ガレージシャンソン歌手 山田晃士の
『嗚呼、泥沼回顧録』
其の壱百弐拾伍
〜ガキの頃から〜




よく“ガキの頃から”と言ったりするが、それはいつ頃を指すのだろう。
八つ九つ辺りの幼少時代を称して使う事もあるだろう。
でも私としては、いろんな事を無邪気に無防備に好き勝手にやれた時期を指す言葉だ
と思っている。

4月のアタマ、もう30年来の付き合いになる地元横浜のチンピラ詩人・カオルと大
阪で共演した。横浜での恒例イベント「3バカ」ではしょっちゅう顔を合わせている
が、2人だけで演ったのは初めての事。しかも地元ではなく西の地で。不思議な新鮮
さがあった。そうか、もう30年か…、なんて思いながらリハーサル、本番と奴の唄
を聞いていた。そりゃあ当たり前に変わった、あの頃とは違う。ボキャブラリーだっ
て豊富になったし、メロディーも巧みになったし、声も渋くなった。でもその根底に
あるモノ、匂いっていうのかな、血っていうのかな、カオルはカオルだなって思っ
た。まあ本人なんだからね、当たり前か。30年経っていてもお互いに唄っていられ
て、そして変わる事のない、仕様もない互いを感じた。うむ、いい夜であった。

その一週間後、こちらも30年来の付き合いになるしんちゃん(洞口信也)と25年
の付き合いになるのっさん(小野瀬雅生)・ひろいしさん(廣石惠一)のトリオバン
ド・Gozo Roppと流浪の朝謡が共演。3人と逢うのは本当に久し振り。でも実際顔を
合わせてしまうとつい先週も逢ってた様な気分になる。さて、CKBの屋台骨の3人。
さぞや洗練された音に変わったであろう、と思いきや、相も変わらずネッチネチのグ
ルーヴ。泥臭い。太い。熱い。いやあ、変わらないなあ。恰好良いなあ。勿論一線で
忙しい日々を送っている表現者故に、しっかりきっちりとプレイするプロフェッショ
ナルな部分も垣間見れたけれど、3人のあの優しき熱き太いグルーヴは変わりようが
なかった。その上しんちゃんのパーソナリティは更にガキの頃方向へエスカレートし
ており、私と二人でほとんど高校生の様な会話を楽屋で繰り広げ、周囲を呆れさせて
いた。まあ、変わらんな、お互い。うむ、いい夜であった。

唄う時、弾く時、放出する時、無邪気に無防備に好き勝手なオトナ達がいる。
どうにもできない自我。そしてそれを互いに認めざるを得ない彼我。
三つ子の魂地獄まで。嗚呼、素晴らしきバンド仲間達。
未だガキの頃が続いているとでもいうのか。
決して回顧主義なんかじゃなくて、カオル、しんちゃん、又演りたいね。

<<back
next>>