ガレージシャンソン歌手山田晃士の
『嗚呼、泥沼回顧録』
其の参拾九

〜束の間の逃避



嗚呼 ”湯治”に行きたいなあ。
別に何処が悪いという訳じゃあないんだけれど...。
鄙びた温泉場の自炊部屋に長期滞在し、
風呂に浸かってはゴロゴロ、浸かってはゴロゴロ。
なあんにもしない。
いいよなあ、そういうの。ぞくぞくするなあ。
阿呆面全開でからっぽになって、無気力の坂を転げ落ちる。
気が付いたら新しい名前で住み込みで働いてたりして...。
おっとヤバイヤバイ。
空想は現実への第一歩。
ずーっと思い続けてるとカタチになって来ちゃったりするからな...。

先日『独り舞台』と題して弾き語りのワンマンを演った。
舞台上には私だけ。独りぼっち。
何の制約も無ければ、束縛も無い。
邪魔モノは自分だけ。悲しい程自由。気持よかった。
そこで私は改めて痛感したのだ。
”唄う”という行為の素晴らしさを。
泥沼楽団にもガレージシャンソンショーにも
その世界観を貫く為の”美学”が存在する。
破滅を恐れぬ”美学”の追求、表現ってそういうものだ。
だがしかしギター一本で唄っているその刹那、
魂が高揚し、己が解放されたほんの一瞬、
何もかもがどうでもよくなってしまうのもこれ又事実。
”束の間”だから戻って来れるのだが...。


湯治に行ったとしてもおそらく一週間あたりが限度か もしれないな。
それ以上だと戻って来れなくなるかも...。
いろんな約束事はぶっちぎって行って来ようかな。
くわばらくわばら。



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