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『観光』
ラッタウット・ラープチャルーンサップ 著
古屋 美登里 訳
早川書房 / ハワカワepi (* 1)  * 追記 3. 26

― 2007. 3. 04

*  『観光』 または、ココナツのプディング. . . ♪ 


 タイ系アメリカ人、ラープチャルーンサップのデビュー短編集。

 すてきな本の感想は、いつも「ふぅ」とか「はぁ」とか、息の混じった感嘆詞にしかならないのだけれど、この本にも、ひたすらため息だった。

 七編すべてに、タイの「普通の人々」のかけがえのない日常が、鮮やかにしっとりと描かれている。──ほどよいモイスチュア。哀しいのか、おかしいのか. . すごく切ないのに、したたかで愉快。
 そして、懐かしいのに、新しい。
 どことなく、初めてココナツのプディングを食べたときみたいな読後感。
 ココナツミルク、シナモン、ナツメグ、……材料はみんな知っているのに、未知の驚き。 ふぅ。


 初めてといえば、作者のプロフィールをこんなに何度も確認したのも、初めてのことだ。
 二編を読んで、まず一度。少年たちの心の奥で何かが変わる、その "瞬間" のとらえかたが、あまりに見事だったから。
「そっか、作者は1979年生まれ. . . 」
 すとんと了解した。

(ふぅ. . タイ女性のしなやかさの描きかたも、すてきだなぁ. . . )
(匂いがいちいち鼻腔を刺激する. . . ラッタウット君は、鼻のいい人なのね)
 なんてことも思う。

 でも、四つめの「観光」を読んで、あれっ?
(匂いじゃなくて、光が満ちてる. . . "観光"だから? 目がすごくいいの? それとも悪い?)
 作者がどんなメガネをかけていたか、またプロフィールを見に行った。

(スラム街育ち、とか. . . ?)
(いくつだっけ. . . 1939年と読み違えたかな?)
 ほとんど一編読むごとに、著者略歴を見直した。

 きわめつけは、七つめの「闘鶏師」。──わたしは作者が女性かもしれないと疑いはじめ、またカバーの袖を確かめた。

(ラッタウットは女の人にも使う名前なのかも。それに女性だと思おうと思えば思える写真. . . 。だとしたら、納得なんだけどな. . )
 女子高校生ラッダの心象風景は、女性にしか書けないもののような気がしたのだった。

 ううん、はずれ. . 。
 作者はやっぱり1979年生まれの青年で、この本の原書が出版されたときには、まだ25歳。──でも、お爺さんにも、中年女性にも、女の子にもなれるのらしい。
 その変幻自在、まるで文芸界の天才ロバ君(ロナウジーニョ♪)だ。
 できればずっと、書き続けてほしい、と勝手に願う。


 Altogether, One at a Time.
 『観光』に収められた、七つの物語はそれぞれに味わい深く、でも、全編に何かが通奏低音みたいに流れている。「ほんとうはひとつの話」(*2)なのかもしれない。
 ──貧困、階級制度、徴兵、カンボジア難民の問題. . . 観光客にはほとんど見えないタイ王国の光と闇、人々の暮らし、知恵. . そして、誇り。

 小説が好きな人にはもちろん、タイ料理が好きな人や、タイ旅行を考えている人にもおすすめしたい短編集。
 でも、何よりも、読み終えた人の感想が聴いてみたい一冊. . . ♪




英語で読みたいかたはこちらを

"Sightseeing" by Rattawut Lapcharoensap


* 3/26 追記:

 荒川洋治さんの『観光』評が、「週刊朝日」〈07.3.12号〉に載っていました。
 わたしは荒川さんの『文芸時評という感想』がとても好きなので、わくわく。

 ──すてきでした。詩人だから当然なのかもしれないけれど、それにしてもほんとうにきれい. . . 。 たとえば、

"飾らず、ユーモラスに、人の心の満ち干(みちひき)を描いて、とても感動的な作品になっている。「観光」ひとつでこの本とぼくは、かたく結ばれた。"

 これは、本のタイトルにもなっている「観光」というお話について。海、浜辺、入り江といった物語の舞台にふさわしい、「心の満ち干」という表現. . . etc.   また、ため息です。

 興味深かったのは、荒川さんが、七つの短編のうち、「観光」「プリシラ」「徴兵の日」の三つを取りあげてらしたこと。もしも三つと言われたら、わたしは「闘鶏師」「ガイジン」「こんなところで死にたくない」を選ぶような気がします。もちろん迷いに迷って. . ですが。そして、一つも重ならないのは、意外なような、納得のような、ちょっと複雑な気分. . 。

 でも、荒川さんの最後の言葉は、わたしの「ほんとうはひとつの話」という感想と少し重なるような気もして、やっぱり「わーい♪」なのでした。

"こうして『観光』の七編は、手に手をとりながら、ことばにならない心の景色をめぐっていく。"

 手に手をとりながら. . . ♪



* 注1
 早川書房の案内によれば、ハワカワepi 〈ブック・プラネット〉は、「国境を越えて愛される、本当に優れた作品のみを厳選して紹介する新しい文芸シリーズ」。
"──この地球は、まだ私たちの発見していない素晴らしい書き手に満ちています。……世界の声に耳を澄ませ、その風を感じる。そうすれば、いつもの日常が少し違って見えてくるはず" ともありました。

 そんな〈ブック・プラネット〉の創刊に、『観光』はまさにぴったりだと思いました。
 どういうか. . . 飛行船に乗って地球を周りながら、いろんな町を眺めているみたいな感覚が、読み終えてからもずっと残っているのです。
「わたしは、たまたま日本に生まれて暮らしているけれど……」
 と俯瞰するような. . . ちょっと鳥になったような気分. . . 。
 『観光』を読んで、皆さんの「感想が聴いてみたい」と思ったのは、そんな気分を共有したかったからなのかもしれません。


P.S. Lovely な書評サイト「ほんやく本のすすめ」のドアへ 「ほんやく本のすすめ」の すみ & にえさんも、この本を取りあげていらっしゃいました。わたしはお二人の感想に「そうなの! 」と、肯くことしきりです。→ S & N's 『観光』


*  注2 
 Altogether, One at a Time. 『ほんとうはひとつの話』は、E.L.カニグズバーグの短編集のタイトル。やはり全編に美しい通奏低音が流れています。


* * *
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