壬午七月 幽琴窟琴學日記
幽琴窟主人
壬午七月一日
余ノ琴ニ興味ヲ抱キシ發端ハ詩書畫ノ世界ヨリ始ム。音樂ニハアラズ。日本ノ琴人ニ中國文學研究者ガ多シ理由ハ、琴ニハ其ノ音楽性ヨリモ文學性ナル要素ガ強キ故也。彈琴ヲ生業トセル者中國ニ於テ數人也。琴ニハ文學ガ必要不可欠也。単ニ演奏セルノミナラバ其ノ深キ琴趣ヲ味フハ不可能也。正統ナル琴ノ入門ハ文學ナリト心得ルベキヤ。タメニ輓近中國音樂流行ニ琴ハ入ラズ。文學ヲ必要トセルタメ敷居ハ高シ、指法ハ難シ、且ツ琴音ハ微弱ニシテ耳ニ聽キ難シ。サレド、一度琴ヲ知ルナラ広大ニシテ深キ世界ニ壓倒サル。汲メドモ盡キヌ音樂ガ存在ス。
壬午七月二日
『離騷』ハ管平湖ノ名演ノ一也。斯様ニ豪快且繊細ニ弾ズ琴家ヲ知ラズ。『離騷』ノ文學ト『離騷』ノ曲ハ同一世界ト云ベキヤ。余ハ數年前『離騷』ヲ打譜スレドモ精査セズシテ彈キ流スノミニ終ル。再度試ミントス。
傳統的ニ琴ハ舞台ニ上リテ、聽衆ヲ前ニシテ彈ズ音樂ニアラズ。琴ニ演奏家ハ曾テ存在セズ。現代琴人ナル人々ハ殆學者ヤ他ニ生業ヲ持ツ者也。職業的琴人ヨリ素人的琴人コソ琴學ノ純粋性ヲ保テリ。自娯トシ嗜トシ彈ゼンコト、琴丿本來丿在リ樣ト余ハ信ズ。
壬午七月三日
余ノ蓄フ琴丿銘ハ「麟聲」ト云。安價ナル現代琴也。
壬午七月四日
琴韻ハ外ニ拡大ス音ニアラズ、内ニ入リ込ム如キ音也。余ハ嘗テ、箏トノ共演ヲ聽キシコトアリ。兩者全キ別音ニシテ合奏ノ樣ナサズ。琴韻ハ孤高丿音也。何物モ相入レズ。
壬午七月五日
絹絃ト鋼鐡絃ハ天ト地丿差有。サレド耳ニ慣レシ者ハ鋼鐡絃モ又美シト感ズ。鋼鐡絃ハ鋭キ音ニシテ明快ナリ、絹絃ハ鈍キ音ニシテ濁ルト。美意識ハ個人ノ感覺ナレバ、口ヲ極メテ絹絃ヲ贊美セントテ如何トモシガタキ。眞物ナル琴韻ハ絹ニアラザルベカラズ。絹ハ琴誕生以前ニ中國ニ存ス。其ノ強キ張力ハ他ノ自然素材ニ見ル能ハズ。絹丿音即チ琴ノ音也。絹絃ハ中國ガ發明セル亜細亜丿音也。鋼鐡絃ナルモノハ産業革命以來、欧羅巴丿音ト云ベシ。孰ガ僞物孰ガ眞物ナリヤ。時代ハ僞物ト眞物ノ區別スルコト能ハズ。中國丿琴學趨勢ハ皆鋼鐡絃使用ナリ。然レドモ外國在住中國人琴家ハ多ク絹絃ヲ使用セル。恐ラクハ情報量丿相違ナリ。中國本土ハ未ダ閉鎖的也。
壬午七月六日
琴ハ音樂ニシテ文學也。東亜細亜文化丿重要ナル原点也。縱ヒ技術ヲ弄シ琴ヲ彈ズコト能ハズト雖モ深キ『琴趣』ヲ味ハヘリ。岸邊成雄先生ハ彈琴セズ。サレド日本琴學丿第一人者也。
壬午七月七日
琴學ハ藝道ニアラズシテ學問也。儒教徒ノ教養ノタメ必須丿器トシモテハヤサレシモノ也。學者ガ常ニ側ニ置キ嗜ムベキ事コソ琴丿本來丿有様ト云ベシ。琴棋書画ナル文人ガ嗜ムベキ四藝丿筆頭ニ琴ハ置レリ。江戸時代ハ琴會多ク開カレドモ、其ノ場丿雰圍氣ハ武士町人丿身分ヲ越エ、自由ガ支配セルト思フ。権威ヲ以テセズトモ琴ニハ自カラ威厳ガ備ハレリ。儒学丿徒ニアラザレバ琴ヲ彈ゼズ。
