ガレージシャンソン歌手 山田晃士の
『嗚呼、泥沼回顧録』
其の拾六
〜音楽家としての宝物〜




15年前の冬、私はとあるレコ―ディングスタジオに居た。
そのオーナーの自宅を兼ねた瀟洒な佇まいは、何となく私の本牧の実家と通じる雰囲気があり、
そのせいだろうか妙に居心地が良かったのを憶えている。
 
当時私もスタッフも『ひまわり』に続くシングルの制作に行き詰っていた。
プリプロ、レコーディングを幾度となく繰り返しても、満足の行く作品は生まれずボツが続く。
紆余曲折、試行錯誤の日々。八方塞は火を見るより明らかであった。
私は徐々に覇気をなくし、無口になっていった。
そんな中、私が尊敬し憧れているプロデューサーの名が挙がったのだった。
 
六本木にある加藤和彦さんのプライベートスタジオ。
のべ3日程の作業であったが、今でもその時間をハッキリと思い出す事が出来る。
 
加藤和彦氏は常に穏やかであった。
優しく暖かく私を迎えて下さった。
そしてアドバイスは的確であった。
 
今思えば、私の状況を察し励まして下さったのだと思う。
自らのニックネーム“トノヴァン”の由来でもある“ドノヴァン”のCDを数枚、
それから御自身が使われていた宅録用の古いミキサーをプレゼントして下さったのだ。
『パパヘミングウェイ』『うたかたのオペラ』『ベル・エキセントリック』辺りの加藤和彦作品に影響を受けまくっていた私にとって、震えてしまう程嬉しい出 来事であった。
 
加藤和彦さんのスタジオで『今宵綺麗な二人』という楽曲が仕上がった。
これが当時の山田晃士スタッフとの最後の仕事となった。
そしてこの曲が世に発表される事はなかった。
私の力量不足が原因である。
 
半年後、私は一からやり直そうとフランスへ渡った。
 
加藤和彦氏の数限りないプロデュース業の中、3日間で1曲のみの新人シンガーソングライターの事はおそらく憶えてらっしゃらなかった事と思う。
 
私にとってあの時間は“音楽家としての宝物”である。
 
加藤和彦さま
宝物をありがとうございました。
私の中で決して色褪せる事のない場面です。
 
心より御冥福をお祈りいたします。
 
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