ガレージシャンソン歌手
山田晃士の
『嗚呼、泥沼回顧録』 其の九拾四 〜怖いもの知らず〜
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小学校時代泳ぐのが得意だった。
五年生の時には自由型25mで横浜市中区の大会に出場、第三位。有頂天になった。 泳いでいると自分と水が一体化してくるような気持ちになり、いくらでもそうしていられた。 家族旅行で千葉の海に行った時の事、宿の目の前の海は遊泳禁止だった。にも拘らずそこで遊んだ。 歩いて20分程かかる海水浴場まで行くのが面倒だったのもあるが、遊泳禁止の海が魅力的だったのだ。 少年の冒険心をくすぐったのである。
今思えばかなり危険な行為であった。岩場で波も強い。潮の流れを読んで入水しないと岩場に叩きつけられて流血。私も兄も多くの血を流した。マスク、シュ ノーケル、フィンの三点セットで目指すはおよそ200m先の海面から突き出た大きな岩場。ちょっとした孤島である。そこに行きつく迄の海中世界は綺麗 というより不気味だった。海底はごつごつした岩場、その隙間からイソギンチャクやら海藻やらが背を伸ばしユラユラ揺れている。絶対に足を突きたくない。細 長い海草が密集してジャングルみたいになっていて、なんとなく道らしきモノが出来ていたので、ドキドキしながらその道を泳いで行ったりもした。ウツボもい たしゴンズイもいた。足の届かない所でシュノーケリングを失敗し海水を飲込みパニック、まさしく怖いモノ知らずであった。 孤島に辿り着くとその手前は波もおだやかなプールになっており水深はおよそ5m、飛び込んで遊んだ。 父も時折孤島までやって来たが“一番高い所から飛び込んだ奴に500円”などとたいして心配していなかった御様子。咎める人もいない。イイ時代だったのか ワルイ時代だったのか。とにかく現代ではあり得ない景色であった。 先日何となく泳ぎたくなって屋内プールへと出かけた。 50m泳いだら倒れそうになった。 今、成人水泳教室のパンフレットを眺めている。 真剣に、真面目に、始めようかなあ…。 |
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