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サバイバーシップ



*サバイバーシップ


欧米のがんの雑誌やウェッブサイトには、サバイバー(survivor)という言葉がよく出てきます。

いつから、ペイシェント(患者)は、自らをサバイバー(生存者、経験者)と呼ぶのでしょう。
さしあたりの治療が終わったとき。一定の期間、再発や転移が見られなかったとき。それとも、がんの診断を受けたその日から . . . 。 意見の分かれるところだと思います。

そんなサバイバーに " シップ" がつくと、「がん患者として過ごすこと、そして、病気を乗り越えて、生き抜くこと. . . 」 と いった感じでしょうか。



手術や治療が無事に済んでも、再発や転移の心配から解放されるまでには、5年以上(乳がんでは10年)もの時間を要します。

多くの病気の先輩たちが、そうした歳月のことを journey (旅、旅路)と形容します。
冗談まじりに、終わらない嵐、バトルの中のバトル、十年戦争などとも . . . 。

まだ治療中で新米サバイバーの私は、皆の話を聴き、想像するしかない部分も多いのですが、彼らに習って、サバイバーシップを「旅」に喩えたいと思います。

そして、旅をするなら、journey よりも odyssey (オデュッセイ、長期の放浪、冒険の旅) の方がいいかな、なんて思います。長く、孤独な旅。すてきな宝物を探す旅。

     一人一人に、それぞれのオデュッセイ . . . 。

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*きらきら光る


自分の命が限られたものであると知ったとき、ほとんどのサバイバーが、失意のどん底に落ちます。そして、そこをなんとか持ちこたえた後で、それまで、つまらないとか、ありきたりだと思っていたことが、新しい意味を持ち始める、と言います。


とりあえず今、生きていることが嬉しい。
こんなことで喜ぶなんて、見方によっちゃ、すごくカナシイことかもしれないけど、いいんだ。
こいつらのために頑張りたい、と思わせてくれる家族がいて、友人がいて、やり遂げたい仕事もあってさ。朝、目が覚めて、自分が生きてるのが嬉しいんだよ。
これ以上の幸せの感じ方はないと、僕は思う。 (J  38歳)


今までだって、ずっと感謝してきたの。でもね、全然足りなかったって思うんだ。
だって、今は、ホントに嬉しいんだもの。
息をしていること、心臓の鼓動、彼がそばにいてくれること、今日晴れていること、風が吹いて草が揺れていること、何もかもがホントに嬉しいの。 (K 27歳)



私も、晴れても曇っても、雨の音を聴いても、嬉しくて仕方がありません。何もかもが愛おしい、と思うことも、しばしばです。おめでた過ぎますけど。(笑)


このような感謝や幸せの実感を、「生命の気づき」「魂の成長」と呼ぶ人々がいます。

でも、私自身は、人が本来持っている「歓び」を「思い出す」ことだと感じています。

長い間、実感することを忘れていたけれど、幼ない頃には、体じゅうで知っていた類の歓びや嬉しさ. . . 。そういうことを、死んじゃうかもしれないぞの土壇場で思い出せたように思うの。
   (なーんて、やみぃ説でした。)



とにかく、生かされていると気づいたとき、人は大きく変ります。

もちろん、生きる歓びを取り戻したからといって、すべてのことがバラ色になるわけもないので、アップ&ダウンの繰り返しですけれど. . . 。

でも、たとえダウン&ダウンだとしても、それも生きているからこそ。
だからやっぱり愛おしい . . .  かな?

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*違和感 ― ハロー・グッドバイ


B.C.  ― 西洋史の紀元前、Before Christの略ですが、
ジョーク大好きの友人たちの間では、Before Cancer の意味です。
「私、昔はすご〜くセクシーだったのよ♪」などと言うときに使います。「昔」=「がん以前」だなんて、何ともせつなくて、おかしいけれど。

さて、「がん以後」。

サバイバーたちは一様に、優先したいものがはっきりし、暮らし方もすっきりしたと言います。
一端、自分にとって何が大切なのかがわかると、考え方、生き方までも変わってきます。愛や親しみも純度が高くなり、それまでより率直に行動するかもしれません。

思い切って、転職したり、新しいことを始めた仲間は数え切れません。
もしも、限られた時間なら、愛する人といたい、好きなことをしたい . . . 。あたりまえだの愛ちゃんです。(笑)

そうして、家族や友人との関係も、見直されることが多いようです。
実際に、彼や彼女の病気をきっかけに、絆を深めた恋人たちをたくさん見ました。逆に、さよならをしたカップルも . . . 。

  (別れ話のことなど、お嫌ですよね?   でも、少しだけ。)

いわゆる、奈落の底を見た、死と対峙したなどという表現は、大げさで嫌いですが、そんな風に呼ばれるような経験をすることで、私たちは何かを深く考えます。

失意のまま泣き続けるにせよ、明るくケナゲに振る舞うにせよ、誰かに頼り切るにせよ、その時にできるベストを重ねて、一人一人が、不安の中で生きるための方法を見つけます。その過程で、つらさとは別に、何かエッジにいる人だけに許されたとでも呼びたいような、新しい知恵や希望を得るのです。

10代20代の若い友人たちに著しいのですが、ほんとうに多くのサバイバーが、わずか数ヶ月の間に、急速に成熟し、大人になります。しばしば、眩しいほどに。

そして、そうした内的な変化を、想像すらできないような人たちに対しては、たとえそれが家族や古くからの友人であっても、少し距離を感じることでしょう。

もちろん、私たちの中にある混乱が人々との関係を邪魔することがあります。 患者やサバイバーに寄りそうことを期待された人々が、困惑したり、遠慮したり、逃げ腰になって、離れていく場合もあります。 最初から何かしら問題があり(たぶん病気とは関係なく)、遅かれ早かれお別れしただろうなぁ、の二人だっています。

けれど、友人たちを見ていると、彼らの元のパートナーや仲間たちとの訣別の原因は、病気がもたらす混乱ではなく、友人たちの心の あまりに大きな変化や充実にある、そう感じることも頻繁です。
   (そうなの。これだけは言っておきたくて . . . 。)

やっぱりと思えるようなお別れは、たいてい新たな出逢いの始まりだったりします。





がんが見つかってからの私の1年は、10年にも思えるほど長く、濃縮された時間でした。だからなのか、昔なじみの人々に会ったときには、いつもかすかな違和感を覚え、まるで私だけが違う時空を通ってきたかのように感じました。

何かが変ってしまったみたいで、さみしいな. . . 。

そんな私の愚痴に、先輩サバイバーが答えました。

あなたがそう感じたこと、驚かないわ。
だって、多くの人々が決して達しないボーダーを私たちは渡ってしまったんだもの。もう同じように感じることはないと思う。でも、それって、私たちが楽しく思わないとか、愛する人たちを近くに感じないって意味ではないの。
私たちは、ただ変っただけ。


Yummy, I am not surprised that you felt some distance from everyone. You know, we all have crossed a border that many people never come to. I don't think we will feel the same again. But that doesn't mean that we won't feel good, or won't feel close to the people we love. We are simply altered.




We are simply altered.

ぎりぎりの線上に、あるいは、不確実性というダモクレス的な場所に何年も居続ける、サバイバーシップについて、言葉で説明することはとても難しい . . . 。

それでも、ほんとうに大切な人たちには、時間をかけて、この想いを伝えていきたいと思います。

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*Life is beautiful.



Yummy's Attic
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