壬午七月八日
琴韻ハ靈的也。古代ノ琴人靈験ヲ顕現セル記述多ク有。琴丿音色ハ自然ヲモ人間丿心ヲモ感應サセレバナリ。
壬午七月九日
『平沙落雁』余ハ劉少椿丿彈琴最モ好メリ。將ニ『古拙美』アル彈奏也。
一曲丿琴終リ、琴韻鳴リ罷ムトキ、琴ハ既ニ絶音丿運命ニアリ。余韻其ノ間ニ殘ル。演奏中ノミ存ス音楽丿宿命ト云べキナリ。「琴外趣」ナル言アリ。彈ゼヌ時コソ味フベキ琴韻アリ。常ニ滅ントス琴故ニ惹付ケ罷マヌ魅力アリ。
壬午七月十日
東洋琴學研究所副所長稗田浩雄氏丿論文ハ日本琴學丿重要資料也。岸邊先生『江戸時代の琴士物語』又然リ。岸邊先生ハ音楽學、楽器學研究ニシテ學術的論文ニ徹底ス。稗田氏ハ文學的也。詩的也。一語ヨリ琴韻ヲ聽キ、ソレヲ讀手ニ聽セントス。現在日本ニ於ル琴學知識ノ普及ハ乏シ。傳統邦樂界スラ琴ト箏丿呼稱區別無シ。日本琴學ハ漸ク其丿端緒ニ着ケリ。未研究丿餘地大ニ有。
壬午七月十一日
琴ハ生眞面目ナル音樂ナリ。試ニ流行歌ヲ彈ゼシカドモ金輪際余ハ彈ゼズ。琴ハ獨奏樂器故ヱ異質音樂トノ共演ハ美ニナリ難シ。傳統的琴曲ノミ彈ゼヨト琴ハ云。現代曲トノ融合ハ不可能也。琴ハ孤高丿音樂ナリ。常ニ古ヲ志向ス。
壬午七月十二日
琴ハ「靜寂丿音楽」ナリ。琴音ハ靜寂ヲ更ニ増幅セン力アリ。靜ナル場所ニアラズトモ、琴音流ルレバ靜寂丿場所トナル如シ。琴ハ古人ト對面シ會話スル具ナリ。而モ感覺的ニ音樂ヲ通ジ古人丿意ヲ理解シ知リ得ルモノ也。古人丿高風ヲ慕フベシ。現代ニ於テ忘却セル一事也。過去ニ向ハントハ未來ヘノ指針也、トハ古人ガ常ニ言フコトナリ。
壬午七月十三日
莫道無絃有眞趣 道フ莫レ無絃ニ眞ノ趣有ルト
須於絃上悟無絃 須ク絃上ニ於テ無絃ヲ悟ルベシ
欲向琴中求至理 琴中ニ向ヒ理ニ至ルコトヲ求メント欲スベシ
琴道ヘ至ル彈琴ノ心得也。
壬午七月十四日
琴ハ規矩ニ則テコソ琴ト云ベシ。鋼鐡絃ヲ張ランガタメ鳫足弱シトテ新ニ補強鳫足ヲ托齦ニ設ク、是レ琴ニアラズ。琴音ヲ拡聲器ニ通スタメ琴内部ニマイクロフォンヲ設ク、是レ琴ニアラズ。琴音拡大ノタメ規矩ヲ無視シテ改變ヲ施ス、是レ琴ニアラズ。琴音拡大ヲ欲スルナラバ龍池ヲ琴表岳山ノモト穴ヲ穿ツベシ。音ハ外ニ向ヒ拡大ス。何故龍池、鳳池琴裏ニアルヤ。曰、琴音胸中ニ鳴動ス。耳ニ届ク音ニアラズ、ト。琴音大ヲ求ムハ無用也。琴ハ「靜寂ノ音樂」也。縱ヒ微弱ナル音、濁レル音ト雖モ正シキ規矩ニ則ルナラ太古ノ音ヲ得。太古ノ音ヲ得、即チ琴也。
壬午七月十五日
