ガレージシャンソン歌手 山田晃士の
『嗚呼、泥沼回顧録』
其の壱百弐拾六
〜独り紙芝居〜




幼少のガレージシャンソン歌手は紙芝居が大好きだった。
見に行くのではない。自ら紙芝居をするのである。
ヒーローもの・怪獣もの・ディズニーもの・グリム童話・スヌーピーやムーミンのキャラクターもの・等々、数多くの紙芝居をコレクションしていた。
誕生日やクリスマスに欲しいプレゼントはダントツで"紙芝居"であった。
紙芝居にはソノシート(ペラペラのレコード)が付属しており、本人が読み上げなくとも、
それを流しながら進める事が出来る。
紙をめくる合図の効果音に合わせて一枚一枚めくればよいのである。
幼少のガレージシャンソン歌手にとって紙芝居とは誰かに見せるモノではなかった。
自分に向かって絵をめくっていく、言わば絵本の様なモノであった。これぞ"独り紙芝居"。
端から見ればオカシナ光景だっただろう。
五〜六歳の男の子が自分に向かって紙芝居をめくっているのだ。
飽きもせずに毎日毎日"独り紙芝居"に明け暮れるこうしくん。
今でも覚えているのは「アラジンと魔法のランプ」で
主人公が地下室に閉じこめられてしまうシーン、螺旋階段の出口に蓋をされてしまう場面。
それから「スペクトルマン」で子供が改造されて脳味噌に機械が埋め込まれてしまうシーン、
本当に恐くて恐くて、そのくせ繰り返して見ていた気がする。
これぞ正しくトラウマである。独りでゾクゾクしながら絵をめくっていたのだ。
ある時、友達に誘われて近くの公園に紙芝居屋さんを見に行った。
そこでは駄菓子を販売する事がメインで、
やっと始まった紙芝居自体は「一寸法師」をおざなりにやっていた。ちっとも面白くなかった。
やはり紙芝居は独りでやるものだと確信した。
三つ子の魂地獄まで。
この頃の愉しみは、現在のガレージシャンソン歌手の独り舞台に通じる要素が
多分にあると自覚している。

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