辛巳十一月 幽琴窟琴學日記
幽琴窟主人
辛巳十一月十一日
「幽琴窟琴學陋室」ノ移転終レリ。早速關係諸氏ニ通知セリ。「幽琴窟琴學陋室」ノ大義トスルトコロハ、琴ノ一般的知識ノ供給ニアリ。高雅ナル太古ノ遺音ヲ數多ノ人々ノ耳ニ聽キ入ラレンコトヲ願フナリ。サレド大衆化ヲ目指スモノニアラズ。余ハ琴學ヲ「自娯」ニ徹シタシト思フ。琴ヲ他ニ知ロシメシ、他ヲ樂シマセントスルニアラズシテ、他ト共ニ知リ他ト共ニ樂シマントス。
窗外ノ斜陽、山氣室内ニ滿チテ「平沙落雁」ヲ彈ズ。
辛巳十一月十二日
飛田氏ヨリ電子書簡返信。「中国での盛況を伝え聞くたび琴はいったいどこへ行ってしまうのか。おもうところ遙か」ト。琴ハ盛況ナレバ善シトスベキヤ。否ト答フ。一人ノ知音アラバコト足レリトス。氏ハ知音ナリ。
上原氏、林氏返信。深更「瀟湘水雲」ヲ彈ズ。
辛巳十一月十三日
暮秋、山ハ紅ヰニ染マリ「醉漁唱晩」ヲ彈ズ。深更ニ至リ「瀟湘水雲」再ビ「醉漁唱晩」。
辛巳十一月十四日
『西麓堂琴統』ヲ閲シ數曲打譜。深更、寂寞タル思ヒニテ「瀟湘水雲」再奏ス。
辛巳十一月十五日
『西麓堂琴統』玉女調「仙珮迎風」打譜。玉女調ハ四絃ト一絃八九、六絃ト三絃八九ヲ同音ニス。『西麓堂琴統』ハ道教的曲風多シ。稗田氏彈奏スルトコロノ〔山+空〕〔山+同〕問道ハ古淡ノ味ヒ遊仙ノ趣アリ。
辛巳十一月十六日
『西麓堂琴統』「春思」打譜。山寺氏ヨリ電子書簡返事。余ハ琴學ニ就キ自娯ノ立場ヲ示ス。劉楚華氏ノ電子録音ヲ聽ク。絹絃ハ耳ニ心地ヨシ。『中國遊仙文化』ヲ讀ム。甚ダ面白シ。琴ハ遊仙ノ最タル具ナリト知レリ。
辛巳十一月十七日
『誠一堂琴譜』ヨリ「洞天春曉」打譜。未ダ遅々トシテ九段ノミ。
「東洋琴學研究所」ニテ荒井雄三氏ノ報告、「常熟打譜会議」ヲ見ル。「某著名古琴演奏家 自分の打譜を用意せず、呉景略打譜の漁樵問答を弾いたこと それに対して貴重な時間を浪費したと、はげしい批評がおこる 文革時はかくやと想わせ、日本にはない恐ろしい感じ」ト。独自性ヲ尊重セル風潮頼シ。又、唐世璋氏(John Thompson)ノ無節無拍ハ、余ノ見解ヲ述ブレバ、個人的要素資質ノ故ナリト思ハル。又、絹絃ノ問題ハa prioriノ問題ナレバ議論ノ餘地ナシ。打譜ハ古人ノ意ヲ慕フナリ。作曲當時ノ彈奏ニ限リナク近クベシト心得ル。
辛巳十一月十八日
「洞天春曉」打譜。八段ニ戻リテ打譜シ直ス。泛音部ハ全ク曲調ヲ變ズ。別曲ト解スモ可也。繰返シ異ル拍ヲ試ミレドモ解釋シ難シ。遅々トシテ進マズ。
辛巳十一月十九日
「洞天春曉」。八段泛音部畧確定ス。六絃一三徽勾剔ノ音妙也。
辛巳十一月二〇日
