BATTLE FIELD OF RAVEN



第11話 僅かに見えた真実は消えて−残されたのは−
船は港にいる時、最も安全であるが、それは船が作られた目的ではない パウロ・コエーリョ
気付いた時には走り出していた。 疾走は静寂を伴った。 観葉植物の枝を握った腕。 人間は多くは頑強であるが、欠陥がいくつもある。 皮膚を挟んだだけのほぼ表層に露出した動脈と神経。 子供でさえ狙えば大人を倒せるような必殺の急所。 活動には酸素が必要で、水中では活動は制限され、長期活動は不可能。 取り込んだ酸素とて全身の細胞に行き渡らねば無意味。 静寂の中、気配を感じ取ったのか、ゆるりと向き直ったのは父親と思しき殺意の対象。 構わない、体に纏う速度は既に凶器。 例え腕を潰されようと、体という次弾が確実に相手の内臓へ致命的な打撃を与え そこまで考えて、咄嗟に横へ跳んだ。 跳び去った瞬間。 床へ細い線が入った。 線の入ったタイルが折れ飛んだ。 気付けば枝がスッパリと途切れていた。 まるでレーザーで焼き切るようにあっさりと、だが焦げ跡は無く、その事実に驚愕する。 いつ切られた? 入院するほどのダメージだったとはいえ、不調は感じられない。 気付かぬほどの深いダメージだったというのか? 否、まさか。 反応よりも遙かに早い攻撃だったというのか。 それだけの速度ならば、恐らく速度さえ武器にならない。 まず最大の驚異である腕を排除し、即座に体を細切れに切り裂く。 それだけのことが可能だ、ならばダメージを与える為に必要な重さが不足し、速度は無力化される。 指先に装備されているのはただの糸。 恐らく金属製の釣り糸で、ただそれだけの釣り糸で、確実に床を抉っていた。 だがそれとてもう驚異には感じない。 正体さえ分かれば問題はない。 枝を握りつぶして立ち上がる。 「子を為したとはいえ、愛していなかった女だろう、何故お前がここにいる、ヴァンドルフ・ハーディー」 そう、何故捨てたはずの女の元へ戻っているのだ。 「やはり、ジオか……何故お前が私を殺そうとする」 立ち上がった体勢を敢えて崩し、猛禽類の如く殺気を放ち、猛獣の如く姿勢を低くした。 「俺はもう、あんたを父親と認めていない……捨てられた妹に、話を聞いた、その日から」 左手の中には、木屑がある。 全力ならば手首だけのスナップでもその木屑は散弾と化す。 その射撃を外す距離ではない。 糸を動かす為には少なくとも腕の動きが必要になる、そのモーションの差があれば、確実に殺せる。 「ミリアムも生きていたのか……喜ばしい事だ、愛した妻とその二人の子供が全て生きていたのだからな」 だから、話をする事にした。 「ならば何故、その愛していた家族を捨て、別の女の元に走ったのだ」 返答によっては死んでも殺すと、見上げる両眼が告げていた。 年齢相応の中に少しだけの厳しさと優しさを備えていた目から全ての感情が消えた。 まるで犯人の知っている推理ドラマを見せられているような、何度も見た映画をわざわざ友人に見せられた時のような目で息子を見た。 「それを知る勇気があるのか?」 言葉の真意を測る前に言葉が重ねられていた。 「憎むだけの存在がそうでないものへと変わる時、復讐に生きた人間は生きる気力さえ無くすという、それでも知りたいか?」 真意を測る事が出来ず、言葉の意味だけを租借し、言葉を紡いだ。 「私の目的は、神を倒す事だ」 「神、だって?」 「旧き神を倒し、地球を人間の手に返す事、地球歴初期に創設され、既に名前さえ存在しない地球政府を再び創設する事だ」 父はキリスト教圏の出身だった。 だが、一神教だろうと多神教だろうと神を殺すなどは大罪。 そもそも『神を殺す』などと言うほど『信心深い』人間ではなかったはずだ。 「そんな存在を信じているのか?」 「正確には神を名乗った人間、そしてその集団だ」 「神を名乗る、だと?」 