少し寂しい気がした。
出雲大社号 午前9時44分発のものは、「出雲大社号」として運行され、通常の電車とは違った車両が使われている。電車内にも随所に出雲の神話にまつわる展示があり、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した絵などがあった。1駅目の「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前」は日本で一番長い駅名であると駅標にあった。ほかにも、「松江フォーゲルパーク」や、「湖遊館新駅」など、まだ出来たばかりの松江の新しい観光スポットの駅に止まっていく。車窓からは宍道湖の美しい輝きが見えて、電車に乗っているだけでも観光を楽しむことができる。途中の一畑口で、スイッチバックを行い、進行方向が変わる。丁度1時間で出雲大社前駅に到着。
 運賃は790円。

ギャラリー雲太
ギャラリー雲太 出雲大社前駅のロッカーに荷物を預けて、出雲大社へと向かう。緩やかな傾斜の道を程なく歩くと「ギャラリー雲太」があった。ギャラリーでは、地元の写真愛好家による写真が展示されていた。出雲大社で行われた行事の写真などを見て、出雲の四季の移り変わりを写真から感じ取った。

UNTAミュージアム雲太(古代出雲大社模型展示館)
雲太・和二・京三 ギャラリー雲太を後にして、しばらく歩くと、UNTAミュージアム雲太がある。ミュージアム雲太は、前日打ち合わせの際に、スタッフの方がここに立ち寄った方が良いと薦められたスポットだ。
 「雲太」とは、平安時代の天禄元年(970年)の『口遊』(源為憲著)に、当時の建物の大きさのベスト3が「雲太・和二・京三」として記され、「雲太」とは出雲大社が一番ということの意味だそうだ。ちなみに二番は大和の東大寺大仏殿、三番は平安京の大極殿になる。館内には、48mあったという伝説の高層神殿を、松江工業高等学校建築科の生徒さんたちが作った、10分の1に再現した模型があった。写真では分かりづらいが、横から見ると結構きつい傾斜であったのと、10分の1に縮小された模型だけを見ても圧倒されるぐらいのスケールがあり、これを10倍にしたことを頭の中で考えると出雲大社神殿の大きさと神秘さを改めて感じることができた。
 他にも相撲の元祖「野見宿禰」と歌舞伎の元祖「出雲阿国」の像が並んで鎮座していたり、インパクのポスターなどもあった。
高層神殿模型「出雲阿国」の像インパクのポスター
出雲大社
出雲大社蔵町につむべき秋の八束穂もただ一握のなへにこそわれ ミュージアム雲太のすぐ前が、出雲大社。大勢の観光客で賑わっていた。しばらく玉砂利の参道を歩くと、左手に「手水舎」が見えてきた。 手水舎には、「蔵町につむべき秋の八束穂もただ一握のなへにこそわれ」という詠歌があった。
 また、右側には、金色の玉と両手を開くオオクニヌシノオオカミの巨大な「ムスビの御神像」という銅像があり、説明板によると、
ムスビの御神像 「幸魂 奇魂(さきみたま くしみたま)
  時に海を照して依り来る神あり
  吾在るに由りての故に汝その國
  造りの大業を建つるを得たり
  吾は汝が幸魂奇魂なり
  大國主神これ吾が幸魂奇魂なり
  けりと知りぬ
 古事記また日本書紀に述べるところであります。出雲大社の御祭神大國主大神はこの幸魂奇魂の“おかげ”をいただいて神性を養われ「ムスビの大神」となられました。
 生きとし生けるものすべてが幸福になる「縁」を結ぶ“えんむすびの神”と慕われるゆえんであります。

ムスビの御神像 およそ人が人であるということは幸魂奇魂というムスビの“みたま”をわが身にいただいて霊止すなわち人として生かされているからであります。大神からいただいたこの“いのち”を感謝して大切に正しくこれを生かしきりましょう。
 出雲大社ではこの御神教にちなんで
  さきみたま くしみたま
  まもりたまひ さきはへたまへ
 と唱して御神縁を祈念いたします。
 この「ムスビの御神像」は大國主大神が有難く「幸魂奇魂」を拝戴される由縁を象徴しております。」


