ガレージシャンソン歌手 山田晃士の
『嗚呼、泥沼回顧録』
其の八拾四
自慢話





ちょっとだけ自慢させて欲しい。
その昔『ひまわり』は20万枚売れた。
にじゅうまん?物凄い数字だ…。
一体どんな方々が私の唄を支持してくれていたのか。
“にじゅうまんにん”の顔が当時私にはまるで見えなかった。
動員に繋がらない購買層にスタッフもかなり四苦八苦していたのを覚えている。

その頃一度だけファンの集いが開かれた事があった。
事務所の8Fの会議室におよそ20人程のファンの方々が集まり、
紙皿の上にはお菓子が並べられ、ジュースと紅茶、
ホワイトボードには“ようこそ!”の文字。
これじゃまるでネットワークビジネスの勧誘会じゃありませんか。
かなり気まずい空気の中、その会は進んでいったのだが、
ひょんな事から時のマネージャーが
「ファンレターにはまず自分が目を通します」と発言。
ファンの方が異議を唱え、口論になり、ケンケンガクガクの中お開きとなった。
おそらく誰ひとりとして愉しくなかったと思われる。
私はもう二度とファンの集いはごめんだ、と強く感じた。

二〇〇八年神無月、
折しも私の誕生日に泥沼組合の初のイベント『うたかた倶楽部』が開かれた。
前夜の単独公演から二日間に渡りスタッフ、メンバーに支えられ、
この日は組合員の皆様と共に本当に愉しい時間を過ごす事が出来た。
どんな方々が私の唄を支持してくれているのか、よく分かった。
それがとにかく嬉しかった。
煽られたし、励まされた。そして愛を頂いた。
唄うたいで良かったと心底感じた。
おそらく皆様にも喜んで頂けたであろうと自負している。
『うたかた倶楽部』再び。
第二回に胸が膨らむ。

そして今私はシングルを20万枚売りたいと思っている。
真剣に。

時の流れって素晴らしいなあ。
 
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