返答を待つまでもなく、その場所は爆炎に包まれた。 BM-13-16、Katyusha、カチューシャ多連装ロケット砲、スターリンのオルガン。 多数の名称を持つ、極めて旧い兵器。 試作車によるテストの後、1940年に正式採用されたものの、独ソ戦初期には僅か40輌のみであった。 だがその40輌によって地域制圧能力が高い事が証明され、終戦までに万を超える数が作られたと言われる。 21世紀初頭でさえイスラムゲリラが使用していた非常に息の長い兵器である。 これもそのゲリラが使用していた兵器であった。 AC等の機動歩兵が跋扈する地球歴100年代に至っても、地域制圧兵器として最低限必要な威力は保有している。 砲弾に曝された人間などボロクズも同然である事は今も昔も変わりがなかった。 「南部区画の居住エリアに未確認機を発見、病院へ攻撃を行った模様!」 「近隣の各隊に制圧をさせろ、中央からも援軍を出す、先の事件の犯人か、便乗犯かは不明だが、ともかく鎮圧だ」 「了解、近隣の各隊へ命令を発します」 「北区の調査部隊の護衛は外すな、証拠隠滅のための陽動の可能性がある、援軍にはレイヴンも含めた部隊で行くように通達」 「クッ……いきなり病院に砲弾をぶっ放すだと? しかもありゃ……カチューシャじゃないか!」 あまりにも古い兵器を目にし、咄嗟に取った匍匐状態を維持しながら物陰の倉庫に隠れる。 そして手持ちの武器を確認する。 フル装填されたベレッタが一挺、予備弾倉無し、他に対人奇襲・暗殺用のスペツナヅナイフのみ。 この状況では相手の殲滅はおろか身を守る事さえ難しいだろう。 相手は、注視したわけではないが歩兵だけでなく戦車もいた。 戦車は恐らく現行のレオパルト7だろう、歩兵は恐らくイングラム系列の短機関銃。 勿論制圧用の部隊だけでなく後方にはMTなりACなりが控えている事だろう。 仮に自分がカルロス・ハスコック軍曹並の狙撃技術を持っていようと勝つ事はできまい。 まず何よりも弾丸が相手より少ないのだから。 「そうだ、ジオ……!」 病院の方向を振り向いた。 病院の上部に直撃した数発のロケット弾の影響だろう、上の一階層分が吹き飛んでいる。 ジオやメイの病室は2階と3階にあるはずだから直撃は無かっただろうが、大丈夫だろうか? だが、そう考える前に、短機関銃の音が響いた。 手近な遮蔽物へ制圧射撃を行っているのだろう、茂みや廃墟が次々と撃ち抜かれていく。 銃声はやはりイングラム系の連射音。 つまり連射弾数は32発で制圧射撃を行うのは一度には一人、途切れず、しかも数カ所で響いている事からその音毎に最低2名ずつ。 ガード本部からこの位置を射程に収めるまで主力機のシェル・ムーンで3分、発見し、指令が下るまでにさらにもう少しかかるだろう。 生き残る可能性を模索し、ベレッタの安全装置を解除、同時に姿勢を低くしたまま走り出した。 よくよく運が強いのだろう。 屋上に直撃した砲弾の破片が直撃せず爆風を受けただけだった事。 爆風を受けて吹き飛んだ先には何もなく、屋上から吹き飛び、今も炸裂した音が響く屋上で次弾の直撃を避けられた事。 吹き飛んだ先の場所が高い高い屋根の廃工場らしき場所だった事。 その屋根がコンクリートではなく、亜鉛引鉄板(トタン板)を何十枚も重ねただけの作りで衝撃を吸収してくれた事。 屋根を貫通した先には擬装用の大鋸屑が山積みになっていた事。 その偽装の下に、機体が眠っていた事。 そこまで考えた時、ふと己以外の事に意識が向いた。 両親があの場所にいたはずだ。 あの二人はどうなったのか。 そこまで考えた時、落下する物体が二つ。 『それ』が両親だと直感した時、打ち身でふらつく体を走らせた。 繋いだ一対の手が、それが人間である事を確信させた。 一方は既に残骸。 手と、それが繋がる体以外に存在しないモノ。 