ガレージシャンソン歌手 山田晃士の
『嗚呼、泥沼回顧録』
其の八拾八
〜類は友を呼ぶ





15年前の如月、
私はシングル『ひまわり』をリリースし、
ファーストアルバム『舞踏会』のレコーディングに明け暮れていた。
プロデューサーは小原礼氏。

日本にはいろんなプロデューサーが居らっしゃるが、
本来プロデュースとは制作に関わる一切合切を仕切る作業だ。

小原礼氏は本物のプロデューサーであった。
アレンジ、プレイヤー、ミュージシャンコーディネイト、
ムードメイカー、音像の決定、そして予算の振り分け迄、
全てに於いてその仕事は文字どおり“一流”であり、その上スマートだった。
何より人として格好良かった。

素晴らしい現場であった。
私は多くを学んだ。

全曲のミックスも終了、ホッと一息。
その日私と小原氏は仕上がった音を聴きながらアルバムの曲順を考えていた。
リラックスした雰囲気の中、談笑すら交えながら。

同日、腐れ縁のチンピラ詩人カオルが
1階下のスタジオでデモレコーディングを行っていた。
我々のスタジオに登場。
“初めまして小原さん、晃士の友人のカオルっていいます”
“曲順っすか、1曲目は『チョコレートギャング』で決まりじゃない?”
“いやあ、このギターソロジミヘンっすね”
彼特有のチンピラ口調でおよそ1時間。
最後に“山田をよろしくお願いします”
当時のマネージャーは眉間に皺を寄せていたが
小原さんは“山田君には良い友達がいるね”と言ってくれた。

同日、AROUGEのギタリストであった橘高文彦が
1階上のスタジオで筋肉少女帯のレコーディングを行っていた。
我々のスタジオに登場。
“初めまして、晃士の友人の橘高です、酔っていてすみません”
手にはビール。
“十代の時一緒にバンドやってたんです”
“楽器車でツアー廻って、客が全然入らなくって”
“俺が高いKEYの曲ばっかり創るから、こいつしょっ中喉潰しちゃって”
酒臭い口調でおよそ1時間。
最後に“晃士をよろしくお願いします”
当時のマネージャーは眉間に皺を寄せていたが
小原さんは“山田君には良い友達がいるね”と言ってくれた。

あれから月日は巡ったが、カオルも橘高も変わらない。
私の盟友であり、戦友だ。
あの頃所属事務所内では“山田晃士は友達が悪い”などと宣っていたそうだが、
お笑いだ。
小原さんの言う通りだ。

小原礼さんには14年逢っていない。
逢いたいなあ。



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