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フィンランド

〜バルト海クルーズ〜

北欧に行ったら「バルト海クルーズ」やんなきゃね〜ってことで、私はストックホルム から
シリヤラインという豪華客船に乗ってヘルシンキへ向かった。
豪華客船と言っても、私が買ったチケットは相部屋(もちろん女性専用でお友達作り狙い)
だったので大して高くは無かった。
同室になったのは、白髪のおばあさんと私よりちょっと年下と思われる気さくな子。

「ラッキー!」

である。
私と若い方の女の子はすぐに仲良くなることができた。
彼女はフィンランド人で、実家に帰る途中。
シリヤラインなんて移動手段としてしょっちゅう乗ってるため、私を色々案内してくれた。

とにかく大きな客船である。
中には免税店とかジュエリーショップとかレストランとか、とにかくもうあらゆるお店が
揃っていた。
ショッピングに使うお金も興味も無い私達は、夜ご飯を食べたあとはバーに行き、その後
夜中3時のクローズまで船内のディスコで踊りまくった。

スキャットマン(確かこういう名前)というおじさんの大ヒット曲が
「ピーパッパッパラッパーーー」
と流れまくっていたのをよく覚えている。

「ああ、この旅始まって以来の寝不足・・・」

だなんて思うわけもない。
バルト海のクルーズ船で夜中までめいっぱい遊びまくるなんて、人生の中でその日に
しかできない経験かもしれないではないか。

〜ヘルシンキ観光〜

そして朝8時頃に、船は無事ヘルシンキに到着。
なんと彼女は、私にヘルシンキを案内してくれるという。
私は寝不足に弱く体力も無いため、到着した日は公園で昼寝でもして疲れを癒し、それ
からゆっくり宿探しでもしようと思っていた。

しかし現地に住む彼女に案内してもらえるチャンスのためなら、
「私、寝不足の朝は弱いの・・・」
などという弱音を吐いている場合ではない。

まずは彼女の実家へ。
なんとまぁ可愛らしい家だろう!
よく日本の住宅パンフレットなどで「北欧風一戸建て」の写真を見たことはあったが、
本物のフィンランドの家って本当に白木でできてて素敵なのだ。
離婚して出て行ったお父さんがたまたま家に寄っていたみたいで、私も軽く会釈をして
からいざヘルシンキ観光へ!

ヘルシンキ  
ヘルシンキ大聖堂にて1995年8月

ヘルシンキの目抜き通りであるエスプラナディ通りや、ストックマンデパート、巨大
魚市場、シベリウス公園、テンペリアウキオ教会にヘルシンキ大聖堂などなど、様々な
場所に連れて行ってくれた。
だがしかし、事前にガイドブックを読んでいなかったのと、彼女との話(よくある普通の
女の子の話題・・・彼氏のこととか)自体がメインになり、あまりじっくり名所を見ていな
かったのが正直なところだ。
案内された場所の名前や詳しい由来などについて知ったのは、なんとこれを書いている
今(2002年5月)である(おいおい7年後かい・・・)!
ネットでヘルシンキ観光スポットの写真を見ては、

「ああ、ここも行ったしここにも行った。
彼女はなんて能率的に案内してくれたのだろう」

と改めて思った始末。
旅行記を書くって、勉強にもなるしすばらしいことなんだなあ(今更実感)。

彼女いわく、北欧の家庭ではお父さん達は夕方5時までには必ず家に帰ってくるのだ
とか。
福祉は充実してるし、人生に余裕もゆとりもできるってものよねぇ。
日本のストレス社会に生きるサラリーマンや主婦とは、かけ離れた世界だと思った。

 ちなみに、日本に帰ってから私の母に、
「いや〜今まで色んな所に旅したけど、今回ほど日本って国がストレスだらけで小さく
て競争社会でとにかく住みにくい国だと実感したのは初めてだよ。
北欧ではお父さんもお母さんも、働いても夕方には帰ってきて、家族全員で必ず夕食
をとる時間があり、福祉は充実、自然はいっぱい、街のどこを歩いても段差の無い
バリアフリーだし、最高だったよ〜」
と興奮気味に伝えたところ、

「仕方ないわよ。あちらは人の絶対数が少ないんだから。
その分競争ってものがないんだから、助け合うことも可能よ。
でも、冬が長くて厳しいんじゃ、話にならないわねっ」

とのこと。
確かに・・・私は北欧のベストシーズンに旅行したのを忘れていた。

〜イギリス人の兄妹と〜

さてさてその日の夜は、ベッド&ブレックファストの宿に泊まった。
これは寝床と翌朝の朝食をごく普通の民家が提供してくれるというもの。
私が泊まったのはアパルトマンの3階で、ちょっと繁華街からは離れていたのだがここ
でも運良く同世代の人と知り合うことができた。
別室に泊まっていたのはイギリスからの旅行者。
私と同い年のお兄ちゃんとその妹という組み合わせだった(ソックリだった!)

私は気兼ねなくシャワーを使いたかったのもあり、「私、時間がすごくかかるのでお先に
どうぞ」と言ったのだが、一番に使わせてくれた。
かなりシャワーを待たせたにもかかわらず、二人は「一緒に夜ご飯を食べに行こう」と
誘ってくれた。
いつも思うのだが、気を使うはずなのに向こうの人はよく私なんかを誘ってくれるなぁ。
やっぱり一人旅だと「お食事仲間」を探してるってわかってくれるのかなぁ。

3人で繁華街へ繰り出した。
時間はすでに夜のはずなのだが、日が長いのでせいぜい夕方である。
大道芸人を見たりしながら散策。
ほんとに素敵な街である。

それにしても彼らの英語はバリバリアメリカン英語の私にとっては聞き取りにくかった。
「ピュブ」はパブのことで
「ブス」はバスだった。
慣れてくるとすぐにわかるようになったが、発音やなまりって国や地域によってずい分
違うものなのよね。

夜ご飯のあとは、「キャリオケバー」つまりカラオケ・バーに行こうと言われたので、
「え、日本で主流なのはカラオケボックスといって、友人とかのグループで小さな部屋
を貸しきるんだよ」
と言うと、そんなもの欧米には無いという。
実際に「キャリオケバー」に行くと、いわゆるパブの奥にステージがあり、客席はステー
ジに向いて座るようになっている。

日本にもスナックにカラオケが置いてあるところはある。
でもあんな風に、「いかにもステージいかにも客席」という配置ではない。
同じカラオケでも、文化の差なのだろう。
ここでは「見知らぬ観客に注目されてこそカラオケの醍醐味!」という、シャイな日本人
にはわかりかねる風土の様だ。

私一人だったら、フィンランドのお宅訪問はまず出来なかっただろう。
カラオケバーだって入れなかっただろう。
出会いというものに、ひたすら感謝した数日間であった。