半身は既に内臓の一部と共に吹き飛び、残った体にも、心臓が無い事が見て取れた。 それが母親であると分かっても、悲しさはわき上がってこない。 まるで感情に一枚膜が張ったかのように。 「ふん、最悪だな、近頃のテロリストは礼儀も知らず悪質だ」 もう一対も既に肉塊。 それがまるで平素のように声を出している。 神経が吹き飛んで痛みも無いのだろうか、平然と言葉を紡いだ。 「吹き飛ばされた先が貯水タンクでな、衝撃をまともに受けた上、次の弾が直撃だ、最悪だろう?」 黙って話を聞く、そうだ、とも違う、とも言えなかった。 「ま、それは良い、お前から来るであろう質問に答えておく、全ての解答はお前の恩人が答えてくれるとだけな」 一瞬だけ、残骸を握る手に力が籠もる。 たったそれだけで残骸の骨は砕けて消えた。 それを感じる前からやはり己の限界、己の死を理解していたのだろう。 「地球に、栄光あれ」 それだけ言って、目の前の肉塊は、今生最後の吐息を漏らした。 この男はなんと言った。 己の恩人が答えると言ったのか。 今際の際の言葉だ、信じないわけがない。 結局何も理解出来ず、解決の出来ない事であったが、一筋の光が差し込んでいた。 ならばもう迷うまい、己のするべき行動を。 幸運の証。 廃工場で偽装された大鋸屑の下に存在した多数の機体。 その中の一つに乗り込む。 ブラウエンジェル第三種兵装仕様型・第三種兵装。 80ミリ外部動力式回転多銃身型機関銃ガトリング。 1500ミリ鉄拳弾薬ファウスト・パトローネが4本。 M−26ロケット改装填済、腰部装着式六連ロケット弾ポット。 左右肩部、560ミリ長砲身カノン砲。 450ミリ自動装填式無誘導携帯型対甲ロケットランチャーバズーカ。 脚部にバラスト爆雷と、緊急停止用パイルバンカー さらに最新鋭の瞬間加速ブースター。 後々ACの装備として制式化されるオーバードブーストの走りである。 現在は加速中にブースターが被弾すれば即座に爆破炎上するという極めて危険な代物ではあるが、 戦域の外から加速し、戦域に到着すると同時に一撃加えて投棄する、つまり使い捨てとして利用すれば問題のない事である。 ただ一個のMTには過剰なほどの火力。 汎用性を削除した単一目標、全火力投射による焦土殲滅における能力は火力重視とはいえ基本的に汎用であるタンク型ACすら上回る。 通常型と言われる第一種兵装型では腰部ロケットの固定器や安定性向上のためのパイルバンカーやバラスト爆雷の固定器もない。 高火力による殲滅のみを目的にした第三種兵装こその火力は、必定稼働時間の低下と運用における危険を招く。 ガトリングは連続発射から30秒で弾切れとなり、鉄拳弾薬はもとより使い捨て。 腰部ロケットポットは一斉発射でのみ攻撃可能で、長砲身カノンは20発を5秒で撃ち尽くす。 バラスト目的の爆雷は加速ブースター無しで使用するには重すぎ、また低空で投下すれば機体の下半を吹き飛ばす。 そんな欠点を全て忘れ去り、そして目の前で死んだ両親さえも忘却し、愉悦の笑みを浮かべるのはただ一人。 そのただ一人が、過剰な重装備を持ち、搬入口を蹴飛ばした。 そして出口から軽く後ろを振り向くと、無造作に鉄拳弾薬を発射した。 機体の一つに直撃し、その機体は鉄拳のモンロー効果で貫徹し、高温で高圧なガスを撒き散らした。 撒き散らされたガスは、着弾と同時に弾薬の着火音にまで達し、 外装兵器の弾薬を次々と誘爆させ、機体倉庫となっていた廃工場をあっという間に廃墟にした。 だが、それとて他人事。 今為すべき事。 己の頭の中で繰り返される目的のために。 繰り返される目的は一つ。 単純至極。 間違えようのない言葉。 極めて単純な己への命令。 『敵を殲滅せよ』
第11話 完

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