伏見无家
ここで言う琴(きん)はすべて七絃琴をさす「心の琴線にふれる」という言葉があるが、これは中国周代の伯牙(はくが)と鍾子期(しょうしき)の故事から生まれたものである。「君が琴を聴く耳は私の心の中とそっくりだ」(『列子』「湯問第五」)による。岡倉天心『茶の本』「芸術鑑賞」の章に伯牙が弾ずる霊妙な琴の物語があり、その中で天心は「我が心琴の神秘の絃はめざめ、我々はこれに呼応して振動し、肉を躍らせ血を湧かす。心は心と語る」(村岡博訳)と言っている。At the magic touch of the beautiful the secret chordsが、すなわち「心の琴線にふれる」という意味である。お互いに共鳴しあう心を言う。伯牙は、よき理解者鍾子期の訃報を聞いて悲しみのため弦を断ち、琴を二度と弾くことはなかった。「琴線にふれる」とは命がけのことであった。
土井晩翠「星落秋風五丈原」に「古琴の友よさらばいざ」という詩句がある。京都祇園祭の山鉾で、「伯牙山」(明治以前まで琴破山(ことわりやま)と呼ばれていた。)というものが毎年出されている。斧を持った人形の伯牙が今まさに琴を打ち破ろうとしている。現在ではお箏(こと)にめがけ斧をふるっているが、これは七絃琴でなければならない。日本各地に琴の名所は多いが、祭典などでほんとうに琴が用いられることは少ない。
琴は、この伯牙と鍾子期のようにきわめてプライベートな音楽として弾じられた。どんな楽器でもそうだが、演奏の目的は自明の理として聴衆に対して行なわれる。しかし琴は本来修身理性(身をおさめ心をととのえる)ために弾じられた楽器である。まして聴衆に媚びて時代の風にあった曲を弾じることなど厳しくいましめられていた。「俗奏をしてはならない。古人の高き風格をきずつけてしまう」(「弾琴有七要」)。あるいは「琴は切に、演奏家がこれを鼓すことを忌む。聖人の音楽を穢し疵つけることを恐れるからである。」とも言われる。
琴は伝統的に素人が自娯に徹すべき音楽であった。「自娯」という言葉もこの琴に由来するものである。そうした弾奏にあって鍾子期のようによき理解者を得た時の喜びは大きい。なぜなら、自己の本心、感情、イメージが音楽にのせて相手にすべて伝わることは稀だからである。多くの聴衆の中に我が心を得たりとする人間ははたして何人いるだろうか。高度な演奏法、高度な芸術性を持ちながらたった一人のために弾奏することは贅沢の極みと言える。それゆえに琴は「王者の楽器」「諸楽の統」と言われた。琴韻を聴くことができないというのもここに理由があるかもしれない。聴えない者には聴えない。
伯牙と鐘子期のような奏者と聴者の関係は現代において可能だろうか。たとえ舞台の上から聴衆にむかって演奏することは琴の本質 から懸け離れた不当なことであっても、この音楽の存在を知らせることは日本の音楽文化にとって不可欠なことだと思う。
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浦上玉堂像。日本の代表的琴人。玉堂は自らを画家ではなく琴士と名乗っていた。しかし当時の評価は弾琴の稚拙さゆえにあまり芳しくない。玉堂の琴は、聴える者しか聴えなかった。
邦楽ジャーナル 2004、VOL.206 3月号より転載(補筆)