 と書いてあり、縁結びの神様として名高い、出雲大社の云われについて改めて知ることになる。

丑午 少し進んだ左側には絵馬堂があり、干支の「丑」と、来年の干支である「午」が仲良く並んで鎮座していた。

大きな注連縄 ようやく拝殿に到着。大きな注連縄が、参拝者の心を癒してくれるかのようだ。
 続いて本殿の方へと向かう。本殿にはガードマンが立っていて奥までは一般の参拝者は立ち入ることはできない。
 本殿左側には、古代の御本殿の御柱の顕現を示すパネルが展示してあり、先ほどミュージアム雲太で見た巨大な神殿がこの場所にあったのかと思うと胸が大きく膨らみ、創造力をかき立ててくれる。
拝殿前で記念撮影 本殿周辺で写真を撮っていたら、観光客から声を掛けられて、ご夫婦のお写真を撮らせていただいた。これも神様の縁かも知れないと思い、快く写真を撮らせて頂いたが、上手く撮れただろうか。


 妹(美佳)の短歌に次のものがある。

 出雲来て古代ロマンへワープするしばし神話の世界楽しむ

JR出雲市駅
JR出雲市駅 先ほどの玉砂利の参道を再び歩き、緩やかな道を下りながら出雲大社前駅へ。ロッカーから荷物を取り出して、一畑バスで、JR出雲市駅へ向かう。(運賃460円)
 バスの車窓からは、ホテルかと見間違えるほどの立派な「出雲市民病院」が見えた。

 JR出雲市駅は高架化がされ、まだ新しい駅舎だった。駅構内のお土産コーナーの傍らには、木彫りでできた大國主大神のモニュメントがある。

 14時00分発の快速アクアライナーで、益田まで向かうことにする。
 山陰線は今年7月に総事業費120億円(内・県負担分44億円)を掛けて、高速化されたばかり。松江〜益田間は従来よりも31分も短縮され2時間33分で結ばれるようになり、島根県間の交通の移動が大変便利になった。

益田 日本海を見たかったので、進行方向、向かって右側の席に座る。夏は海水浴で賑わう日本海もこの時期の海岸には誰もいない。夏の賑やかな日本海と冬の厳しい日本海の中間に位置する、いまの時期の日本海はとても静かで穏やか、心が落ち着く。海と山の両方の景色を楽しみながらの山陰線は、一応ワンマン運転だが、車掌さんも乗っていた。2両編成の電車だが、駅に止まるごとに車掌さんがお辞儀をしながら車内を回る光景はとてもほほえましいものがある。
 出雲市を出発した電車は、大田市、江津、浜田へと進む。先ほどの車掌さんもこの浜田駅で下車し、浜田から先は本当のワンマン運転となる。
 車窓からは無人島である「高島」が見えてきた。高島の由来は神話の時代の「鷹島」と呼ばれていた頃までさかのぼると云われる。「神話の御代、息絶えた大宣都比売命(おおげつひめのみこと)の末子、乙子狭比売命(おとこさひめのみこと)が母君から与えられた五穀の種を持って、赤雁に乗り天空高く舞いあがり、やがて島に降り立った。その時地下から大声がして「ここは国津神大山祇足長土(おおやまずみあしながつち)の使者、鷹の住む島だ」と叫ぶ。赤雁はその後、方々に降り立っている」。
そんな神秘に包まれた高島を車窓に見ながら、電車は終点の益田へと到着する。

益田駅
柿本人麻呂の像 益田駅構内には、歌人の柿本人麻呂の像があった。柿本人麻呂は益田に出生と死没の両方の伝承が残されているが、石見地域各地にもそれぞれに伝承が残されている。未詳な生涯が故に、余計と興味がそそられる歌人だ。
 15分の乗り換え時間で、特急スーパーおき5号に乗る。

津和野
津和野駅 2駅目30分で、17時12分に津和野駅に到着、SLやまぐち号に乗ってきたわけではないが、SL山口号乗車記念の写真を撮った。
 津和野駅で降りて、道を聞きながら、この日の宿である津和野温泉観光ホテルに到着する。チェックイン後、1階のお茶席で、抹茶とお菓子のもてなしを受けた。
SL山口号乗車記念の写真 このホテルは和室のお部屋で、なかなかのおもむきがある。夕食は、1階のレストランで。このホテルの夕食もなかなかの豪華さで、食前にりんご酒が出て、お刺身、抹茶入りの塩を付けて食べる天ぷら、茸と蟹を焼いて食べたり、酢の物、漬け物、茶碗蒸しなどなど贅沢すぎるほどのラインナップだ。
 客室37室とこぢんまりとしたホテル内の温泉浴場は、人の出入りが少なくゆっくりと浸かれる。津和野温泉は、肌がなめらかになることから「美人の湯」と呼ばれ、皮膚病や火傷、慢性胃炎などに効能があるとのこと。

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