ガレージシャンソン歌手 山田晃士の
『嗚呼、泥沼回顧録』
其の壱百参
〜恩師との再会



この歳になると20年前の事も30年 前の事も同じ距離感で“思い出”に位置付けられる。
私にとっての20代迄の人生は、もはや“眩しい季節”として飾られているのだ。
 
ところがある日唐突に、その中の一部分がリアルに肉迫して来る時がある。
“再会”である。
 
10代の始めに私は表参道にある音楽学校に通っていた。学ぶ為では無く遊ぶ為に。
気の合う、ちょっとませた、唄が好きな連中が集まっていた。彼らと過ごす時間はとても愉しか った。そんな生意気なガキ共の面倒を、まとめてみてくれていたのは事務局長のAさん。
彼女は本当にタフで、そして優しかった。
 
今年1月の渋谷クアトロ公演の日に楽屋に届いた1通の手紙。Aさんからのモノだった。驚いた。
記憶の蓋が開いた。思い出の一部分が飛び出す絵本の様に浮き出てくる。スイッチが入る。共演 者の関係からこの日のチラシを入手し、私の名前を見つけ手紙を下さったとの事。都合が合わず 会場にはいらっしゃらなかったのだが、つい先日私の独り舞台を観に来て下さった。30数年振りの再会。音楽学校のロビー、スタジオ、廊下、いにしえの景色 がハッキリと思い出される。そこに居たAさんと私。長い時を経てトンネルが繋がった。タイムマシンだ。何だろう、この感情。
 
その夜、溢れだす感情を胸に帰宅したら、HP宛にメールが入っていた。差出人の名前を観て驚いた。小学5年〜6年時の担任、M先生からだった。こういう 事って重なる。必然なのかな。大好きだったM先生。音楽の時間に習った♪11月は深い秋〜♪のメロディーは小学生以来ずっと 私の胸の片隅で鳴っていた。メールによれば、先生は私の活動を気にしていて下さったとの事。 その日も私が出演したラジオ番組を聴いて下さり、そしてメールを下さったのだ。数え切れぬ程の生徒達を見送りながら、M先生は私の事を憶えていて下さっ た。本当に嬉しかった。本牧南小学校時代のひとつひとつの場面がハッキリと蘇ってくる。何だろう、この感情。
 
決してセンチメンタルな方じゃないが、涙が滲んでくる。
 
M先生は“素敵な歌のメッセージ楽しみにしています”と綴って下さった。
私は今まで唄ってこれた事の素晴らしさと、時の流れの素晴らしさを、切実に感じている。


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