彈琴者ハ衒フコト無ク飾ルコト無ク偉ブルコト無ク彈ズベシ。琴ハ格高シト雖モ人ヲ謂フニアラズ。琴彈ズレバ人モ又格高シトハ片腹痛シ。琴ハ王者ノ器ナレド人共ニ王者トナル能ハズ。隸ノ如ク琴ニ仕ヘヨ。琴ノ風格人ヲ幻惑ス。人風格低ケレバ傲慢トル。琴丿威嚴我ガ身ニモ備レリト思ヒ込ミ君子然タル態度ニ至ル滑稽ナリ。人風格高クシテ大人ナレバ琴ニ對セドモ啻ニ人トナルノミ。淡トシテ琴ニ對フベシ。
壬午七月十六日
畫題ニ「抱琴圖」アリ。高士琴ヲ彈ズベキ場所ヲ求メ幽谷ヲ彷徨ヒ、後カラ琴童ガ琴ヲ抱ヘ隨從ス。或ハ琴彈ジ罷ンデ傍ニ置キ知音ト清談ス畫アリ。ソレラノ行爲ニコソ琴韻ハ響キ渡レリ。
壬午七月十七日
「氣韻生動」トハ繪畫ニ於ル美丿理念ナリ。琴モ又同ジ。音ト音ノ「間」ニ氣韻ハ生動ス。音ハ技術ノ修練鍛練ニ據リ美シク奏スコト可能也。サレド音ト音ノ「間」ノ音無キ音ヲ美シクスルハ修練鍛練ニテハ不可得也。音美シクトモ無音ノ「間」ハ美ニナリ難シ。音美ニアラズトモ無音ノ「間」美ニナル。音程、拍子、拍正確ニシテ完璧ナル演奏ハ聽クニ價セズ。聽者ハ演奏者丿技術技巧ヲ聽キ音樂ヲ堪能スルニアラズ。氣韻ヲ聽キ音樂ヲ體験スルモノ也。斯様ナル演奏ヲ求メ欲スルナラバ正確無比ナ機械ニ演奏サセルベシ。樂ハ人也。聽者奏者共ニ人也。例ヘバ、十ノ「間」ヲ八或ハ十三ニテ十ニスル。十ノ「間」ヲ十ニテ十ニスルハ味氣無キガ如シ。完全ニ埋メ盡サレ寸分違ハヌ音ヨリ、不正確ニシテ足ラザル音ヲ聽キ、聽者ハ其丿不完全ナルモノヲ補ハントシテ創造力ヲ用フ。氣韻生動ノ演奏ハ縱ヒ音程拍子ヤ指法ガ適切ナラズトモ聽ク者ヲシテ感動セシメルモノアル也。技術技巧ガ完璧ナレバ氣韻ハ付随的ニ備ハレバヨシト云ニアラズ、氣韻ヲ完璧ニシテ技術技巧ハ後ヨリ追フモノトスベシ。氣韻ハ「シ殘シトコロ」或ハ「セヌヒマ」ナル「間」ニ於テ生動ス。無音ノ「間」ハ音樂丿本體也。音ト音丿「間」丿何モ無キトコロニ耳ヲ澄マシ無音丿音ヲ聽クベキ事。音ト音丿「間」ガ如何ニ充實セル空間ヲ形作レルヤ其レコソ聽クベキ對象也。無音丿音トハ聽者ガ奏ス音ニホカナラズ。
壬午七月十八日
琴ハ「自娯」ノ器ナレバ聽衆ヘノ琴彈奏、宣傳普及ハ無意味ナル行爲トナルヤ。
況ンヤ琴ヲ繼承傳承スルナドハ傲慢此ノ上無シト。琴ノ歴史ハ個人丿經験ガ埋没スルホド長シ。
壬午七月十九日
琴彈奏者丿感情丿吐露ナド誰モ聽キタシトハ思ハズ。聽キタシト思フハ其丿曲中ニ濳ム感情的世界也。演奏者ガ無心ニナラナクバ現レ出ズ。文人琴人ヤ演奏家琴人ヤ。違ヒハ甚ダシ。
壬午七月二十日
琴ハ演奏者無クシテモ琴自體存スルモノ也。樂器ハ彈キ手アリテ始メテ音樂生ル。
當然也。サレド琴ハ不彈故ニ文學生ル。彈ズコトヨリ彈ゼヌコトガ重要トス樂器ハ琴以外無シ。寔ニ希有ナ音樂ト云ベシ。
壬午七月二十一日
