ガレージシャンソン歌手 山田晃士の
『嗚呼、泥沼回顧録』
其の八拾九
〜有象無象





かつて私は常に一冊のノートを持ち歩いていた。

そこに、
日々日常のタワゴト、ザレゴトを綴っていた。
詩を書き殴っていた。
恋文の下書きをしていた。
失敗の言い訳を並べていた。
身勝手な悪態をついていた。 
訳の分からないイラストを描いていた。

決して誰に見せる事の無い、いや見せられない山田の“秘密”が“恥”が詰まった暗黒のノートは次から次へと消費されていったのだった。
まさしく“恥の書き捨て”である。

もしかしたら書くという行為によって諸々に踏ん切りをつけていたのかもしれない。辻褄を合わせていたのかもしれない。

だから新しいノートを探す時は、妙に清々しい気分になって、ガンビーやらトゥイーティーやらの可愛いキャラクターのノートを選んだりしていた。

後ろを振り返るのが大好きな私は、時折そのノートを覗き込み、憐れみに似た安らぎを得ていたものだ。



さて、いつの間にかノートを持たなくなっていた。
そう、PCがそれに取って変わったのだ。

部屋のデスクトップには以前にも増して、泥沼通信原稿、泥沼回顧録原稿、公演演奏曲目、デジカメスナップ、今気になるモノリスト、MC語録集、等々更なる “秘密”と“恥”が蓄積されていった。
これぞ暗黒の箱である。

付けて来た足跡が種類別にフォルダにまとめられ、クリックひとつで確認が可能になった。

後ろを振り返るのが大好きな私にとってPCは恰好の道具となった。



数日前の事。
 
PCが起動しなくなった。
うんともすんとも言わない。
暗黒の箱が開かなくなったのだ。

私の“秘密”と“恥”を呑み込んだまま。

私は途方に暮れた。
さっきまでの人生はモニターには映し出されず、私の脳を辿らなければ確認出来ない。

しかも記憶って曖昧、勝手。



何だか愉しい。


今しばらくは行き当たりばったりに生きてみようかと思っている。


それに飽きたらリラックマのノートを買いに行こうと思う。


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