「洞天春曉」。九段再考。「洞天春曉」ハ明快ニシテ將ニ春曉ノ景見ユル曲也。『五知齋琴譜』ノ前文ニ「蓋し此の曲の妙は、從容和順にして天地の正音を爲す」ト。又「吾、今人の古調の希微を厭ひ、新聲の奇變を誇るを懼る」ト。打譜ハ「古調の希微」ヲ尋ネ探ルニアリ。
辛巳十一月二十一日
荒井雄三氏ノ「有節無拍」ノ説、改メテ面白シト思フ。「中国人:古琴の有節無拍」ハ余モ同調ス。琴譜ノ記譜法將ニ是也。サレド日本人ハ、能樂ヲ鑑レバ、小鼓、大鼓ハ拍ニアラズ、能管モ節ニアラズ。節拍共ニ<氣>ナレバナリ。即チ<間>ナリ。故ヱニ「無節無拍」ノ音樂ト云ベシ。又、西欧音樂ハ五線譜ノ記譜法ニ據レバ、節拍トモ明確ニ記譜サレタリ。故ヱニ「有節有拍」ノ音樂ト云ベシ。又、印度音樂ナドハ、sitarノ即興奏法、tablaノ明確ナ拍故ヱニ「無節有拍」ト云ベキヤ。
辛巳十一月二十二日
「洞天春曉」。九段。栂尾女史ヨリ返信。手慣レシ琴曲ヲ彈キ續ケレバ其ノ曲風變ジテ面白シ、ト。一曲ノ琴曲ニ深キ味ハヒアリ。敢テ新曲ヲ求ムルコト無用ナリ。生涯數曲ヲ彈ジ終レバ善トス。古人ノ戒ナリ。多曲ハ誇ルモノニアラズ。
辛巳十一月二十三日
稗田氏ヨリ電子書簡。水戸会議無事終了セル報告。近頃、「東洋琴學研究所」ノ分離ニ伴ヒ余ト稗田氏ガ訣別セルトノ噂アリ。左ニアラズ。「東洋琴學研究所」ハ当初ノ構想ニテ新タナ段階ニ進メリ。「琴學」トイフ新タナ「学問」ノ範疇ノ確立ヲ目指シ活動セルモノナリ。私カラ公ヘノ移行ト云ベシ。荒井氏ヨリ返信。「東洋琴學研究所」ヘノ掲載不許可ノ要請。本名ヲ載セシコトヘノ懸念等。
「洞天春曉」九段。滞ル。
辛巳十一月二十四日
第七絃、六絃ノ軫絨切レシタメ作ル。軫池ト軫子頂面ガ摩耗シ滑シ易クナリタレバ鑢ヲカケリ。第七絃、焦尾ヨリ切斷。雁足ニ巻ケル方ヲ使用セザルヲ得ズ。撚絲緩ミタレバ音鈍シ。
「洞天春曉」九段。畧確定ス。
辛巳十一月二十五日
「洞天春曉」九段。確定。十段三句マデ進ム。
辛巳十一月二十六日
稗田氏ヨリ返信。呉文光氏二十三日講演ニ就キテ。聴講者十五人ノミニテ勿體無キコトナリト。「琴ノ理本モト世人ノ知ルヲ許サズ唯知者ヲ知ルヲ俟ツノミ」(羅道)
「洞天春曉」十段三句。
辛巳十一月二十七日
「洞天春曉」十段四句。打譜ハ反復ヲ肝要トス。何度モ何度モ、段ヲ句ヲ繰返シ彈ジ、時ニ拍ヲ變ヘ無心ニ彈ズレバ、太古ノ旋律自カラ甦リ沸キ起ル。コノ樂シミ他ニ比ス可ケンヤ。
辛巳十一月二十八日
「洞天春曉」十段五句。七絃一半アリテ難所ト云ベシ。
辛巳十一月二十九日
夕暮。山雲トモニ紅ヰニ染マリ「瀟湘水雲」ヲ彈ズ。
辛巳十一月三十日
「洞天春曉」十段七句。拍定リ難シ。『誠一堂琴譜』ニ疑問ノ箇所アリ『五知齋琴譜』『松弦館琴譜』ト校合ス。
幽琴窟琴學日記
[
幽琴窟琴學陋室]
E-mail fushimi@rose.zero.ad.jp |