打譜ハ創作ヲ必要トス。混沌タル減字譜ノ音集合ヲ組立テ構築スル作業也。琴樂獨自ノ音樂形式アリテ、其ノ一致ヲ諮リシカド、曲ニ隱サレシ形式ヲ探出シ見出ス事コソ最モ重要也。考古學的発掘作業ニ似タリ。琴人中ニ音構築セザル者アリ。只管減字音ヲ追フト云打譜法ヲ旨トス。余ハ同意セズ。混沌ヲ混沌トセル打譜モ又アリヤ。近年己ガ打譜セル曲ニ著作権ヲ主張ス者アラハレリ。想像力ノ缺如ト曰ハンヤ。古人ナル作曲者ハ誰モ訴訟ヲ起サズ。
壬午七月二十二日
琴ニハ常ニ古典ヘ回帰セントスル姿勢アリ。孔子ノ時代ニ於テサヘ古ノ樂ヲ求メ罷マズ。普遍的ナル「古」ガ琴ニハ内在ス。演奏技術ガ稚拙デアリテモ、否、稚拙ユヱニコソ「古」ヲ表現出來得ルモノナリ。目的ハ技術技巧修練ニアラズ。「古拙」ヲ修練目的トスベキ也ト。
壬午七月二十三日
鋼鐡絃ハ意圖セル音ヲ越エ大袈裟ニ表現ス。擴張サレシ音ハ別物トナリテ自ラヲ離レ擴ル。絹絃ハ指ニ直ニ、指ト絃トガ一ツニ成ルガ如シ。指絃共ニ自然ノ産物ナレバ也。絹絃、自然気候ニモ影響シ、心丿動キ、直ニ響キ傳ハルガ如シ。
壬午七月二十四日
琴ノ「古」ナルモノ権威アリ。容易ニ近付キ難シ。余モ傅ク有樣ナリ。江戸ノ世ニ家元生ゼザル理由モ琴自體ニアルト云ベキヤ。琴、彈ズ人ヨリ権威的ナリ。琴人ノ集團アリ、町人武士身分ノ分隔テ無ク、風流ヲバ解セバ孰ノ者モ入會ハ諾セラレル。人中心ニアラズシテ琴中心ナレバコソト云ベシ。琴ヲ聽カント欲ス人、高尚ナル教養態度ヲ持ス、暗黙ノ了解アリ。琴ノ師、勿論存ス。異曲ヲ彈ズ師ヲ聞及ブナラ其ノ地ヘ赴キ教ヘヲ乞ヒケリ。流派家元ノ師弟關係ニアラズ、琴友ト云ベキ知ル者ト知ラザル者ノ關係トナラン。余ノ理想的偏見ト云。琴ノ歴史ハ長シ、個人ガ琴ヲ以テ権威トナルハ不可能ゾト思フ。 琴學ノ傳統後世ニ傳ヘン、今ノ世ニ琴學復興サセン、ト唱フル者アリシモ、余ハ知ラズ。琴ハ嚴然ト今ニ遺リ存ス。琴ヲ前ニセル個人ハ無ニ等シ。通リスガリノ個トシ琴ヲ彈ズノミナランヤ。一子相傳ハ琴ニ無シ。己ガ力モテ支配セントハ抑々皇帝ナル琴ニ相應シカラズ事ナリ。
壬午七月二十五日
確ニ超絶技巧ノ演奏者ニハ永年修練ノ賜物トシ敬意ヲハラフベシ。サレド「速、上手、正確」トハ機械ニ似タリ。超絶技巧奏法ハ非人間的行爲トモ云ヘリ。機械ト競リ合ヒテモ無意味ナリ。人ハ負ケリ。稚拙トハ朴訥ニ一音一音思念シ丹念ニ彈ズ。初心者ハ技術ヨリ思念感情勝レリ。學バン修得セントノ意欲ハ熟練者ノ比ニ非ズ。彈琴ハ超絶技巧ノ達成ガ目的ニ非ズ。嬰兒ニ復歸スルカノ如キ初心コソ核タルベキ。世阿彌ノ「初心忘ルベカラズ」トハ千代ノ名言也。大巧ハ拙ナル若ク、大辯ハ訥ナル若ク、稚拙ナル初心其壗老熟シテ「古拙」ニ至ル。斯ノ如キ境地ヲ余ハ目指シタシ。
壬午七月二十六日
