ガレージシャンソン歌手山田晃士の
『嗚呼、泥沼回顧録』
其の壱拾七

〜はい いいえ どちらとも〜



皆様御存知の事と思うが、我々は一人では生きられない。
集団生活を余儀無くされる。
そこにはルールが必要。話し合いが必要。自分の意志を"YES or NO"とハッキリ言わなければならない時がある。
一番お気楽なのは「どっちでもいいで〜す」。
だがしかしそういう奴に限って結論が出ると決ってブーブー文句をたれるものだ。
おい、ちょっと待て、”どっちでもいい”というのは結果がどうなろうと文句無しって事じゃあないのか?
お気楽な身勝手さ〜御多分に洩れず私にもそんな経験がある。

中学二年生の時、当時二番目に好きだった女の子から告白された。
正直すご〜く嬉しかった。だがしかし、私の本命は他にいる。NOと言わなければならない。八方美人でずるい私は返事を引き延ばした。14歳とはいえ随分と失礼な男である。
結果、本命の女の子にもふられ、二番目の彼女も煮え切らない私に愛想をつかし、違う男の子と交際を始めていた。
私は胸の中で「心変わりしやがって」と呟いた...。

高校一年の時、学校をとるか仕事をとるかという状況に追い込まれた。
私は結論を出せなかった。見るに見かねた父親が自主退学届けを出し、一年間仕事をやった後復学させる手続きをとった。賢明な選択である。
だのに私は「親父のせいで俺は留年した!」と無茶苦茶な文句をたれた...。
恥ずかしい...。我ながらどうにもならないクソガキであった...。
 
私が書いた『素晴らしきプチブルジョア』という曲の一節に
”はい いいえ どちらとも 責任持てません 
きっと 多分 もしかして 素知らぬフリ”
という下りがある。
些細な事から重大な事まで、我々には責任ある決断を下さねばならない時が多々ある。
経済的にどうであれ心までプチブルジョアにならぬ様気を付けたいものだ...。


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