ガレージシャンソン歌手 山田晃士の
『嗚呼、泥沼回顧録』
其の拾八
〜クリスマスディナー




思い出に残っているクリスマスディナー2景。

あれは二十歳のクリスマスイブ。
当時私はハードロックバンド『AROUGE』のボーカル。
その夜は浦和文化センターでの“ヘヴィメタルクリスマスパーティー”に出演した帰り道、
メンバー全員で横浜駅西口の大衆食堂で遅い夕食をとった。
まだメイクの落とし切れていない、汗も流せていない、長髪にロンドンブーツの奇妙な若者四人。
クリスマスデコレーションを纏ったきらびやかな街並みを横目に、
孤独なサラリーマンや、作業服の労働者に混ざって、不味いとんかつ定食をもさもさと食べた。
数時間前はライトを浴びてシャウトしていたのになあ…、なんて思ったりした。

あれは二十八歳のクリスマスイブ。
当時私は『ひまわり』でソロデヴュー直前。
その夜は横須賀の猿島でプロモーションビデオの撮影を終え、
スタッフ含め総勢15人程の男ばかりの集団で、極寒ロケによる疲労を引きずり、
埃まみれ、砂まみれの状態でデニーズに入店、遅い夕食を取った。
男達は一人ずつ注文をしていく。
照り焼きハンバーグセット、ライス大盛り、コーヒーで。
ジャンバラヤ、サラダセット、サウザンアイランドで。
ハンバーグ&エビフライ…。
全員の注文を女の子の店員が繰り返す。間違っていたりする。訂正したりする。
プロモーションビデオ撮影なんて初めての事だったので、何度も何度もNGを出した私は、
一刻も早くデニーズから帰りたい、と思ったりした。

公演や作品の内容よりも、そんなどうでもいい事を、私はかなりはっきりと憶えていたりする。


 
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