「古拙」トハ、技巧ハ拙ナレド古風ニシテ趣アルト云。高羅佩「琴銘ノ研究」ニ「古拙」ナル言葉遣ハレシガ、書及ビ篆刻ニ就キ専ラ遣ハル。篆刻ハ正確二刻セラレシ印鑑ヲ蔑視ス。篆刻ハ「古」ヲ出ス爲邊縁ヲ撃チ缺ク。印鑑ニ於テハ不吉ニシテ美ヲ黷ス仕儀也。「古拙」ハ正確無比ノ對極ニアリ。完璧トハ究極最終ノ歸結トスルナラバ、「古拙」ハ常ニ最初ニ至ラントス。或ハ完璧ヲ破壞シ其先ヘ至ラントス。八十年以上琴ヲ彈ゼドモ初心ノ如キ琴音ヲ奏スニ似タリ。畫ニ就キテハ、華國乾隆ノ金冬心、扶桑浦上玉堂。詩ニ於ハ陶淵明。琴ニハ劉少椿「平沙落雁」、其レアリヤ。
壬午七月二十七日
正倉院藏「金銀平文琴」アリ。絃ヲ張リシ形跡軫池ニ有トイヘドモ、琴表面、岳山、琴尾等ニ其形跡全ク無シ。按ズルニ「金銀平文琴」ハ無絃琴ナリ。絃ヲ張ラズトモ美シキ琴韻溢ルル琴ト知ルベシ。「金銀平文琴」復元琴今ニアリ。絃ヲ張リテ彈奏適ヘド無意味ナコトゾ。
壬午七月二十八日
技巧ヲ補ハント、運指速キニシテ琴ヲ彈ズ者多シ。其レ故ヱ雜ニナラン。彈琴ハ太古ノ遺音ヲ得ルニアリ。古人ノ意ニ會ヒテ、心ヲ涵養スルニアリ。技巧専一ニスルハ得難シ。却テ遲々トシテ朴訥ナル彈琴コソ至ルベシ。技巧ヲ修得センニハ竝々ナラヌ努力ヲ必要トス。何ノ爲ニヤ?自娯ノ爲ナラ善シ。聽衆ヲ前ニ見世物ノ如ク喝采ヲ得ン爲ニハ非ズ。
壬午七月二十九日
「それ琴は太古の遺音なり。其の人胸に丘嶽あり、腹に墨汁を貯へしかる後始めて彈ずべし、雅音俗耳に入らざるべし」(山本徳甫『琴譜』)
「それ琴は聖賢君子の器なり、その器は則ち古きを貴ぶ。故に庸人俗士の耳に入らず」(亀田鵬齋「古琴記」)。
「それ風を移し俗を易ふるは樂是れ崇しと爲す。理性修身、琴は乃ち其の首なり。」(山縣大貳『琴學發揮』)
壬午七月三十日
讀書ニ疲レ文墨ニモ厭キ、傍ノ琴ヲ寄セ、机上ニトトノヘ、太古ノ曲ヲ誰ガ聽クトモ無ク靜ニ彈ジ、尊キ古人ノ心ヲ慕ヒ探ルコト。是彈琴ノ本來也。
「「琴書」と云ふ言葉の「書」は書籍を意味するのが恐らく其の原義で、讀書して倦めば則ち琴を鼓して鬱を散ずる、と云ったやうな觀念から此の熟語が生まれたのではなからうか。讀書は固より知識人の表藝であるから、之に次いで餘技として琴を學ぶことが最も重んぜられた風習が、此の「琴書」の並稱よって窺はれると思ふ。」(青木正兒『琴棊書畫』)
壬午七月三十一日
彈琴ハ常ニ古人ニ對シスベシ。聽衆ノ爲ノ琴ニ非ズ、古人ノ爲ノ琴也。
幽琴窟琴學日記
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幽琴窟琴學陋室]
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