幽琴窟琴學日記

幽琴窟主人

書棚ヲ整理セントシテ奧ヨリ初學ノ頃ノ『琴日記』ヲ見ツケタリ。學琴ノ熱心ナル姿勢ハ今ノ余トハ別人ノ如シ。羞ヅカシキゾト思フ。日記ノ其處彼處ニ師ノ言葉アリ。フト思ヒツキ『梅庵琴譜』ヲ繙ケリ。譜ハスデニ古色ヲ帶ビ、光陰ノ疾キコトヲ驚ク。「長門怨」ヲ彈ジ、學琴ノ初ヲ懷シム。運指ノ法スデニ忘却シ、音ヲ成サズ、曲半バニシテ止ム。師ノ恩ニ感謝スレドモ、吾ガ學琴ノ未ダ成ラザル熟セザルヲ嘆クノミ。

辛未一月十九日
午後四時。師ノ彈ズル琴音ガ扉越シニ聞ユ。何ノ曲カ分ラネド、低音ノ響耳ニ快シ。初ニ「風雷引」ヲ彈ズ。第六段、七段、及ビ尾聲ニマデ至ル。次ニ「長門怨」。今日ヲ以テコノ曲ハ仕上トナルト思ハル。尾聲ノ終音、キレイニ出ズ。何度モ繰返シ彈ズ。師曰、「『梅庵琴譜』ノ順列ハ、ヤサシキモノヨリムヅカシキ曲ニ至ル。「長門怨」ハ後ノ順ニシテマコトニ難シキ曲ナリ」ト。
次回ハ蘇東坡『秋江夜泊』ノ予定トノコト。師曰ク「眞ニヨキ曲ナリ」ト。タノシミナリ。

辛未二月二日
今日ヨリ立奏トナル。琴机ハ鐡製ノ柱ニ板ヲ渡セルモノナリ。ソノ柱ハ電子鍵盤ヲ載セルモノトイフ。最モ新シキ樂器ト最モ古キ樂器ノ組合セマコトニオモシロシ。「風雷引」ノ仕上ゲ。第七段ヲ何度モ繰返ス。續イテ「秋江夜泊」。難シケレド、マコトニヨキ曲ナリ。師ノ彈ゼシ琴ハ絶妙ニシテ甘美ナル響アリ。シバシ陶然トシテソノ妙音ニ聴キイル。師ト同ジク上手ニナリタシト思フ。
師曰、「琴ヲ製スルトコロハ香港ガヨシ。本土中國ハ技術的ニ劣レリ」ト。『呉門琴韻』ノ電子録音盤ヲ前ニシテ談ズ。「鋼鐡線ヲ用ヒテ彈ズ琴韻ハ、響ハヨケレド風情ニ缺ケ氣品無クシテ風韻乏シ。大劇場ニテ演奏セルナラ集音器ヨリ音ヲ拡音セバヨロシ、絃自身ノ音ヲ大ニスル必要ナシ。本來琴ハ人ニ聽カセルモノニアラズ、自己ノ身ヲ修メルタメ奏スルモノナリ、音ハ無クトモ可ナリ。琴ヲ抱ヘ深山幽谷コソ琴ヲ彈ズベキトコロナリ、王維ヤ李白ノゴトク。」ト師ハ嗟嘆セリ。

辛未二月十六日
水戸ヨリ來ル御老人ト會ス。一絃琴ノ稽古ニ來レドモ七絃琴ヲモ習ヒタシコトヲ師ニ述ベル。サレド師ハ優シク押シトドメ、「七絃琴ハ覺エネバナラヌ法則多數アリ。ナカナカノ發心デハ間ニ合ハヌナリ」ト。

辛未三月十六日
國柱會ニテ琴會ノアル由師ニ傳フ。師曰ク「少シズツニテモオ金ヲ貯メ、香港ニテ妙音アル琴ヲ買フベシ。人ニ聽セルナラ善キ琴モテ聽セヨ」ト。

辛未五月十八日
來月六月三十日横須賀ニテ演奏會。演奏曲目ハ「湘妃怨」「玉樓春暁」ナリ。余ハ少々モノ足ラズト感ゼドモ仕方ナシ。師曰「マコトニシタガフベシ」ト。サレバコノ曲ヲ完璧ニ彈ジコナセルヤウ練習セント思フ。

辛未五月十九日
坂本氏、稗田氏トトモニ盛岡金峰山神社ノ碑前祭ニ臨ム。碑前ニテ「陽關三疉」ヲ彈ズ。續イテ舞台ニ上リ「秋江夜泊」ヲ彈ズ。余ハ中國服ヲ著シ、如何ニモ琴士然タル有樣ニシテ常ニ主賓席ニ座シタリ。分ニアマル待遇ナレドモ王ノ器琴ナレバコソト安ズ。
公民館ニテ「陽關三疉」「秋江夜泊」「關山月」「湘妃怨」「秋夜長」「長門怨」。終リニ稗田氏琴ノ歴史、余ガ琴ノ説明ヲシタリ。ソノ夜宴會。夜モ更ケル頃、稗田氏、坂本氏、某氏等ト語ラフ。口角泡ヲ飛バス激論、皆滿足セリ。余ハ「秋江夜泊」ヲ靜カニ彈ズ。

辛未六月三十日
横須賀勤勞福祉會館ニテ演奏會。余ハ一音間違ヘリ、マダマダナリ。待合室ニテ某作曲家ニ「幻想的ニシテ美シ」ト評セラル。嬉シキコトナリ。又「ワガ樂團トトモニ演奏セン」ト。師ハ「秋江夜泊」ヲ彈ゼシ予定ナレド時間切ニテ中止、殘念至極。

辛未七月六日
長女莊子ヲ新橋ノ琴室ニ伴ヘリ。彼女ハ本ヲ讀ミ大人シクシテヰタリ。「鴎鷺忘机」二段終リマデ進ム。大曲ナリ。十二月四日鎌倉ノ演奏會ニコノ曲ヲ彈ゼヨト師ハ曰フ。二三カ月アラバ修得センコトハヤスキコトト余ハ自信アリ。「鴎鷺忘机」ノ出典ハ『列子』ニアルトイフ。「平沙落雁」ニ似タルトコロアル曲ナリ。

辛未八月三日
新橋ノ琴室。「鴎鷺忘机」ヲ彈ゼシ後、「平沙落雁」ニ移ル。コノ曲ニ進メルコト余ハ喜ビニ堪エズ。師曰「「平沙落雁」ハ筝ニ於イテノ「六段」ナリ、コノ曲ヨリ琴ハ始マリ終ル」ト。

辛未十月五日
新橋ノ琴室。「鴎鷺忘机」「平沙落雁」。「琴曲ハ同一ノ音律ノ繰返シ多シ、ソレユヱニ同ジ音デモ變化サセンコトヲ要ス」ト師ハ曰ヘリ。「萬亊工夫セヨ」ト。

新シキ世紀ヲ迎ヘ、初學ノ心ヲ忘レマイトシテ、再ビ琴學日誌ヲ書付ケンコトヲ誓フ。

辛巳一月
辛巳二月
辛巳十一月
辛巳十二月
壬午一月
壬午二月
壬午三月
壬午四月
壬午五月
壬午六月
壬午七月
壬午八月

［ HomePage］

E-mail fushimi@rose.zero.ad.jp