ガレージシャンソン歌手 山田晃士の
『嗚呼、泥沼回顧録』
其の壱百弐拾四
〜溺愛に注意!〜




中学1年生の時、初めてギターを買った。アリアプロUの黒のレスポール、45,000円也。お年玉とお小遣いを貯めて、いそいそと胸を躍らせて横浜駅東口 スカイビルの中にある帝都無線に買いに行った。店員の兄ちゃんがジミーペイジのポスターを付けてくれた。この日の事は今でもハッキリと覚えている。このギ ターでCAROLやらKISSやらを一生懸命コピーした。MY FIRST GUITAR。バンドマンへの
入口の証。高校生の時に倒してネックが折れちゃって、今はもう無いんだけれど。



ところで私は所謂ギターキッズではなかった。やっぱり唄っている方が愉しかったし。まず唄ありき、その傍らにギター、そんな感じ。周りの皆が早弾きした り、ライトハンドしたりしてても、まるで興味がわかなかった。なんか曲芸みたいで。なのでAROUGEを始めてからはヴォーカルに専念し、殆どギターを触 らなくなった。再びギターを弾きだしたのは20代前半から。自分で詞・曲を書き始めた頃だ。楽器と言うよりも曲を作る道具として、鍵盤と共に弾き始めた。 だから演奏自体に関しては全く向上心がなかった。ひまわりの頃もエピフォンカジノを抱えていたが、ハッキリ言って小道具だったね。



そんな私に転機が訪れたのは、30代になった頃、ギブソンES125を手に入れた時、それまでに味わったことの無いトキメキを覚えた。まず音が最高だっ た。やはり“出逢った”んだと思う。抱えたときにビビっと来たんだ。その頃から弾き語りの舞台も演り始めたので、ギターを弾く事自体が、唄と共に自分の音 楽を構築する重要な要素にもなった。いじる喜びを覚えたての思春期の少年の様に、ずっとギターを弾いていた。愉しかった。三十路デビューである。ある程度 年齢がいってからのデビューは厄介モノでもある。分かり易い自分は、楽器を必要以上に大切にする様になった。



今、私の愛器はハコモノ2本、Dホール2本。愛おしくて仕方ない。猫3匹と並んで、かけがえのない私のパートナー達である。愛するモノ達を過剰に愛するの は危険だ。大切にし過ぎるとろくな事にならない事を、私はいろいろな面でよく知っている。我儘になったり、裏切ったり、いい音で鳴かなくなったりする。溺 愛せぬ様に注意しなければ。

そう思いながら、今日もギターをピカピカに磨き、猫にくまなくブラシをかけている私なのであった。

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